2-4

「俺はアンタを信じるぞ」

 その言葉が橙の魔法少女、橙山とうやま茉莉まりの頭の中で反響していた。

 それはあまりにも都合の良い言葉で、しかしどうしてか、どこまでも真っ直ぐに茉莉に対して向けられた言葉だった。

「意味……わかんない……」

 呟きながら茉莉は、真っ赤に染まったその手で自身の胸の魔晶に触れる。ある日突然茉莉の胸に発現したソレは、すでにヒビが入っており、今にも砕けてしまいそうだった。

「私まだ……何もしてない……」

 橙山茉莉は、いたって平凡な高校生だった。学校に通い、週に四日アルバイトをして、アルバイトの無い日は友達と遊ぶ。そんななんてことの無い日常の中で、些細な出来事に一喜一憂する。そうしていつかは大人になって、働いて、ときには恋に落ちたりもして。そんな人生を送るのだと、当然のように思い込んでいた。

 その胸に、魔晶が発現するまでは。

 魔法少女だとか殺し合いだとか、そんな非日常が突如茉莉の目の前に現れた。

 けれど茉莉は、それら非日常から目を背けた。いずれ誰かが解決するのだろうと、そうでなくても自分が死ぬなんてことは無いだろうと。そう思いいつもの日常の方にのみ目を向けていた。

 だってその筈だ。人生、結局はどうにかなるのだから。それが茉莉の考えだった。

 第一志望の高校に落ちた。けれど滑り止めには受かっていた。どうにかなった。

 友達と喧嘩をした。けれど新しい友達が出来た。どうにかなった。

 アルバイトで大きな失敗をした。店長が客に謝っていた。どうにかなった。

 だから今回もどうにかなるはずだ。誰かが、どうにかするはずだ。

 そんな茉莉の考えは、一人の魔法少女が死んだことで崩れ去った。

 遠くにあったはずの死は、いつの間にか茉莉のすぐそばに迫っていた。どうにかしてくれる誰かは存在しない。それを理解した途端、茉莉の全てが恐怖で埋め尽くされた。

 だから逃げることにした。誰にも襲われないような場所に。そうしてどうにかしてくれる誰かを待って。そう考える茉莉の前に、死は突然現れた。

 現れた男の眼には、明確な意思があった。茉莉を殺すという、揺るぎのない意志が。

 恐怖と同時に、ほんの少しの羨望があった。男の瞳に見た固い意志は、茉莉がこれまでの人生で一度も得ることの出来なかったものだったから。

 男は何かを成そうとしている。誰かがどうにかしてくれるのを待つのではなく、自分の力で成そうと。その瞳にその意志に、茉莉は羨望を抱いてしまった。

「私に……何ができるの……?」

 その答えは既に示されている。魔法を使って朱の魔法少女の動きを止めればいい。そうすればあの男が殺してくれる。どうにか、してくれるのだ。

 けれどそれでは駄目だった。それでは茉莉は前に進むことは出来ない。誰かの示した道では無く、自分の意志で道を決めなければいけない。

 既に出血は止まっていた。魔法少女は魔晶を砕かれない限り完全な死には至らない。気付けば茉莉の肉体は、動けるレベルまで回復していた。

「強制の、使い方」

 即死で無いのであれば、回復することが出来る。その事実は茉莉に、固有魔法を使うという選択肢を与えた。

 茉莉は思考する。今の自分に出来る最善は何か。この状況を自分ならどう解決できるのか。

 直後、後方の車両から激突音が聞こえた。悩んでいられる時間はもう無い。

 茉莉は椅子から立ち上がると、大きく深呼吸をする。そうして今度は自分の意志で、戦場へと駆け出した。


 弘人の耳に、手が触れた。それと同時に、蛇とヴァーミリオンの動きが停止する。

『どういうことだ?』

 耳を塞がれてもなお、白薊の声は骨を伝い弘人へと届く。弘人の耳から離れた手は、真っ直ぐヴァーミリオンに向けられた。

「この距離なら、外さない」

 声の直後、ヴァーミリオンはまるで頭を撃ち抜かれたかのように、大きく後ろに仰け反った。

「立って」

 囁かれたその言葉に強制され、弘人の肉体はゆっくりと立ち上がる。

 その隣に並び立つように、オレンジは一歩前へと踏み出した。

「オイオイ何だよ、二対一かァ?」

 ヴァーミリオンのその声は、どこか楽し気に聞こえる。

「そう、認識していいのか?」

 痛む脇腹を押さえながら問いかける弘人に対し。

「今は、ね」

 オレンジは、一言そう返した。

 ヴァーミリオンの手が、再び手すりに触れる。うねり始めた手すりは。

「蛇」

 その一言で蛇に変化する。

「それじゃあ、第二ラウンドと行こうかァ!」

 二匹の蛇が、弘人とオレンジに飛び掛かる。

 それと同時に、オレンジは口を開いた。

「戻って!」

 その一言は、この場における最適解だった。二匹の蛇は空中で二本の鉄の棒へと戻る。

「はァ!?」

朱の魔法少女と橙の魔法少女。二人の固有魔法の相性は、最悪だった。

『今だ!』

 ヴァーミリオンに、わずかな隙が生じる。驚きによって発生したソレを、弘人が見逃すことは無かった。

 弘人は一本の鉄の棒を手に取り前方へと駆け出す。

 僅かに反応の遅れたヴァーミリオンは、魔晶を守るように両腕を胸の前で交差した。

 しかし弘人はその棒を振るうことなく、ヴァーミリオンの横を駆け抜けた。

「あァ!?」

 意表を突いた弘人の行動で、ヴァーミリオンの意識は弘人に集中する。その行動には明らかに何らかの意図があると。死の危険がある戦いの最中、意味のない行動を取るはずがないと。戦いを知っているヴァーミリオンはそう考える。

 そう、考えてしまう。

 溢れる鼻血も拭わぬまま、オレンジはその手をヴァーミリオンに向け突き出していた。それはわかりやすい攻撃の前動作。最早弘人でも、彼女が今から射撃を放つことは容易に想像出来る。

 しかしこの場に、それを見ている者は誰一人としていない。ヴァーミリオンの意識が、完全に弘人に向けられているが故に。

 放たれた射撃はヴァーミリオンの腹部を捉えた。唾液と胃液の混じったモノが、ヴァーミリオンの口から飛び散る。そしてその衝撃により、ヴァーミリオンの意識はオレンジへと向けられた。

 弘人は自身の勢いに急ブレーキを掛け、振り向きながら一歩を踏み込んだ。そうして自身から意識を逸らしたヴァーミリオンに対し、握り締めた鉄の棒を全力で振り抜く。それはヴァーミリオンの脇腹に直撃したものの、しかし大したダメージにはならない。

 この時点でヴァーミリオンはオレンジこそが最たる脅威であると、そう認識を決定した。

「まずはテメエからッ!」

 ヴァーミリオンは強く足を踏み込み、オレンジとの距離を一息で縮める。

 対するオレンジは、その耳を両手で塞いでいた。それを見て弘人も慌てて耳を塞ぐ。

「吹きとべッ! ごはっ……」

 血反吐と共に吐き出されたその言葉は、ヴァーミリオンの体を勢いよく後方へと吹き飛ばす。

 大きな音と共に、ヴァーミリオンは壁へと激突した。先程まで笑みを浮かべていたその顔が苦痛により歪む。それは確かにヴァーミリオンに大きなダメージを与えていた。

『恐ろしい固有魔法だね』

 白薊の言うように、恐らく強制は数ある固有魔法の中でも最優なのだろう。攻撃にも防御にも使うことが出来る上、応用も効きやすい。その為橙の魔法少女は、本来は最も戦いを避けるべき存在である筈だ。

 しかし今回白薊は橙の魔法少女をターゲットとして指定した。そしてその理由が、今弘人の後方に広がっていた。

「かはっ……おぇ、くはっ……」

 今の一撃によって、オレンジの肉体は再び限界を迎えようとしていた。鼻と口からは血液が溢れ出し、震えるその足は今にも倒れてしまいそうだ。

 どれだけ固有魔法が強力でも、橙の魔法少女が強力な存在であっても、そのポテンシャルを引き出せるかどうかは器となる少女の素質にかかっている。その点においてオレンジは、この魔宴を生き残るのは難しかっただろう。

 対して。

「はは、はははははッ! 随分イカれた力じゃあねえかッ!」

 朱の魔法少女は本来、直接戦闘に長けた魔法少女ではない。様々な使い魔を用いて情報を収集し暗殺を行う。そういった戦い方が基本となるはずだった。

 しかし今回の朱の魔法少女はそうでは無かった。むしろ積極的に直接戦闘を仕掛け、それにより今回の魔宴を本格的に動かす要因となった。

 故に、魔宴において最も重要なのは、器となる少女の素質に他ならない。

 その点において、朱色の魔法少女の器となった暮坂朱美は、今回の魔宴の中でも一二を争う素質があった。

『魔力出力が更に上がっている。しかしこれは』

 イヤホン越しの白薊の声は困惑を示していた。

「確信したッ! ここが、魔宴こここそがアタシの居場所なんだッ!」

 弘人は魔力を感じ取ることは出来ない。しかしヴァーミリオンの様子の変化は、ひりつく様な殺意として弘人に伝わった。ここからがこの殺し合いの最終局面、生きるか死ぬかの瀬戸際であると、そう本能が告げる。

『自壊が始まる。耐えろ弘人クン。恐らく彼女の体は、もう一分ももたない』


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