2-2

『次の電車に乗ってくれ』

 翌日、弘人は白薊の指示で地下鉄の駅を訪れていた。その目的は当然魔法少女の殺害。白薊は次のターゲットを橙の魔法少女に定めた。

『橙の魔法少女、識別名オレンジ。固有魔法は強制。彼女は次の電車に乗っている筈だ』

 白薊の話に耳を傾けながら、弘人は呼吸を整える。

『実際彼女は賢いね。人混みの中でなら、殆どの魔法少女は戦いを避けるだろうから』

 その言葉で、弘人は周囲を見回す。時刻はまだ十四時を過ぎた頃。地下鉄のホームは、サラリーマンや学生等様々な職種の人間で溢れかえっていた。

『では、作戦を復習しようか』

「……ああ」

 今回は、これまで二回の魔法少女との戦闘と大きく異なる点があった。

それは時刻だ。

 これまでの弘人と魔法少女との戦闘は、どちらも深夜に起こったものだった。それ故目撃者は居らず、魔法少女の存在は今もなお世間から秘匿されている。

 白薊はそれを、世界の強制力による影響だと言った。

 世界自体が魔法の存在を抹消しようとする仕組み。それは謂わば、世界が掛けるモザイク。本来存在すべきでない魔法を、抹消するための世界側の働きらしい。

詳しいことは弘人にはわからなかったが、要は魔法少女に関する認識が捻じ曲がるというものだった。それ故トンネルで起きた戦闘は交通事故として処理され、一般人は 誰もそれを疑問に思わない。

 しかし今回の時刻は昼過ぎだ。周囲にはそれぞれの暮らしを営む人々が居る。その状態で世界の強制力がどの程度働くのか、それは白薊にとっても未知数だった。

『ただ、恐らく相手が魔法少女になれば強制力の影響は強く働くはずだ。どんな形で働くのかは、わからないけどね』

「要は見つけ出して変身させればいいわけだ」

『豪く理解が早くて助かるよ。そこから先はまあ、神のみぞ知るだ。申し訳ないけどね』

 電車の到着を知らせるチャイムが鳴った。もう数十秒で魔法少女の乗った電車が到着する。

 弘人は大きく息を吸い、同じく大きく吐き出した。

 電車は空気を切り裂き、それによる強風を伴いながら、弘人の前で停車する。

『行こうか』

 弘人は白薊の言葉と共に、車内に足を踏み入れた。

 弘人が乗ったのは車体の最も後方に位置する八両目。車内は混雑とは程遠く、まばらに人が乗っているような状態だった。

 弘人は電車が動き出すと同時に、電車の進行方向へと歩き始める。八両目では、白薊からの声は無かった。車体と車体を繋ぐドアを開け、七両目へと足を踏み入れる。しかしそこでも白薊の声は無い。六両目、五両目と弘人は足を進める。

 そして四両目へと移動するためドアを開けたとき、尋常ではない違和感が弘人を襲った。

 弘人はその感覚を知っている。自分の体が脳へと命の危機を訴える、その感覚を。

『その車両だ』

「……ああ、わかってる」

 そして違和感は、視覚的にも存在した。

 四両目、魔法少女が居る車両の乗客は、たった一人しか居なかった。

靴を脱ぎ、膝を抱えて座席に座る一人の少女。彼女こそが、橙の魔法少女。

 一歩、弘人は四両目に足を踏み入れる。一人分の足音は、走る電車の音にかき消されていく。

 一歩、また一歩。弘人と少女の距離は縮まっていく。次の停車駅を知らせるアナウンスの声が、車内に鳴り響く。

 そして弘人は、少女の前に立った。

 少女は自分に覆いかぶさる影に気付き、俯いていたその顔を上げた。

「……お兄さん、誰? 私に何か――」

「お前が、橙の魔法少女だな?」

 少女は目を丸くした。

 駅に辿り着いた列車のドアが開く。他の車両から降りていく人々の足音が鳴り、乗り込む人々の足音は無かった。

「ッ!?」

 弘人の蹴りは、少女の腕によって阻まれた。橙色の服を着た、橙色の髪の、橙色の魔法少女の手によって。

「やめて!」

 電車のドアが閉まると同時に、少女の声が車内に響いた。

 弘人の動きが、ほんの一瞬停止する。その隙を突くように、オレンジは隣の車両へ向かい走り出した。

『大丈夫かい? 石黒弘人クン』

 白薊の声を聴きながら、弘人はオレンジを追うために駆け出す。

「今のが強制か?」

『ああ、そうだ。魔力の消費は激しいが、相手に動きを強制することが出来る。最も彼女はその真価をよく理解していないようだが』

 逃げた先は車両の後方。つまり弘人が歩いてきた方向だった。

 しかし今重要なのは逃げた方向ではない。逃げたという事実の方だ。つまり彼女には、本当に戦う意思は無いということだ。

 強制力の影響か、他の車両にも乗客は居ない。

 弘人が八両目の扉に手を掛けた瞬間、白薊の声が耳元で響いた。

『頭、避けろ』

 弘人は即座に身を捩る。

 すると扉のガラス部分が割れ、見えない何かが弘人の顔の前を通り過ぎた。

『向こうも覚悟を決めたようだね』

 弘人は一つ呼吸を置き、扉を開けると同時に駆け出した。

『右に避けろ』

 白薊の声に合わせ、弘人は体を右に傾ける。何かが頬のすれすれを過る。しかし弘人は足を止めない。勢いのままに右足で相手の胸部を狙う。

「やめてってば!」

 しかしオレンジの声により、再びその動きは停止する。

『伏せろ』

 それと同時に白薊の声。弘人は即座に体勢を下げた。

「なんで、当たんないの!?」

 弘人は低くした体勢のまま、オレンジに足払いをする。狙いはアンバーのときと同じ、脳震盪による行動の阻害だった。

「痛ッ!」

 オレンジは弘人の足払いによってバランスを崩し、鈍い音と共に車内に倒れた。

 弘人の右手がオレンジの頭を掴む。その直前でオレンジは声を上げた。

「掴まないで!」

 弘人の右手は空中でその動作を停止する。しかしその停止は、一瞬では終わらない。

『左手で殴れ!』

 指示の通りに振り抜いた拳がオレンジの顎を掠めた。しかしそれが大したダメージにならないことを、弘人は既に知っている。

「離れてッ!」

 オレンジの叫びの直後、弘人の体を浮遊感が襲った。

「は!?」

 弘人の肉体は弾けるように宙に舞い、電車の天井へと激突する。

「ッ!?」

 衝撃は、背中へのソレだけでは終わらない。天井へと叩き付けられた弘人の肉体は、思い出したかのように重力に従い落ちていく。床への激突が二度目の衝撃となった。

「もっとッ」

 オレンジの叫び声が車内の空気を震わせる。

 弘人は瞬時に両腕で頭を覆い、僅かな時間で出来る限りの防御態勢を整えた。

「離れなさいよッ!」

 オレンジの言葉により、弘人の肉体にかかる重力はそのベクトルを変える。その肉体はオレンジから離れるように、勢いよく吹き飛んでいった。

「があァッッ!?」

 三度目の衝撃は弘人の背中へのものだった。吹き飛ばされた弘人は、六両目と七両目を繋ぐ扉に衝突することでようやく停止する。

「何、だよ……ッ! 今の……ッ!」

『今のが強制の真価だ。彼女の固有魔法は、ときに物理法則さえ無視して相手に動きを強制することが出来る』

 それはただの人間に対して、あまりにも強烈すぎる一撃。背中からの痛み、痺れる両手足の感覚から、死の一文字が弘人の脳に浮かんだ。

『落ち着いて呼吸を整えたまえ。今は君と同じように、彼女もまたすぐには動けない』

 しかし、弘人の耳に入る白薊の声はあまりにも落ち着いていた。弘人は頭を動かし、大きく距離の離れたオレンジの方に目をやる。

「何よ、これ……」

 弘人の目線の先で、オレンジは膝から崩れ落ちていた。その顔には二筋の赤い線。両の鼻から垂れるそれは、間違いなく彼女の血液だった。

『彼女は今の一撃で魔力を使い過ぎた。魔法に慣れていない彼女の体では、それに耐えられなかったんだ』

 橙の魔法少女の固有魔法『強制』は、他の魔法少女と比較しても強力である代わりに、魔力消費が多いという弱点を抱えている。そしてオレンジ当人は、戦いの経験が無い故それを知らずに使ってしまった。結果として彼女の肉体は魔力不足により悲鳴を上げ、体内の幾つかの血管が損傷したのだ。

 そしてそれは、弘人たちにとっては好都合なことであった。

 弘人は激痛に歯を食いしばりながら、ゆっくりと立ち上がる。そうして呼吸を整えながら重い足を動かし、一歩ずつオレンジとの距離を縮めていく。

「何で、これ……止まんない……」

 オレンジは床にへたり込み俯いたまま、両手で垂れる鼻血を拭う。しかしどれだけ必死に拭っても、その手が真っ赤に染まっても、その血が止まることは無い。

「やだ、やだやだやだやだやだ……私まだ、死にたくない……」

 オレンジはまるで許しを請うかのように、誰に宛てるでもなくそう呟く。

 ふらふらと歩く弘人の影が、へたり込むオレンジに覆いかぶさる。今のオレンジには最早、逃げる意志も抵抗する意思も無かった。それどころか目の前に立つ弘人にすら、気付いている様子は無かった。

 第三の戦闘、その勝敗は既に決していた。あとは弘人がオレンジの胸の魔晶を砕けば、この戦いは終わる。

 満身創痍の二人を乗せた電車が、ゆっくりと速度を落としていく。しかし駅に辿り着いたところで、きっと乗客は居ないだろう。それが強制力というものなのだ。

 ゆっくりと電車のドアが開く。

 そこには、確かに人影があった。

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