2学期

第20話 夏季講習と再開の告知

 港山高校は夏休みを迎え、生徒たちは部活動の試合や大会に向けて追い込みをかける時期となるはずだった。今年は諸般の事情により全部の活動は停止しているが、登校する生徒は多い。それはなぜか。夏季講習が行われるのである。希望する生徒が自主的に勉強することもあれば、成績が芳しくなく補習として呼び出されてしまう場合もある。この学校では教科別で科目を選んで、学力向上をねらって行われているものだ。

「東山、数学終わったらカードショップ行こうぜ」

 カードゲーム仲間の足立が恒章に声をかけた。呼ばれた彼が振り向くと、普段とは少し違って落ち着いた雰囲気を醸し出していた。

「あれ、東山、メガネ変えた? 夏休みデビューか?」

「えっと……?」

 彼は思わず首を傾げた。それもその筈である。彼は、東山恒章ではない。兄の東山和信であった。学年の中では有名な話だと思われていたが、普段一組と接点がない彼らにとっては、和信と恒章がうまく見分けられていないようだった。

「そういや名札はどうしたんだ? 忘れたきたのか?」

「名札? えっ、えっと……」

 和信は、名札はつけてきた筈だと思いながらも左胸を確認した。しかし、その辺りのワイシャツのポッケに刺さっていないことに初めて気づいた。ズボンのポッケの中に固いものがあることに気づく。取り出してみると名札が入っていた。『1−6 東山恒章』と書かれたものが。

「あいつのと入違いになったか……」

 和信は焦りを見せながらも、名札をとりあえず左胸につけた。和信はすぐさま人違いだと伝えようとしたが、それだと二人が制服を取り違えたとわかってしまう。替え玉したのではないかと疑われてしまう。

「まあいいや、後で大通りのカードショップでな。あとで三千円返せよ」

「ま、また後でなー」

 和信は珍しく脱力感を味わいながら、机の上に伏せていた。腹を括って一日恒章になることを決めた瞬間であった。


 *


「母さん、おはよう」

「お父さん、今日はゆっくりなんですね」

「ああ、今日は時差出勤なんだ」

 午前九時、東山家ではゆったりとした朝食を迎えようとしていた。父の智大は、母の恭子の淹れたコーヒーで一服していた。ダイニングテーブルの上には、ハムエッグとトーストと牛乳が並べられていた。報道番組を見終わった父が、ラックにかかっている制服たちに気づいた。

「そういえば恒章はいないのか。珍しいな」

「あら、恒章はまだ寝てますよ?」

 母の言葉に、父は首を傾げて改めて尋ねた。

「ここにかかってるのは和信のじゃないのか?」

 母親はまさかと思いラックを確認すると、和信の名札が刺さったシャツがこのまま掲げられていたことに初めて気づいたようだった。そしてそのまま慌てて二階へ上がっていった。

「恒章、ちょっと来なさい! あんたの制服どこやったの?」

 殴り込みかのように部屋のドアを叩く音に、恒章は最初は抵抗して布団に潜り込んだものの、結局は観念した。不機嫌ながらも部屋のドアを開けて、廊下へ出た。

「まだ早いじゃんか……。制服はハンガーにかかってるだろ? のハンガーに」

 母は額に手を当ててため息をつく。

「あんたのハンガーはでしょ……。あんたの制服、和信が着ていっちゃったわよ……」

 恒章はハッとして全速力で一階へ降りていく。シャツのポッケには和信の名札が差し込まれており、ポッケの中を念入りに確認していた。

「な、ない……。レアカードの当選引換券……」

「恒章、まずはちゃんと挨拶しなさい」

 恒章は父に叱られて少しムッとしたが、引換券を持って行かれたことにショックを隠せなかった。父はそんな恒章に気を留めずに言い放った。

「とりあえず、和信の制服を着て学校に行きなさい」

「無理です」

「今日は講習だろ、早めに行って和信と着替えてきなさい」

 父に気圧された恒章は、渋々と兄の制服と名札をつけて、家を出ていった。


 *


 一時間目が終わり、和信は速やかに教室を出ていった。幸いにも回ってきた紙に名前を書くシステムだったため、自分の名前を書き留めておくことができたのだ。恒章の関係者に見つかるとややこしいことになると察した和信は、一旦食堂に逃げたついでに、あらかじめ昼食の食券を買うことにした。すると、自分に似たような姿をした人物を見つけた。恒章だった。また恒章は、和信を見つけると急ぎ足で彼の元へ向かった。

「間違って俺の制服着ただろ」

「間違って僕のハンガーに制服かけただろ」

二人が同時に大声を放ったため、周囲の視線を集めてしまった。バツが悪くなった二人は、食堂の外に出て立ち話することにした。

「着替えるの面倒だから、名札だけ交換しよう」

二人はとりあえず名札を交換した。そして和信が立ち去ろうとすると、恒章が呼び止めた。

「……ポッケに黄色い紙あるから、それ出してくれない?」

和信は少し訝しげながらもポッケを探った。すると恒章に言われたとおり、黄色の紙が四つ折りに畳んであった。

「そのままこっちにくれ」

恒章は和信に向けて手を差し出す。和信はその紙を恒章へ手渡そうとしたが、その前にその中身をちらっと開いた。

「お前、カードにどんだけ金かけてんだ……。三千円建て替えてもらったなんて知らなかったぞ……」

「かっ、関係ないだろ……。絶対、父さんと母さんには言うなよ!」

そう言って、恒章は奪い取って食堂から去っていったのだ。

「まあ、これで間違われないから、いいか。」



 二時間目の講習が終わると、和信は家路へ、恒章は仲間たちとカードショップへと向かった。階段を下りて掲示板を見に行くと、一枚の掲示物が目に入った。

「部活動再開と設立に向けた説明会……ねえ」

「おーい、ひーやん!」

呼ばれた後方には、土呂の姿があった。和信は彼に向けて手を振り返した。土呂も掲示板を覗き込む。

「部活動、またやれるんやな」

「でも、いろいろ制約がありそうだね」

「せやな、でないと説明会に来いって話にならへんもんな」

そのポスターによると、昨今の事件を受けて、部活動のあり方を変えるというものだった。そのため、部活動を新たに設立し直すということで、説明会が開かれるという内容が記されていた。

「いっそ演劇部を作ろうかなあ……」

「ちょっとそれは考えたほうがいいと思うで」

「なんだって?」

和信は土呂の言葉に思わず返してしまった。

「部活はひーやんだけが作るもんやないで。あまり熱を入れすぎて独裁政治になっても雰囲気は悪くなるだけや」

真剣な眼差しで、土呂は和信に言い返す。和信は表情を無にしたまま土呂に尋ねた。

「どういう意味?」

「まあ一人だけの思いで先走ったら、いいものも崩れてしまうから気をつけろってことやな」

土呂は、「それじゃまたな」と言って掲示板を後にした。和信は、少し考え事をしながらも、案内のビラを一枚手に取って、学校から出ていったのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る