第56話 母親と家出娘

 對田建設絡みの事件は一心の手を離れやれやれと事務所で久しぶりにのんびりしていると、探偵協会から家出人を発見したとの連絡が入った。

宇都宮の探偵からの報告だった。


 一心はその日のうちに静に声を掛け一緒に宇都宮へ出向く事にした。

浅草駅から東京メトロ銀座線で上野へ出て新幹線で宇都宮までおよそ一時間のちょい旅である。

 宇都宮駅西口から真っすぐ西へ一キロほど行くと左手に三階建てのビルがあってその三階に情報提供してくれた馬場探偵事務所がある。

その所長馬場孝則(ばば・たかのり)に情報提供の礼を言って浅草名物の串団子を手渡し、家出人がいると言う住宅の場所を地図上で確認して辞去した。

 

 そこからタクシーに乗って十分ほどで目的地の宮町に着いた。

近所には鎮守の杜がひろがる自然あふれる地域に宿を確保しているようだった。

ただ、今は冬枯れの木々が寂しく見える。行き交う人も寒風に押されているかのように足早に往き過ぎる。

 目的の家は、見た目は戸建て住宅のようだが大きな「下宿」という看板が玄関に掛かっている。

玄関に入って声を掛けると、大家だと言う小柄ですこぶる元気の良い中年女性が応対してくれた。

「藤家麗さんに面会したくて浅草から来た岡引一心と言う探偵です。これは妻の静です」

「そう、麗ちゃん今は仕事に行ってて夕方六時にならないと帰って来ないわよ……まだ三時間以上あるわね。もう一度出直した方が良いんじゃないかな?」

大家さんは見た目通りにはっきりものを言う人のようだ。一心が探偵といっただけで用件を理解したようで、聞きもしない。

麗ちゃんから大雑把な話を聞いているのかもしれない。

一心は静に目をやり「時間潰して出直すか?」と訊くと

「せやなぁ、今夜はここに泊まりまひょ」

嬉しそうに微笑む。

「取り敢えず、出直します」

一心は名刺を大家に渡し辞去する。


 宇都宮の駅の周りに飲食店やホテルがちらほら目についていたので駅近くのホテルに部屋をとった。

それから一心は餃子を食べたいところだったが、臭いがあるので蕎麦屋に入って一息つき時間までホテルの部屋で寛いでいて、六時半過ぎにタクシーで下宿に向かう。

 

 再び玄関で声を掛けると、大家さんが出てきて「麗ちゃんね」と言って呼びに行ってくれた。

 数分後大家さんに連れられて、長い髪を後ろでひとつ結びにしてパステルカラーのTシャツにデニムパンツ、二十歳の若さに似合った服装の麗が緊張気味に姿を現した。

「こんばんわ。岡引一心と言う探偵です」一心が名刺を差し出すと、両の手でそれを受取り不安一杯の表情で少し震えるような声で「こんばんわ」と、言った。

「あては、岡引静でこん人と一緒に探偵しておますのや」

「はぁ、お母さんに頼まれて……ですか?」と、麗。

「ちょっと外へ出ませんか?」

一心はそう言って、麗が部屋から上着を取ってくるのを待って近くのファミレスへ向かった。

 

「ご飯は食べた?」

「はい、下宿で食べました」

「そう、じゃジュースでも飲むかい?」

「いえ、コーヒーで」

「あっ、そうか子供じゃないもんね、ごめん」一心が笑うと麗もつられて微笑んだ。

三人でコーヒーを啜りながら

「家には帰りたくないみたいだね」と話しかけた。

「はい、父は私を所有物のように考えていて、私の考えなんて訊く気もないのよ……中学生のころから家出を考えていたの……」

麗は長年溜め込んでいた思いを吐き出すように話してくれた。そしてその目には涙が滲んでいる。

「お母さん、話を聞いてくれなかったの?」

「ダメよ、母は父の言いなりなの、私が父に叩かれても全然私を庇ってくれないんだもん」

「えっ、お父ちゃんに叩かれよったんか?」静がびっくりして確認する。

「はっ、おばちゃん大阪人か?」

「いえ、ちゃいますよ。京都どす」

「あぁそうなんだ」

「父ちゃん怖いんか?」

「すぐ叩くから、怖い。だから、なんと言われても帰りません。学校も辞めて働きます」

麗の意志は固いようだ。

「そーかー、仕方おへんなぁ、一心どない思うて?」

「今日、最終判断しないで、俺らが伝書バトになって気持を伝えようか?」

「そうでんなぁ、まず、麗ちゃんの気持をご両親に伝えまひょ。ただ、居場所とかは伝えまへんえ」

「はい、そうして下さい。私の気持は変わりません」

麗は唇を固く結んで意志の強さを表している。

「わかった。今麗ちゃんが話してくれたことを録音したから、これをお父さんとお母さんに聞かせてみるね。それで、どう言うか、どう反応するか知らせに来るから待ってて欲しい。いいかな?」

「はい、お願いします」

 

 翌日、一心は事務所に帰って麗ちゃんの母親藤家楓に報告があると言って事務所に来てもらう約束をした。

 

 

 それから一時間も経たないうちに息遣いも荒く階段を駆けあがってくる足音が事務所に響く。

「娘は……どこ? どこ? 麗ちゃん! いるんでしょ! お母さんよ、麗! ……」

麗ちゃんの母親の藤家楓は、事務所に入ってくるなりいきなりそう喚き散らしあちこち歩き回る。

「お母さん落ち着いて、麗ちゃんはここにはいないから……ねっ!」

一心が落ち着かせようとそう言って座るよう促すと、がっくり肩を落として腰を下ろした。

「そうですか……てっきり連れ帰ってくれたのかと思って、済みません」

それでも楓の死角にある自宅のドアが開くとビクッとして振り返る。

静がお茶を運んでくるところだと分かると、また肩を落として大きくため息をついた。

「どうぞ、おあがりやす」

静が声を掛けると楓は微かに頷く。

「娘さんに会ってきました」

一心がそう言うと楓ははっと顔を上げて「えっ、見つかったんですか?」身を乗り出す。

「はい、色々お話を聞いてきました。これを聞いて下さい」

録音していた麗との会話の内、場所の分かる部分は消去して聞かせる。

楓はパソコンに耳を近づけ一言も聞き逃すまいといった恰好で聴き入って、途中からハンカチで目頭を押さえている。

 

 聞き終わって大きくため息をついて

「娘の言う事は良く分かります。私がもっと娘に助け舟を出していればこんな辛い思いをさせなくても良かったのに……私の責任ですね」鼻をすすり目頭を押さえる。

「で、これをお父さんにも聞かせようかと思うんですが、如何ですか?」

「ええ、娘の正直な気持ちを聞いて主人が少しでも変わってくれると良いんですが……」

「では、ご主人の都合に合わせますので、帰ったらその連絡を頂けますか?」

「申しわけありません。そんな面倒なことまで……」

 

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