第26話 専務の妻
一心は、その足で専務夫人の村岩百花にも話を訊こうと村岩宅に向かった。
専務宅も浅草の住宅街のそこそこ広い庭の有る戸建て住宅だ。
庭木は冬枯れで寂しいがビニールハウスの中には何かの花が綺麗に咲いているのが見えている。
室内には応接間もあってどうやら会社絡みの来客を想定した間取りになっているようだ。
そこには洋風な調度品が並んでいる。決して高価なものではないだろうが品良く揃っている。
その部屋のソファに導かれ紅茶を勧められた。
「紅茶は大丈夫ですか?」百花夫人に訊かれあまり飲んだことはないがにこりとして頷いた。
百花夫人が対座してくれたので、少し和んだ雰囲気を作ろうとビニールハウスの中に見えた花の名を訊くと「私、秋桜が好きで十種類育ててるのよ。花も一重、半八重とか八重とかあるし、色も輝くような黄色にオレンジとかピンクとか白とか種類も多いのよ。全部は知らないけど七十以上はあるわねぇ。原産地はメキシコ何だけど、熱い国というイメージあるでしょう?」
一心の返事を食い入るような目で見詰めるので頷くしかなかった。
「ところが……」と百花夫人は続ける。
「ところがね、同じメキシコでも標高が凡そ千六百メートルから二千八百メートルまでの範囲内でしか自生しないらしいのよ。だから、日本でも秋の花というイメージが強いでしょう。家は冬もビニールハウスに暖房入れたりして秋の環境を作ってるの。手間かかるわよー……」それから十分くらい花の話は止まらなかった。
そして……
「探偵さんはお花好きなの?」
一心は軽く話しやすい雰囲気を作ろうと切っ掛けに言っただけだったのに……やっと話を振ってくれた。
「えぇ妻が趣味で花を植えてて、今日は仕事できたので連れてこなかったのですが……」
適当に誤魔化しながら「仕事」を強調した。
なのにその後も秋桜の話が暫く続いて「そう言えば、探偵さん私に訊きたい事あったのよね……」
やっと思い出したように話を一心に向けてくれたので急いで少女時代のころについての質問を始めた。
「私は今年でもう五十歳になるのよ。年を取るのは早いものねぇ……もうすっかりお婆ちゃんね」
微笑む百花に一心は返答に困ってあいまいにかぶりを振ると
「幼い頃両親は飲食店で共働きしていたけど、仲は悪くてねぇしょっちゅう喧嘩ばかりなのよ、幼い私には何故一緒に暮らしているのか分からなかったわ」
一心は紅茶を啜りその話に聴き入った。
「父は暴力を振るう人で母は青痣を化粧で隠すのにいつも苦労していたわ。けど、私は叩かれそうになると素早く外へ逃げていたの。結構その頃から要領が良かったのかもね」
そう言って百花夫人は「ふふふ」と思い出し笑いをする。
「高校に入ってすぐだったかな、両親が離婚しちゃってさぁ、母と二人の生活は苦しくって、学校に内緒で一緒に飲み屋でバイトをしてたのよ。
……当時私は十代でしょう。だから私の若いピチピチの身体に惹かれて言い寄る男は多かったけどそういう害虫を母が追っ払ってくれてたわ。
でもね、私も女の子だから恋に憧れてた訳よ。そういう男達の中に見た目の良い男がいて、母に内緒でデートしたらホテルに連れ込まれて乱暴されちゃったのさ。初体験は好きな男の子としたかったのにさ。
その男は話し方とか仕草とか優しそうな感じだったのにねぇ、ホテルに入ったら『言う事を聞かないと殺すぞっ!』みたいな事言われて怖くて言いなりになってしまったのよ……。
それで男の怖さを身に染みてというか、身体で理解したのよ」百花夫人はしみじみ語った。
「飲みに行く男はそれを狙って行くやつが多いからね。可愛そうに……」
一心は他に言葉が見つからなかった。
「男は皆狼だということを知って、それからは逆に男を騙して貢がせたり、小遣いを稼いだりしたのさ」
「ほーそれはまた強いね。復讐ってことかな?」
「ふふ、ある時歳のころなら三十前後くらいだったかな、ミニ履いて胸を大きく開けてさ、深い谷間を見せつけているちょっと、いや、かなりセクシーな女が腰を振りながら店に来てね、カウンターで一人飲んでいると男が次々と寄って行って、何やら話し込んでいるので近くで耳をそばだてると、一晩三万とか四万とか言ってるのよ。何人目かで話がついたのか一緒に店を出ていったわ」
「そういう女性には俺も会ったことがある。勿論、俺は声を掛けられたけど断ったが……」
―― ー心はちょっと後ろめたかったがここは正直には言えない場面だ。
「ふふふ」と百花は一心の心を見透かしたかのような笑みを浮かべ話を続ける。
「それで私も稼いでやろうと思って、休みの日に知らない店へ行って一人カウンターで飲んでたら、中年男が『一緒に飲もう、奢るよ』と、寄って来たの。
――来た来た、と思ったわ。
頷くと、詰まらない自分の自慢話ばかりをだらだら、だらっだら喋るのよ。……でも、金の為だと自分に言い聞かせたわ。
そして『凄いだろう。俺と付き合ったら美味いもの食えるし、綺麗な服も着れるぞ』って言うから
『あら、良いわねぇ。羨ましいわぁ』
そう返したら、『それじゃ、これからお互い良く知合おうか、一晩かけて』と、にたりとするのよ。
気持悪るぅと思ったけどさ『お金は幾らくれるの?』訊いてみたら、
『ふふふ、あんたなら五万だな』
またまたにたりとして言うのよ、嫌らしいったらないわよねぇ。
でも
『あら、割といい値段付けるじゃない。ふふっ……』ってちょっと色っぽくしようかと思って、にっとして上目遣いに男を見上げたらさ、ふふふ、その男、もうすっかり下半身がその気になってて、思わず吹き出しそうになっちゃって我慢するの大変だった」
「百花さんなかなかやるね」
一心は平静を装って話を聞いているが、実はドギマギしてやばかったのだった。
「男って皆金出しても女を抱きたいの?」
突然訊かれ
「そりゃそうだろう……いい女だったら余計な」
一心は素直に答えた。
「ふ~ん、それでその男とホテルへ行って五万貰って好きなようにさせてさ、……家に帰ったのは深夜だったなぁ……」
決して良い思い出で有るはずもなく眉間に皺を刻みながら話してくれた。
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