第18話 不倫夫の妻
次の日、静は高知洋子はんが仲見世通りでパートの仕事をしてはって午後4時まで仕事やと聞いてな、その時間に合わせて高知宅を尋ねたんどす。
高知はん宅は浅草警察署の裏手の住宅街の一角におましてな、仕事場の仲見世通りまでは十分程度、岡引探偵事務所からは五分もかからん場所におますのや。
一部二階建ての戸建て住宅にはな多少の庭もあるようなんやけど、今は手入れをする暇はないんでっしゃろ雑草がぎょうさん生い茂っとりましたわ。
インターホンを鳴らすとな中から返事が聞こえてドアがすぐに開いたんどす。
でな、居間に通されてソファに掛けさせてもろて名刺を渡したんや。
「今日から十二月ですわ、一年の早さに驚かされますなぁ。ここまで家から五分位でっしゃろか、でも、着物の上に一枚羽織らな寒ぅてかなんわぁ」
「そうですねぇ、私も歳を取るたびに寒さがきつく感じるようになって重ね着が増えるんで、もこもこになっちゃって……ははは」
そないな雑談をして少し和んだところでな、片川美鈴ちゃんの誘拐事件に関連して亡くなりはった高知悟はんの名前が出た経緯を説明したんどすわ。
洋子はんは話の途中からな、なんや不機嫌な顔をして聞とりましたなぁ。
そないな雰囲気を感じながらな、
「それでな、ご主人が経理畑の仕事をしはってたと聞いたんどすが、帳簿なんて家に持ち帰ることはあったんですかいな?」と、訊きましたんや。
「いえ、会社から書類を持ち帰ってくることはありませんでしたから。ただ、パソコンは持ち歩いていたようですけど」
静は答えて貰えんかいな? 思うとりましたら、洋子はんが確り答えてくれはって有難いこってすわ。
ほいで質問を続けさせて貰いましたんや。
「パソコン使って家で何かしてはったんですやろか?」
「私は見ても分からないんですが、……何かはやってましたわね」
洋子はんは恥じ入るように微笑みはった。
「洋子はんは片川美富はんをご存じで?」
そう言った途端にな、今度は眉をピクリと動かしはったよってちょっと怖い思いましたわ。
「えぇ、美富の旦那が元気な時は家族ぐるみの付き合いもあったんだけど、亡くなった後まさか主人と不倫するなんて信じられませんでした」
そう言わはる洋子はんは今でも腹が立つようでな眉間に皺を寄せて言葉を吐き捨てるようにおいやした。
「洋子はん、お子はんは?」
「いません。出来なかったんです。どちらが悪いという訳でもなく。だから主人は美鈴ちゃんを我が子のように可愛がっていたんですけど、それが不倫のきっかけになっちゃうなんて……」
洋子はんは悔しそうな表情を浮かべてな膝の上で拳を固くしてましてん。
「そうどすか……すんまへんな言いずらい事言わせてしもうて」
「いえ、ずっと誰かに喋りたかったんですけど話し相手もいなくって……」
そう言ってくれはったんであての喉まで出かかってた質問をさしてもろ思おてな訊いてみたんですわ。
「じゃ、ちょっと踏み込んで訊いてもええですか?」
「えぇ、何でも聞いてください」
「洋子はんが不倫に気付きはったのは何時頃どす?」
「主人が亡くなる半年くらい前、私の事を美富って呼んだんです」
「え~、そないなあほな……ありえへん」
「そうなんです。あり得ないんです。それで問い詰めたら白状したんです。その前週まで子供連れて美富は家に遊びに来てたんですよ! もう、私、怒りが爆発しちゃって、美富に電話してもう二度と家に来るなって怒鳴りつけて、主人を平手打ちにして、それからはもう一人で生きてゆくしかないと思って、主人のご飯も用意しないで、洗濯もしないでいたんです」
そう言って洋子はん、当時を思い出しはったんでっしゃろなテーブルをバンって叩かりはって、……もうびっくりしましたわ。
そいで気になってな「ご主人はどうしはった?」と、訊きやしたら、
「只管謝ってましたよ。でも、許せませんでした。そして数か月後殺されてしまって……バカみたい」
洋子はんはそう言って涙を流しはった。……女心でんなぁ……
――きっと、どこかで、何かのタイミングで許そ思うとったんとちゃうかなぁ……。
そいで急にぱっと顔を上げはって
「そうそう、思い出した。殺される少し前、『やばいかも知れない、言われて帳簿を改ざんしたらそれがばれそうだ』みたいなこと呟いてましたね」と、言わはるんで訊いたんどす。
「どういうことでっしゃろ?」
そしたらな、「わかりません。その少し前だったか、社内で大きなトラブルがあったらしいんです。なんでも社長と専務が互いに相手のスキャンダルを指摘して辞職を求めたらしいんですけど、肝心な証拠が出てこなくて膠着状態になってたところで家の主人が殺されてしまって、結局、有耶無耶になってしまったようなんです」
そないな話をして洋子はんのお宅をお暇したんどす。
「一心、洋子はんがそないな風に言わはるちゅうことはな、社内のごたごたと帳簿とご主人と何らかの関係があるっちゅうこってすわ」
て、静は思おとります。
*
一心は静が帰ってきてからそんな報告を受けたが、それなら何故犯人は高知夫人を脅さないのかと腑に落ちない。高知課長は正義感が強く不正を働くような人では無いと社員は口を揃える。
であれば、高知課長は不正を正そうとして社長か専務に殺害されたのではないかとも考えた。
で、帳簿とはその証拠の品……だから、きっとどこかに隠してあるはずだ。
一心が入手した捜査資料によれば、高知悟殺害事件は未だ解決していない。絞殺死体が東京湾の観音崎灯台付近の海岸に打ち上げられていたが、何処から遺棄されたか分かっていない。凶器も発見されていない。
夫婦は冷戦状態だが高知は不倫を認め謝っている、職場で悪く言うものはいない、友人関係にも問題になるような出来事はない。
死亡推定時刻は発見時点で三日から四日前としか判断できないため、アリバイを調べるのは難しかったようだ。
今はその課長職を山野井係長が務めている。もちろん、社長の息のかかった人物だ。
……ひょっとすると、山野井も高知と一緒にその帳簿に関わっていて、現物を隠し持っているのかもしれないなぁ。
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