第12話 不可解な要求

「ごめんください」

浅草ひさご通りにある貸しビルの二階に岡引探偵事務所はある。

二階の踊り場のところに暗~い声の女性客が来たようだ。

「はい、いらっしゃい。どうぞ」

一心は客をソファに座らせて自分は対座し名刺を差し出す。

「俺がここの所長の岡引き一心です。お話を伺います」

「私、浅草に住む片川美富と言います……それで……」と言いかけてバッグからハンカチを取り出して涙を拭う。

「どうされました?」

一心が訊くと

「実は、娘の美鈴が誘拐されまして……」そう言って涙する。

「えーっそれは大変だ、警察へは?」つい大声になってしまった。

「犯人から電話が来てから慌てて警察に電話したんです。そして逆探機とかいうやつを私のケータイにつけたりしたのですが、電話は来なくて」

一心の声が聞こえたのだろう家族全員がぞろぞろと事務所に集まった。

「皆、誘拐事件だ、話一緒に聞いてくれ」

そう言って、美富に向き直り

「犯人からの電話はどういう内容でした?」

「それが……、帳簿と八月に撮った写真を持って来いと……」

「はっ? ……現金は?」

「いえ、要求はその二つだけで……」

ちょっと一心には理解できなかったが「で、それは何時渡すんですか?」と訊いた。

「それが未だ言ってこないんです」

美富は不安で落ち着かないのか頻りに髪の毛を弄ったり、爪を噛んだりしている。

「ほ~、おかしな誘拐だなぁ……で、帳簿と言うのは?」

美富は困り切った様子で首を捻り「心当たりないんです。家は母子ですから裕福じゃないんで、帳簿なんてないんです、会社やってるわけでもないし……まさか、家計簿じゃないだろうし」

一心には美富の声が悲痛な叫びに聞こえる。

「そりゃそうですね。何処かの社長さんとかの親しい人はいませんか?」

一心がそう言った時僅かに美富が表情を変えたが

「社長さんと言えば、今働いている洗濯屋の社長さんとか、以前働いていた建設会社の社長さんとかですが、全然親しくしたことはありません」

思い当たる先は無いようだ。

「なるほど、それは困りましたね。それと、写真の方は?」

美富がバッグから封筒を出して

「今年の八月海へ行って写真を撮りましたので……家族写真なんですけど……」

一心が二十枚ほどの写真を見るが、どれも美富と誘拐されたという美鈴が写っている。

「この写真を撮ったのは誰?」

「自撮りです」

天気が良くて海も青々として如何にも夏らしい写真だ。子供の笑顔が可愛い。

「取り敢えずこの写真を俺のケータイに送って貰えますか? 後で細かく分析してみます」

「はい、アドレスは?」

一心が教えると、美富は直ぐ写真を送ってくれた。

「帳簿は会社関係の書類ですから、あなたと何らかの関わりのある会社の帳簿のことだと思われますので、今仰った二社を含めて少しでも関りの有る会社の名前、分かれば電話とか住所とかを書き抜いて貰えますか? こちらで一件一件当たってみます。で、犯人から電話がきたら、警察はどうしろと言ってます?」

「はい、そのままなんのことか分からないと言えと……」

「そうだね、嘘ついてもすぐばれるからね……」

「娘さんは小学生ですか?」

「はい、二年生です……」

思い出したのか美富はまた鼻をすすって涙を拭っている。

 

「誘拐されたのは何時ですか?」と、美紗。

「四日前の十月二十七日です」

「あ~その日って霧の物凄く濃い日でしたよね」美紗が言うと美富は少し考えて

「え~確か珍しく浅草に霧が濃く立ち込めていて信号機が見えないくらいでした」

「その霧の日の俺の少し前を赤いランでセルが薄っすら見えていて、車がそこへ急停車すると、その赤いランドセルが急に浮き上がって車道の方へ飛んで、そして消えた。そして車がキキキッて急発進したんだ。なんだろうとは思ったんだが、まさかあれが誘拐の現場だったのかなぁ」

美紗が顔を顰めて呟いた。

「美紗、その車の特徴、車番、乗ってたやつ覚えてないか?」

「いや~、なんせ霧が濃くって……でも、娘さん赤いランドセルなの?」と、美紗が訊く。

「え~、去年知り合いから買ってもらった赤いランドセルをしょってましたわ」

美富は美紗に何かを期待するような眼差しを向けて答えた。

「じゃ、娘さんの捜索、救出を俺らに依頼するということで良いですね? その過程でその帳簿が何であるのかも調べることになるとは思いますが……」一心が説明する。

「はい、とにかく娘をお願いします」期待が外れたのだろう肩を落として美富は頭を下げる。

「分かりました、浅草警察とは親しくしているのでこれまでの情報を貰って急いで調査に入ります」

美富は時計を見て犯人から電話がきたら困るからと言って小走りに事務所を出ていった。

 

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