第10話 暖かな君
ずっと傍にありたい、と思った。
――初めて遭った、あの日から。
其れは己が生じた翌日の夜だ。夜の帳に覆われた昊は小さな宝石できらきらと目映く、何となしに真闇な
「こら、こんな夜更けに何をしている」
頭上から女の聲が鳴った。冷たい
「さんぽ」
「……いや、そうなのだろうが。こんな夜更けに出歩くもんじゃないよ。狼が出る」
「じゃあ、そっちいく」
クスィフォスは女の元へ行こうと
「まったく。可愛い貌を傷だらけにするつもりかい。掴まりな」
女のその手は、力強かった。軽々とクスィフォスを持ち上げ、樹上へ
「わあ……すごい」
「ふふ、そうだろう。あたしの特等席さ」
「とくとーせき?」
「そうさ。そこらの
「どーして?」
「どうしてだろうね」
女ははぐらかすようにしてにやり、と嗤う。クスィフォスがきょときょとしていると、その大きな手で優しくクスィフォスの頭を撫でた。
「しかし、本当に美形な
「せりのーふぉすってなに?」
「ひとりしか生じることのない、黒の
ふうん、とクスィフォスは小さく聲を零す。クスィフォスを撫でる女の手は暖かかった。クスィフォスへ語りかける女の聲は暖かかった。その手にずっと触れていたい。その聲をずっと聞いていたい。この感情の名をクスィフォスは識らぬが、胸の奥がじんわりと熱くなることだけは知った。
その暖かさを求めたくて、掴んでいたくてその日からクスィフォスは女――イーリスの元へ足繁く通うようになった。
「イーリス、弓の使い方や体術を教えて」
イーリスは集落で一番の狩人だった。誰よりも早く
「お前、風邪治って間もないだろう」
「でも治った。俺もイーリスみたいになりたい」
「ははは、そりゃあ頼もしいこった」
いつもの笑みを浮かべてイーリスが力強くクスィフォスの頭を撫でる。彼女がクスィフォスにまったく期待していないことは直ぐ
周囲の
「クスィフォスはイーリスにべったりだ」
「負けず嫌いのやんちゃっ子だ」
等と笑われたが、それでもクスィフォスは弓や体術の腕を磨くことに必死になった。イーリスが普通の
「なんでそんなに頑張るんだい?」
集落の誰かがそう、クスィフォスへ尋ねた。クスィフォスがいつもの走り込みを終えて弓の訓練をしようとしていたときだ。
「そうそう、俺も不思議に思ってた」
「せっかく美形で、愛想よくしてりゃ女なんて選り取り見取りなのに、なんでイーリスに固執するんだよ。」「イーリスって強いけど、美人でもないじゃん。というか俺たち男よりも強い時点で、なあ?」
口々に捲し立てる集落の者たちに、クスィフォスは貌を顰めた。
「イーリスより弱いからって僻むなよ、糞野郎。俺が好きでやってんだから、構わねえだろ」
「そうだけどよ。守られっぱなしって厭じゃねえの?」
「自分が強くなればいいだけのことだろ」
あの女のそばにあるためには、己が隣に立つに相応しくならねばならない。あの大きな手の暖かさも、あの優しい聲の暖かさも、手に入れるためには己が強くあらねばならない。周囲に哀れまれても、嘲笑われても。それでも。
「クスィフォス!狩りへ行くぞ」
朗らかに響く、イーリスの聲。己の手を引く暖かな手。白い歯を見せて笑う彼女の隣にいるだけで、心が暖かくなった。彼女にはずっと笑っていてほしい。己の横でずっと聲を、熱を聞かせてほしい。きっと手に入れて見せる。きっと隣に立ってみせる。
「――クスィフォス!」
視界の端で、己の名を呼んで大河へ落ちていくイーリスを、クスィフォスは柔らかな眼差しで見送った。
きっと――……
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます