第11話 烏の恋狂い


 双つ星の隠された真闇の昊の下。始まりの泉カスレフティスの前で、地に届くほどのくすみひとつ無い白髪を垂らして、純白の巫子イリオファーニアは昊を仰いでいた。その美しい容姿かたちの唇を震わせて、純白の女は独り言つ。

 

漆黒の巫子セリノーフォス……きっとわたくしがこの彩の地クローマを守り通してみせます……」

 

 先代の漆黒の巫子セリノーフォスが昊へ還って久しい。共に双つ星の聲はを聞き、雨烏シーネフォへ呼び掛けていた。されど今、純白の巫子イリオファーニア孤独ひとりだ。黒の純色アグノスが生じる気配はなく、純白の巫子イリオファーニアは不確かな双つ星の呼び聲へ耳を傾ける他なかった。何度呼び掛けても応えてはくれぬ雨烏シーネフォたちに、純白の巫子イリオファーニアは嘆きながらもできることはないかと気を揉んだ。

 

純白の巫子イリオファーニア

 

 柱の影からひとりの送者ディミオスが姿を現した。純白の王イリョスの耳で死者や咎人を昊へ還す巫子である純白の巫子イリオファーニアの手足。今は混色ハオスの討伐に赴いていたはずである。怪訝に思い、純白の巫子イリオファーニアはやおら振り向いて静かに応えた。

「何事ですか」

混色ハオスの討伐で、御耳に入れなきことが」

「お話しなさい」

「……混色ハオスで不審な者が。我々と同等の力を有するのです。現在いまも取り逃がしまして、我ら送者ディミオスも手を焼いております」

「どのような髪色の者ですか?」

「鮮やかな黄と瑠璃です」

 純白の巫子イリオファーニアはその造り物の如き美麗な貌を顰めた。混色ハオス純色アグノスに適う筈がない。――それも、凡庸な髪色の混色ハオスであれば。

 

 双つ星の輝きから彩の地クローマの民の生命のもとであるアルケを正しく作り出せないから、混色ハオスなのだ。アルケの不足した彩の地クローマの民は弱く儚い。本来、双つ星の輝きと雨烏シーネフォの清水があれば生きていける筈の彩の地クローマの民が食事をするのは、アルケが足りないからだ。鳥獣から僅かなアルケを取り込むのだ。

 中には白や黒を髪に持つ混色ハオスがいて、通常よりは頑丈であることもある。だが然し、多くの混色ハオスは鳥獣から得た少量のアルケに頼って行きている故、純色アグノスに適う筈がないのだ。

 暫し黙して思案すると、純白の巫子イリオファーニアはぴんと背筋を伸ばし、しんとした聲で言い放った。

 

「その者を此処に。手段は問いません。生かして、此処へ連れてくるのです」







 

「ああ、くそ。逃がしてしまったじゃないか!」

 大河の中へイーリスの姿が消えていったのを見て、送者ディミオスのひとりが叫んだ。河の流れは早く、直ぐに河へ飛び込んで追ったとしても見付かるとは限らない。而も、この昏さ。一層見付けるのは難しいであろう。頭を抱える白装束の傍らでクスィフォスはうっすらと嗤う。

「ざまあみろ、糞野郎。あんたらにイーリスはやらねえよ」

「この、生意気な混色ハオスの餓鬼が!」

 

 白装束がクスィフォスの肚を蹴りつける。その衝撃でクスィフォスは息を詰まらせ、吐瀉物を吐き出した。身體中が傷だらけで、じくじくと痛む。それでも、クスィフォスは短剣を握り直し、膝を付いて身體を起こす。

「どうせ、あいつのことだから直ぐに戻ってくるだろうしな……」

 小さく、囁くように独り言つと、クスィフォスは腰から短剣をもう一振り抜き出して、両手に刃を携えて姿勢を整える。脚が震え、立っているのもやっとだ。藻搔いたってどうせ勝てるはずがない。苦しむだけだ。そのことは白服にも明白で、何故そうも立とうとするとか不可解でならない。白服のひとりが怪訝そうに貌を歪める。

「気味の悪い餓鬼だな……。他のは直ぐに諦めたのに」

「はん、諦め悪くてけっこう。悪いけど、夜まで付き合ってもらうぜ」

 

 やおらクスィフォスは飛び出し、白装束の間に飛び込む。痛む腕を振り上げ、震える脚で蹴り上げる。暗闇に散る鉄錆が相手のものなのか、己のものなのか、もはや判別わからない。それでも、イーリスが戻るまで可能な限り数を減らしたい。

 クスィフォスはひたすらに猛攻を仕掛けた。白服がクスィフォスの腕を掴めば、その腕に咬み付いた。顎が痛もうとも肉を歯で抉り、嚙み千切る。槍が肚を貫かれれば、その使い手まで突進して、その頸を突き刺して縦に裂く。クスィフォスはゆらりと振り返り、己を囲む送者ディミオスを獣のような黒曜石オブシディアンで見据えた。

 

「次……来いよ」

 

 全身が血に塗れて、今にも仆れそうなのに何時までも立ち続け、刃を振るう少年に、白布たちはたじろいだ。イーリスに比較くらべれば非力で、脚も遅いというのに、見開かれた黒曜石オブシディアンは爛々と燃える焔を失わず、口許に浮かべた笑みも絶やさない。白布は小さく悪態付く。

「……薄気味悪い。狂ってやがる」

 するとその白服のそばに、ひとりの別の白服が寄り、耳打ちした。

 

「は?生かしてあの女を捕らえろと?」

 

 殺すことすら手を焼いているというのに、生け捕りにせよというのか。白布は貌を歪め、頭を悩ませた。河から上がったところを追い詰めても、先日の二の舞いになるに違いない。

「……人質を使いましょう」

 と別の白布が小さく聲を掛けた。正攻法でうまく行くはずがないことを、イーリスに対峙した送者ディミオスはみな理解しっていた。人質も混色ハオスであればよいというわけではない。あの女と同じ集落の混色ハオスが望ましい。 

「……あの鴉羽の餓鬼を」

 白装束はちらりと、血に塗れてもなお刃を下ろさぬ少年を見据えた。少なくとも、あの少年はあの黄石トパーズ瑠璃ラピスラズリの女と顔見知りであることは明白だ。でなければ、庇ったりしまい。

「あの餓鬼を、何としてでも生け捕りにしろ」

「承知」

 送者ディミオスは一様に長槍を握り直して陣形を正した。

 

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