第8話 白刃刺す
「なかなか、止まないな」
岩穴の中でイーリスは独り言ちた。その傍らでイーリスとともに坐して昊を見上げていたペオニアがこくり、とひとつ頷き、口を開く。
「これは夜になっても止まないかもしれないね」
「はあ……朔でただでさえ視界が悪いってのに」
「まあ、それは
「彼奴らは
イーリスが言い終わると、ふたりの間に静寂が下りる。
(
イーリスは目元を和らげると、己の
「イーリス」
唐突なクスィフォスの静かな聲が頭上より降り、イーリスは心の臓が止まりそうな思いをした。面を上げると、其処には濡烏の少年。襤褸の
「どうしたんだい?」
「……なんだ、ペオニアは寝てんのか」
「ああ。流石にずっと
それもそうだな、と呟くと、クスィフォスがずいと革の水袋をイーリスへ押し付けた。
「あんた、ずっと何も口にしてねえだろ。せめて水は飲め」
暫し、イーリスは眼を瞬かせた。
「ああ……そういや
恐々と手を伸ばして水袋を受け取り、イーリスは水を煽った。よほど乾いていたらしい。水が酷く美味く感じた。目前に佇むクスィフォスの表情は暗闇で視えない。せめて夜の帳が下りれば綺羅星の光で視えるのだが。何となしに気不味くなるとイーリスは目を伏せ、
「……クスィフォス」
「何?」
クスィフォスのその聲は
「そんな処に立っていたら、寒いだろう?……中に這入ったらどうだ?」
「いいのか?」
しんとした、鋭さのあるクスィフォスの聲に、イーリスはぞくり、とする。
(この子の聲は、こんなにも大人びていただろうか)
イーリスは俯向いた。瞳を揺らし、言い淀む。するとクスィフォスが静かに続ける。
「矢っ張り、昨夜のこと意識してるんだろう?」
「……あのな、クスィフォス」
「どうせ、気の迷いではないのか、だとか勘違いなんじゃないのか、だとか聞くんだろ」
「……」
図星を指されて、イーリスはぐうの音も出せない。ちらりと横へ視線を送ると、真闇な向こうで薄ぼんやりとしたクスィフォスの影が僅かに揺らぎ、やおらイーリスの腕が引かれた。
「わっ、おい、クスィフォス!?」
「先に断っておくが、俺の気持ちは気の迷いでも勘違いでもないからな」
イーリスの耳元でクスィフォスの低い声が鳴る。僅かに熱の籠もった息が掛かり、イーリスは赤面し、クスィフォスの腕を押し退けようとするが敵わない。イーリスは上擦った聲を張る。
「糞餓鬼、年寄りの
「誰が揶揄ってるって?」
イーリスの腕を掴むクスィフォスの力が強まり、
「クスィフォス、いい加減、冗談は止せ」
「……俺は一度も冗談は言ってねえよ」
クスィフォスの気配が僅かにイーリスから離れる。彼も後ろへ下がったのであろう。内心で安堵しているのを感じずにはいられない。イーリスは俯向いて黙した。クスィフォスも数瞬黙りこくったが、静かに口を開いた。
「俺は、あんたの為ならなんだってやる。あんたが触れるなって云うなら触れないし、死ねって云うなら死んでやる。でも、あんたがひとりで無茶するのだけは見過ごさないし、聞き届けてやらない。俺はあんたに守られる存在じゃなくて、あんたと共に戦う存在になりてえんだ。あんたの隣に立てる男に、なりてえんだ。――だから、少しは俺を頼れよ」
クスィフォスの低い聲は何処までも静かで淡々としている。まるで知らない誰かを目前にしているようで、イーリスは動揺を隠せない。言葉が何も音にならず、ただただ、俯向いてやり過ごすしかイーリスには出来なかった。そうしてずっと沈黙を貫いていると、クスィフォスの気配が岩穴を離れ、何処かへ行ってしまった。
「クスィフォス……?」
よろよろと面を上げ、呼んでみるも返事はない。イーリスは己が脱力するのを感じた。いったい何時から?だとか、いったい何故?だとか、取り留めなく疑問は湧いてイーリスの心の内に
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます