第7話 朔星の行進


 イーリスはずっと孤独ひとりだった。純色アグノスの邑や町にも、混色ハオスの集落にも居場所は無く、彩の地クローマをひとり彷徨っていた。彩の地クローマの民は生まれながらにして孤独だ。故に、ずっと孤独ひとりで生きていくのだと思っていた。何年も、何十年も、何百年も。昊へ還るその日までずっと孤独ひとりなのだろうと思っていた。

 

「あんた、あたしらの集落とこへ来ないかい?」

 

 混色ハオスの女の言葉に、イーリスは眼を瞬かせた。黄石トパーズ瑠璃ラピスラズリの髪を短く整えた、笑顔の眩しい女。

 

「は?こんな何処の馬の骨ともわからないあたしをかい?」

「でも、熊に襲われてる赤の他人のあたしを救ってくれた恩人さ」

「……あたしを気味悪く思わないのかい?」

「そりゃあ、けどさ。でも、綺麗だとあたしは思うよ」

 

 イーリスは困惑した。イーリスを知った者はみな、、傍にあることを厭がった。

 

「それとも、あたしと暮らすのは厭かい?」

 

 小首を傾いでイーリスを覗き込む女に、イーリスはどきりとした。すぐにイーリスはかぶりを左右に振る。

 

「そんなこと、ない。嬉しいに決まっているだろう」

「なら決まりだ。あたしはグラフカ、よろしく。イーリスが厭なら、。でも、あたしには見せておくれよ?」

 

 白い歯を見せて笑う女に、イーリスは思わず貌を綻ばせた。初めて己を認めてくれた友。己には他者を守護まもる力がある。彼女をきっと守護まもってみせよう。彼女の友人で、彼女の家族ならばこの集落の人々もきっと守護まもってみせよう。其れが己に出来る、唯一の恩返しだ。黄石トパーズ瑠璃ラピスラズリの女に手を引かれながら、イーリスは心の奥底で強く誓った。








 二度目の送者ディミオスの強襲から逃れた混色ハオスの衆は静かに深い樹林もりの中を進んでいた。昊は何処までも真闇。夜の帳は既に上がったのだが、今日は朔の日らしい。双つ星の姿はなく、松明を掲げなければ行く手はまったく見通せない。

 目前では松明の列がしずしずと行進し、深淵へ吸い込まれていく様相さまを見ながら、イーリスもまた歩行あるいていた。鳥獣の聲も風烏アリエーゾ風音かざねもない。しくしくと哭く聲だけが静寂に木霊する。

 

「くそ。俺たち、このまま全員殺されるのか?」

 

 ぽつり、と暗闇の中に苦しげな聲が鳴る。薄ぼんやりと足許を照らす松明の光が揺らぐと、また別の聲が鳴る。

 

「嗚呼、きっとこのままおしまいさ」

「それならいっそ、愛する人と共に自ら昊に……」

「どうしてこんな目に……」

 

 ぽつり、ぽつりと水泡あぶくが湧き立つようにして溢れ落とされては消えていく、言葉。イーリスは僅かに表情いろを昏くした。彼らはみな、憔悴しているのをイーリスはかいしていた。既に集落の人数も半減し、残った者たちもみな手負いで、食事もまともに摂れていない。

 

 (あたしに守れるものなんざ、限られてるものだな。まったく、自分で聞いて呆れる)

 

 イーリスは小さく嘆息した。己を嘲るような嘲笑に近い溜息だ。頭布から波打って溢れる黄石トパーズ瑠璃ラピスラズリを見て、

 

「イーリス、無事だったんだね」

 

 矢庭に、ペオニアの聲が横から鳴った。イーリスの姿を認めて駆け寄ったらしい。金紅石ルチルを揺らした女が柔らかな笑みを浮かべていた。イーリスは眼を瞬かせると、すぐさま目元を和らげた。

 

「ペオニアも無事だったんだね」

「ええ。クスィフォスが助けてくれたんだよ」

「へ、へえ……クスィフォスが」

 

 イーリスの表情が固まり、不自然なほどにぎこちなくなる。ペオニアは眉を顰めて小首を傾いだ。

「クスィフォスと何かあったのかい?」

「い、いや?何も」

 上擦った聲で応えるイーリスにペオニアは尚も不審に思うが、当のクスィフォスの姿がないことに心付く。あの少年がイーリスの傍を彷徨いていないのは珍しい。不図ペオニアは目を泳がせるイーリスの様子にさらに訝った。

「……イーリス、貌色かお赤くないかい?」

「ふえ!?」

 初めて聞くイーリスの間抜けな聲に、ペオニアは半眼はんまなこになる。

「クスィフォスとやっぱり何かあったんだろう?」

「だから!何もない!」

 昨夜のクスィフォスとの出来事を想起して、イーリスの赤面は一層赤さを増した。イーリスにとってクスィフォスは何百年も年嵩の下の幼兒。まさか、あんな行動に出るとは思いもしなかったのだ。

 

 (落ち着け。相手は児童こども。きっと何かを勘違いしていているに決まっている)

 

 イーリスは強く左右にかぶりを振り、己の両頬を張った。ペオニアは未だに何か言いたげではあるが、敢えて深く掘り下げぬと決めたのか黙している。イーリスはさらに深く数度息を吸っては吐いた。

 

「イーリス」

 

 聞き慣れた少年の聲に、イーリスは飛び上がりそうになるのを堪えた。振り返ればいつの間にか濡烏に白銀の髪の少年。

「ク、クスィフォス……」

「何、びびってんだよ」

「びびってない。吃驚しただけだ」

 イーリスが平静を取り繕うとするも、ペオニアがじっとイーリスとクスィフォスを見比べ、静かに尋ねる。

「矢っ張り、何かあったんだろう?」

「だから、何も起きてないし、何もしていない」

「本当かい?」

 とペオニアがクスィフォスへ視線を移すと、イーリスは慌ててクスィフォスの口を手で塞いだ。クスィフォスが余計なことを云うとは思えぬが、念のためである。然しその行動が寧ろ怪しさを増し、ペオニアに不審の眼差しを向けられる。

「何か隠しているだろう?」

「頼むからやめてくれ……」

 

 イーリスが頭を抱えて項垂れると、その傍らでクスィフォスがにやりと嗤い、イーリスにだけ聞こえる聲で云った。

「何、意識してんの。誤魔化すの下手か」

 すぐさまイーリスは面を上げ、クスィフォスへ睨め付けようとしたが、既に少年は先を進み、姿が視えなくなっていた。

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