第6話 濡烏の夢


 イーリスとクスィフォスの両人は我に返って聲の鳴った方へ振り返った。洞窟からは数人の混色ハオスが恐怖を貌へ浮かべて飛び出していた。イーリスは小さく舌打ちする。

 

「もう来たのかい」

「あいつらも八つ当たりに必死だな」

 

 イーリスの横に飛び降りたクスィフォスも悪態付く。洞窟の裏側より白布はくふの軍勢が押し寄せていた。イーリスは大剣を引き抜いて、外部そとへ逃げる混色ハオスと逆行して走り出す。

 

「早く森へ逃げるんだよ!」

 

 白装束のひとりの背を斬り付けて、イーリスは聲を張る。洞窟内逃げ惑う混色ハオス男女おとこおんなたちと、彼らを斬りつける数人の送者ディミオスで溢れ返っていた。イーリスは片端から混色ハオスを逃がすべく白布はくふを薙いでは逃亡を導く。

 

 (まったく、こんな密閉空間だと逃がしづらい)

 

 イーリスは内心で悪態付く。逃がしたとしても外部そとにも白装束が待ち受けている。するとイーリスの視界の端で苦虫を噛み潰したような呻き聲と生暖かな血汐の花弁はなが散った。

 

「クスィフォス!お前も逃げるんだよ」

「厭だね。またあんたひとりでる気だっただろう」

 

 洞窟の外界そとには、クスィフォスの姿。片手に刃渡りの短い直剣を握り、送者ディミオスの死体を踏み付けている。イーリスは困惑しながらも目前の純色アグノスの男を薙ぐ。クスィフォスも時を同じくして短剣を握り直して跳躍し、入り口付近で蹲った混色ハオスを追い詰める白布はくふの頸を貫き、横に裂いた。イーリスは急ぎクスィフォスの傍らに駆け寄る。

 

「お前も早く森へ行くんだよ」

「断る」

「こんの意地っ張りの糞餓鬼」

 

 イーリスは青筋を立てて貌を歪めるも、クスィフォスはけろりとした表情。イーリスは迫りくる白装束の喉を掻き、すぐさま大剣を握り直して柄で別の男の頭蓋を砕く。そのままひらりと跳躍して蹴り上げて三、四の白布の中に飛び込み、一振りで一気に無力化した。

 

「あんたさ……俺のこと舐め過ぎ」

 

 クスィフォスは低く呟くと、森の方へ飛び出した。短剣を振るってこびり着いた鉄錆を落とすとひとりの肚を抉り、ひとりの顔面を蹴り上げる。すぐに短剣を引き抜くとひらりと跳躍し、もうひとりの背に飛び乗って深々と首筋を刺す。

 

「くそ、またあの女か」

「外にもうひとり、餓鬼がいるぞ」

れ!相手は混色ハオスだ!長くは保たん!」

 

 洞窟の外で口々に送者ディミオスが聲を上げる。イーリスはひやり、と肝を冷やした。あの白布しらぬのの云うのはもっともなのだ。体力比べをすれば、確実に混色ハオスであるクスィフォスが不利になる。

「五月蝿え、吠えるな」

 

 イーリスの目前で、洞窟内へ飛び込んだクスィフォスがあの騒ぎ立てていた男たちの間へ割って這入り、ひとりを殴り付けた。よろけたその白装束から長槍を奪い取り、真横の男の首を貫く。イーリスはクスィフォスへ駆け寄ると忍び聲で言った。

 

「クスィフォス。お前、だいぶ限界来てるだろう?いい加減……」

「問題ない」素っ気無く言い捨て、クスィフォスは返り血の滲んだ汗を拭う。「不味そうになれば引く。あんたの足は引っ張らない。早く片付けるぞ」

「……死んでくれるなよ」

 

 イーリスは苦々しく貌を歪め、言葉を絞り出すと大剣を構え直す。同時にクスィフォスは外部そとへ飛び出した。

 

「あいつら、本当に混色ハオスかよ」

「面倒だな……」

 

 イーリスの大剣の矛先で、白服がたじろいでいる。イーリスは静かに言い放つ。

「あの子をむざむざ死なせるわけにいかないからね……こっちも多少無茶させてもらうよ」

「何を生意気な……!混色ハオスの分ざ……」

 

 吠える白服のひとりの首が宙を舞い、最後のことばは続けられることはなかった。続けざまに二、三の首も地を転がり、大量の鉄錆で周囲を赤黒く染められる。イーリスがたったのふた振りで首を刎ねたのだと瞬刻の間を置いて理解したらしく、最後のひとりである白布が逃げ出そうと疾走はしり出すと、容赦なく腱を断ち、崩れ落ちたところで首を刎ねる。

 

 (よし、内部なかは片付いた)

 

 額に滲む汗を拭ってイーリスは外へ出る。深森しんしんへ逃げ惑う混色ハオスを庇うようにして奮闘するクスィフォスを視界に捕らえると、イーリスは飛び出して、クスィフォスへ向かおうとする白服の首を斬り飛ばす。そのままの勢いで、麦の穂を刈り取るように三、四と白布の喉元を薙ぎ、草原を血に染める。

 

「一旦退却くぞ……!」

 

 送者ディミオスのひとりが聲を張った。数人のが同胞が振り返ると、その相手をしていたクスィフォスも手を止めた。あえなく聲主の首がイーリスによって刎ねられたのを見て戦慄したらしい。残党の送者ディミオスが貌を青褪めさせると、口々に「退却け!退却け!」と叫んで茂みの中へ飛び込んで行った。

 

「……なんだ、今ので逃げちまうのか」

 

 イーリスが独り言つ。剥き出しの腕は血と汗で塗れ、僅かに息が切れている。クスィフォスは半眼はんまなこになって冷ややかに言った。

 

「相変わらずの怪力だな、あんた」

「流石に此処まで力を使うとこっちもばてるよ……」

 と言い切るとイーリスはクスィフォスの傍へ坐り込んだ。

 

「だから、無茶すんなって」

「そうは云うけど、矢張りお前が心配なんだよ。お前がどんなに意地を張ろうとお前はあたしよりうんと若いのし、非力で体力もない」

 

「……そんなに」 

 クスィフォスは俯向き、上擦った聲で言葉を絞り出す。短剣を握る力を強くして、手を震わせる。 

「そんなに俺は信用できねえ?俺はあんたのためならなんだってやれる。その為に身體だって鍛えた」

「お前は優しい子だね。でも、お前は若いんだ。余所者のあたしなんかに気を配らなくていいから、お前はお前の為に生きなさい」

 

 イーリスが苦笑いを浮かべると、クスィフォスは膝を付いてイーリスの胸ぐらを掴んだ。悔しそうに貌を歪めて、真っ直ぐと黒曜石オブシディアンを向ける。

 

「俺は、あんたのために生きたいんだ。優しい?巫山戯るな。あんた以外のために身體なんか張るか。いい加減理解しろ、鈍感女」

「クスィフォ……」

 

 茫然としたイーリスの言葉を遮断さえぎるようにして、クスィフォスがその唇を奪った。

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