第2話 送者の侵攻


 常闇の樹林もりで夜が迎えられると、風烏アエリーゾの群れがごうごうと唸る風を呼び、騒々ざわざわと暗緑の木の葉を鳴らした。背の高い樫の木の上で休憩やすんでいたイーリスは不図、寝覚めた。

 

 (今日は風が酷いな) 

 イーリスは貌を顰めると頭布を被り直し、枝の上で立った。此処からは常闇の樹林もりが一望出来るのだ。綺羅星の光を受けてきらきらと光の粒を弾く木々はみな、風烏アエリーゾに撫で付けられ、一様に同じ方角へ身體を揺らしている。

 

 (ん?) 

 遠方でちらりと何かが動いたのだ。いったい何なのかとイーリスは目を凝らした。こんな夜更けに樹林もり歩行あるくなど、自殺行為だ。イーリスはまじまじと見詰めると、それは白装束の行列であると判明した。 

 (あれは……) 

 その白布しらぬのの行列の髪色はみな、くすみ一つ無く白色はくしょくに近しい髪色をしている。その着物の裾には純白の星の文様。そしてその手には切っ先を鈍く光らせる長槍。

 

 (……送者ディミオス!?)

 

 イーリスは瞠目し、急ぎ樹下へ飛び降りた。すると同時に、矢の放たれるような風を切る音がイーリスの耳に届いた。

 

「火事だ――……!」

 

 集落の一角から、叫び聲が轟いた。驚いて面を上げると、聲のした方角から白煙が上がっているのが視界に映った。イーリスは己の大剣を握り、急ぎ集落へ疾走はしった。

「イーリス、助けて!」

 イーリスが火の手の上がったあたりに到着すると、集落の住人が聲をあげた。其処には先程見かけたのと同じ、白服はくふの男。剥き出しの筋肉質な腕で長槍を掲げ、その聲主へ襲い掛からんとしている。我に返ったイーリスは湾曲した大剣を片手に飛び出した。

 

「……この、離れろ!」

 

 イーリスの大剣が白装束の喉元を描き斬る。血汐が弾けて男が崩れ落ちると、すかさず腰を抜かしていた集落の女を引き寄せる。その者は恐怖で唇を震わせた。

「ありがとよ、イーリス。いったい何でこんなところに純色アグノスが……」

「わからないが、南方からこちらに送者ディミオスの軍勢が向かっている。早く他の者を連れて北へ逃げておくれ。あたしは送者ディミオスの足止めをする」

 女がこくこくとかぶりを縦に振ったを確認すると、イーリスはすぐさま先行して這入りこんだ別の白布を斬りつける。

 

 風が強いのも相まり、火の粉はあっという間に広まった。イーリスの貌を覆う頭布越しに、視界はあかい光で包まれていた。深夜だというのに、周囲は目映く照らされ、熱く小さな紅緋べにひの光の粒を散らしている。

 炎で崩れ落ちる枝葉を躱してイーリスは突如立ち止まると、高く跳躍して振り返った。其処には袖のない白服はくふを纏い、その手に長槍を携えた男たち。男のひとりが高らかに叫んだ。

 

「貴様たちは、双つ星の命により、昊へ還されることが決まった。大人しく、縄に付きなさい」

「死ねと言われて死ぬやつがあるかい」

 

 イーリスはきっぱりと言い切ると、白布しらぬのの男のひとりへ詰め寄り大剣を薙ぐ。赤黒い鮮血が弧を描いて散らされ、男が聲もなく崩れ落ちると同時にまた、別の男のの喉元目掛けて大剣を振り上げる。寸での処で躱した男は聲を上げた。

「くそ、混色ハオスのくせに何て身のこなしなんだ!」

 

 その瞬間。

 

 風烏アエリーゾがびゅうっと強い風を一吹きし、イーリスの頭布をさらった。粗末な生成布からは、豊かな黄石トパーズ瑠璃ラピスラズリが波打って溢れ出す。翻った外套マントからは筋肉質ではあるものの、うっすらと凹凸のある女の体躯。

 

「な……!而も、女……だと!」 

 男の驚愕した聲。それも無理のないことだ。イーリスは女にしては上背のあり、重量のある大剣を軽々と片手で操っている。イーリスはにやりと口端を持ち上げた。

 

「はん、女で悪かったね」

「なんで混色ハオス、而も女の癖にそんなに力があるんだ……!」

「さあね。双つ星に聞いてみ……な!」

 

 イーリスは勢いよく大剣を振るい、今度は的確に男の喉を裂く。続けざまに後方より忍び寄っていた男の肚を蹴り上げて樹木に叩き付けた。イーリスは大剣を握り直して未だ燃えていない茂みに向かって一喝する。

 

「今のうちだ!早く逃げな!」

 

 茂みに身を隠していた数人の男女おとこおんな。逃げそびれた集落の民だ。貌や衣服が煤や土まみれで、中には負傷している者もある。そのうちのひとり、金紅石ルチルのような赤銅と金黄の織り混ざった髪色の女が応えた。

「ありがとうよ、イーリス。あんたも早う逃げるんだよ」

「ああ。みなを逃がしたらすぐに合流するよ」

 

 イーリスは目元を僅かに和らげると、すぐさま踵を返して、炎の渦中へと身を投じた。

 広場のあった場所では、既に息絶えて、星の廃となって火焰とともに昊へ運ばれていく混色ハオスもあった。イーリスは唇を噛み締めた。既にあの白布はくふの男たち――送者ディミオスの軍勢が押し寄せて一刻いっときは過ぎている。

 

「誰かいるか!」 

 イーリスは聲を張って呼びかける。イーリスも長くはいられない。燃え盛る木々の熱に皮膚はだが、喉が焼けるように痛む。煙が眼に染みて、一寸目を細めると、轟音が頭上から鳴った。急ぎ見上げると、目映い紅緋の粒を散らして焔に包まれた木片。 

 (しま……!) 

 回避しようと身體を捻るも、間に合わない。イーリスは死を直感して目を瞑る。すると、瞬刻も待たずにイーリスの腕を何かが掴み、引き寄せられた。

 

「イーリス!」

 

 イーリスは己を呼んだ聲主に瞠目した。

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