煌星の天弓

花野井あす

第1話 前夜

 黒瑪瑙オニキス金剛石ダイヤモンドの双つ星が照らす彩の地クローマに、夜のとばりが下ろされた。双つ星に代わり、小さく鮮やかな翠玉エメラルド紅玉ルビー灰簾石タンザナイトなどの宝石が真闇まくらな昊を彩る。

 風烏アエリーゾの運ぶ乾いた風が始まりの泉カスレフティスの水面を撫でて波紋を造り、宝石たちの像を揺らがせる。泉のそばに聳え立つ神殿で、黒布こくふ白布はくふを巻いた男たちが円卓を囲んで坐していた。みな、くすみひとつない髪を流し、深刻な面持ちをしている。男のひとりが、高らかに聲を上げた。

 

今年こんねんになってから、雨烏シーネフォがめっきり雨を呼ばなくなってしまった。これは由々しき事態だ」

 

 男の言葉に、数名の男たちが頷く。彩の地クローマは酷い干ばつに悩まされていた。雨を呼び、地上へ恵みの雨をもたらすはずの雨烏シーネフォの群れが訪れないのだ。彩の地クローマの民にとって、双つ星の瞬きと同程度に、雨烏シーネフォのもたらす清水は欠かせない。

 するとやおら別の男が手を上げた。

 

「きっと、あの忌まわしき混色ハオスなぞを生かしておるから、漆黒の王セリニ純白の王イリョスがお怒りなのだ」

「そうだ、そうに違いない!」

「そうでなければ、漆黒の巫子セリノーフォスが不在なはずがない」

 口火を切ったように、男たちが罵り聲を掛け合う。彼らはみな狂ったように爛々と眼を光らせ、口々に「混色ハオスを送れ、昊へ返せ」と叫んだ。

 

「静粛に」

 

 しんとした女の聲が、男たちの騒音を遮断さえぎった。しゃらん、と女の耳元を彩る金造かなづくりの飾りが音を立てる。白い亜麻布リネンがさらさらと衣擦れの音を鳴らして、白髪を流したその女は淑やかに男たちの目前で立ち止まった。その真っ直ぐと男たちを見据えた瞳もまた、光瞬く白い金剛石ダイヤモンド。男のひとりが聲を上げた。

 

純白の巫子イリオファーニア。どうして此方こちらに」

 

 白髪の女はしっとりと微笑みをたたえる。女は、双つ星のうち、純白の星に仕える巫子。彩の地クローマの民を導く、唯一の白色はくしょく純色アグノス。女はおもむろに口を開き、静かに告げた。

 

「話は聞きました。由々しき事態です。巫子の名の下に、送者ディミオスの派遣を許可いたします」

「なんと!」

 

 純白の巫子イリオファーニアの言葉に多くの男たちは歓喜した。白髪の女はそっとその真白の細腕を持ち上げて男たちの口を噤ませると、冷ややかな聲音こわねで言い放った。


 

「あの彩の地クローマの穢れ――混色ハオスをすべて、駆逐なさい」










 ぴーひょろろろ……

 

 柔かな風を風烏アエリーゾが運ぶ。暖かな陽光が白と黒の双つ星から降り注ぐ。常闇とこやみ樹林もりの一角にある混色ハオスの集落で、イーリスは歩行あるいていた。

 あかや靑、みどりや黄と幾つもの色で髪を彩る男女おとこおんなたちの間を、頭布かぶりぬので髪を隠したイーリスはひときわ目を引いた。それは決して上背のあるからでも、筋肉質で性を感じさせないからではない。一頭の熊を片手に担いでいるからである。

 

「やあイーリス。また凄い獲物だね」 

 横を過ぎた女がイーリスへ聲を掛けると、イーリスはにやりと微笑み、凛としたアルトの聲を鳴らした。

 

「エーラトさんとこで悪さをしていたから、ついでにとっ捕まえたのさ」

「流石イーリス……ついでが大きいね」

「はは、それだけがあたしの取り柄だからね」

 

 からからとイーリスが笑うと、また別の男女おとこおんなたちが近寄って、まじまじと仕留められた哀れな熊の亡骸を見物する。そのうちのひとりが聲を上げる。

 

「おや、今日はクスィフォスは一緒でないんかい?」

「あ――、今日は危ないから外したんだよ。熊の相手は流石にね。だから、今日はアンティリーノさんの手伝いに行かせてる」

「ということは、西の集落へ行ってるのか」

「そうだね」

「そりゃあ、たいそう悔しがってたんでねえか?」

 

 どっと集落の者たちが肚を抱えて笑う。彼らはみなこの集落の民――だが、一人たりとも家族や兄弟を持つ者はない。昊の宝石から彩の地クローマの民はみな、生まれながらにして孤独ひとりであり、家族なのだ。

 イーリスが集落の中央にある広場で熊を下ろすと、ぞろぞろと助太刀に来た男女たちが熊を捌き始める。熊の肉はあまり柔らかくないが旨味が多く、滋養がある。集落の者たちは愉しげに「今晩は熊鍋だ」と談笑した。

  

「いつもありがとうね、イーリス」

「どうだい、今夜はあたしらと過ごさないかい?」

「何を云っているんだい。あたしが先だよ!」 

 数人の女たちがイーリスの腕を掴んで口々にせがむと、イーリスは苦笑いを浮かべて頬を掻く。その横で男たちは肩を落として互いに励まし合っていた。 

「相手がイーリスじゃあ、勝ち目ないよ」

「あいつ、男より男らしいからな……」

「くう……」

 

 無論、その嘆きはイーリスの耳に届いており、イーリスは気不味い気分になる。イーリスはすっくと立ち上がると、ひらりと女たちに手を振った。

「じゃあ、あたしはいつものとこにいるから、何かあったら呼んどくれ」

「ええ、もう行ってしまうのかい?」

「悪いね」

 にって口端を上げて笑うと、イーリスはその場を後にする。イーリスの背を見届けていた女のひとりが何となしに言葉をこぼす。

 

「イーリスって何時からこの集落にいるんだっけ?」

「結構、昔からだろう?」

「え、イーリスってからずっと此処じゃないのかい?」

「いいや、元は余所者よそもんって聞いたよ」

 ふうん、と数人の男女たちは呟くが、既に其処にはイーリスの姿は無かった。

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