皇女の遣い――若葉 さつき
霊園で納骨を終え、外務省に向かう。
車外の夜景に映る自分の姿は、いつにも増して薄白い。
今が正念場なのは分かっているのに、心が置いてきぼりだ。まだ悪夢から覚めていない。
父の死場所となった外務省庁舎裏の道路は、まだ通行止め。わたしたちは正面から登庁することにした。
「断ってもよかったのでは? こんな忙しい時に挨拶に来るなんて、常識的じゃないですよ」
一緒に後部座席に乗ってくれている
それは、忙しいと分かりきっている忌中の人間に、職務上の挨拶に来るなんておかしい。忌中見舞にしても、わざわざ遺族が出向くなんて聞いたことはない。
「常識的でないからこそ、この上なく重要な話なのだと思います。まずは相手の手のひらに乗ってみましょう。何を求めているのか、話を聞かないと」
今回呼び出したのは、ラングレー帝第一皇女、ヴィオラ殿下。実際に会うのは彼女の副官だが、皇女殿下からの忌中見舞という名目で、何か裏話を持ってきたようだ。
噂では、アルバーン博士の提唱した、GeM-Huが関わっている。事前資料に馴染みのない言葉があると、外務省がその気になる単語をピックアップしてくれたが、その中にGeM-Huという言葉があった。
世に出る前に凍結された研究。なぜ連帝がその話を持ち出すのか。
気になるなら、直接会ってみないと。
侍従2人を連れて、大臣としての執務室に入ると、眼鏡をかけた白人の大尉がいた。
「こんばんは大臣代理。この度はお父様のこと、誠に残念でございます。ヴィオラ殿下より、お悔やみの言葉を言付かっております」
生粋の瑞穂人にも負けず劣らず、とにかく丁寧に挨拶をする大尉。外交も気にする立場である皇女の副官になれた理由が分かるものだ。
簡単に世辞を言い合い、落ち着いたのを見計らいつつ、話を切り出した。
「この部屋は外交にもよく使う部屋ですから、室外から聞き耳を立てるのは困難かと思います」
「左様でございますか。
他人の部屋を探し回ったと公言する異様さに、思わず顔が強ばった。
そしてますます確信が強まる。
大尉は秘密裏の交渉を望んでいる。
「人払いは済ませてありますが、彼らは信頼出来る人間です。そばにいさせておきたいのですが、よろしいでしょうか?」
わたしの後ろに立ってくれている二人を大尉に紹介すると、彼は考える素振りを見せながらも、すぐに意を決したような目をする。
「そうですね。お二人のことは普段からとても信頼されているようですので、このまま話を進めましょう」
身辺調査がされている。
その事実に気がついたであろう武蔵さんは怪訝な顔をする。
コナー大尉は、自分が主導権を握っていると臭わせながらも、事務的な雰囲気を崩さずに話し始めた。
「今回ご協力をお願いしたいのは、青薔薇会のGeM-Huに関する研究開発の阻止です」
やはりGeM-Huが関わっていた。
しかも20年近く前からディニティコス研究所は計画を凍結しているのだから、まさか別の組織が研究しているとは思わなかった。
「ジェミューとは?」
大和さんが聞きなれない単語に関心を持った。
その疑問に、コナー大尉が答えた。
「Genetically Modified Humanoid。つまり、遺伝子組み換えヒューマノイドということです。レオナルド・アルバーン博士が25年も前に論文を発表していますが、その論文以外にGeM-Huという単語は引用されていません」
「つまり、その博士が関わっている訳ですか」
大和さんの理解は、前提を違えている。わたしから情報を足す。
「アルバーン博士は亡くなっています。関係者が研究を引き継いだというほうが正しいでしょう」
大和さんだけでなく武蔵さんも、「なぜ事情を知っているのか?」とわたしを疑うような目で見るが、ここで説明すれば本題とずれるだろう。
「おっしゃる通り、アルバーン博士は亡くなっているので、彼の研究データを流用している可能性が高いと考えております。
今回は情報提供があり我々も調査しているのですが、どうやら
確かに肥前県沖にそんな島があった気がする。防衛警察の所有地だったはず。
防衛警察ということは、冬月猊下の息がかかっている。枢機院であくどい噂が絶えない猊下なら、この汚い話もありえるだろう。
「その告発で、どのレベルまで研究が進んでいるかは言及されていましたか?」
「送られてきた文面からすると、納品できる状態のGeM-Huがいるようです」
「実用化されている……」
思いがけず研究が進んでいることに、言葉を失った。
当然、何か商品が実用化されるに至るまでには試作を繰り返さないといけない。
それがヒトの子どもたちで行われたことを暗示している。
なんと表現すればいいだろう。
非道徳的、汚らわしい、悪辣、人でなし……、そして、ヒトの生命に対する――。
「わたしの思いは決まりました。今回のお話に協力いたします」
まだ混乱も大きいが、放っておける問題ではないのは明白だ。
まっすぐ大尉を見つめ、はっきりと答えた。
「教皇聖下や総大司教猊下のご意見は聞かれなくても?」
「総大司教猊下を通して、『今回の件は一任する』と教皇聖下から伺っております。聖典ではっきり言及されている『生命への不敬』でもありますので、教皇聖下も同じ答えをされるでしょう」
訝しげだった大尉も、納得したように頷いた。
そして、また部屋を見回し、警戒する様子を見せる。
そして、わずかながら声を潜め、話し始める。
「今回ご協力いただきたいのは、三つの点です。
まず、瑞穂国内で行われる軍事作戦となりますので、貴国での作戦遂行にお力添えを。現時点で立案されている作戦でも、銃火器を携行する必要があります。穏便に済ませられればよろしいのですが、相手が相手です。ご理解をお願いいたします。
次に、作戦チームの編成に際し、できるだけ民間人で作戦を行いたいことから、公務員としての資格のない人員を充てていただけないでしょうか。公務員は足がつきやすいため、できるだけ避けたいのです。
ただ、チームの監督者として、若葉大臣代理には作戦に参加していただく予定です。
最後に、皇室海軍から1名、この作戦チームに参加させる予定の者がおります。チームのリーダーにするつもりはありませんが、戦わせると優秀な人員です。その者と仲良くしていただければと思います」
どれも問題になる話ではないが、気になるのは一向に資料を出さないことだ。おそらく、証拠を残したくないのだろう。
やりづらい。
でも、それがいい。紙があると、お互い困るのだから。
「承知いたしました。私として問題はないですし、教皇聖下もそのくらいならば何も言わないかと存じます。何しろ、掴みどころのない幽霊のような案件です。公にすれば誰かは批判しますが、政治的には問題ないかと」
青薔薇会がどんな輩かは知らないが、止めないといけない。それだけは分かる。
大尉が時計を気にし始めた。
「どうされましたか?」
「約束の時間なのです。先程申し上げた皇室海軍の者が来る頃かと」
話の主導権は最後まで放さなかった大尉は、おもむろに立ち上がると、「失礼いたします」と盗聴対策がされている部屋を出た。
引き止めることもできる。最低限、協力を打診されている立場だ。持ち上げてもらわなければ断るような案件だと思う。
なんだったら、あえて失礼をするなり交渉術はある。
それでも、とりあえずは皇女にリーダーシップを執らせよう。
目的は一致しているのだから。
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防衛警察――瑞穂国の国防組織。陸上防衛警察・海上警察・航空警察をまとめて防衛警察と呼ぶ。
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