黒の作戦――ヘイデン・コナー

“もしもし?”


 電話先からあくびが聞こえた。


“おはようアルバーン一等兵曹。よく眠れたか?”


 受話器を肩に挟み、このあと黒く塗り潰す資料をペラペラとめくりながら、アルバーンが眠気から覚めるまで待つ。


“何のご要件? ていうか誰?”

“特殊作戦艦隊特殊作戦局所属で、ヴィオラ・ラングレー大佐の副官をしているコナー大尉だ”


 まだ完全に起きていないのか、伸びをする声が聞こえる。直接の上官ではないにしても、部下への電話にこんな気だるそうな対応をされるとは思っていなかった。


SOFエスオーエフ? あの隻眼姫の副官でしたか”

“皇族であらせられる方にあだ名は付けるな”


 今上皇帝のご長女になんと恐れ多い。

 肝は座っているが、身の程知らずと言ったところか。


“で、ご用件は?”

“実はあなたに、公式ではないが依頼がある。断ってもいいが、その時は不名誉除隊になると思ってくれ。

 今回、妙な告発があってな。離島で地下組織が人体実験を行っているというリークがあった。

 まだ真偽を確かめている段階ではあるが、あなたに今回の作戦に参加してもらいたいと思っている”


 我ながら、不親切な説明だとは思っているが、誰が盗聴しているかも分からない今の時代、詳細な点を電話で話したくないのだ。


 アルバーンも通信兵だ。事情は分かっているだろう。


“金は出ます?”


 思わず鼻で笑ってしまった。

 気にするのはそこか。


 受話器が当たってずり落ちそうになる眼鏡を直しながら、話を進める。


“手当は出す。現金だがな”


 銀行を通さず、直接現金を渡す。

 その意味を理解したアルバーンは、先程よりも声のトーンを下げた。


“何かヤバいことさせられます?”

“今、ルナ・アルバーン一等兵曹は軍務に就いていない。

 海軍としては、外部委託をしていることになる”


 書類に目を落とす。


 表題にはただ一文字、“Iアイ”と書かれている。

 “1”を意味するようにも見え、“わたし”を意味するかもしれない。ともすればただの縦棒だ。そんな作戦名を付けるのは、欺瞞のため。大佐のセンスだ。


“なんでわたしが……”

“最初に言った通り、断れば不名誉除隊だ。軍事裁判の判決書は二つ用意してあったが、そのもう一方にバトラーButler大佐とラングレー大佐が署名すれば、判決を変えられるぞ?”


 電話の向こうで、アルバーンが悪態を吐く。


 不名誉除隊になれば、一般社会でも前科者のような扱いになる。今後の就職にも影響するはずだ。軍人にとって、銃殺刑の次にキツい罰は不名誉除隊だろう。


“…………はぁ……。どこで話し合うのですか?”


 電話の向こうで階段を降りているのか、ゆっくりだが規則的な足音が聞こえる。


“あなたは長期休暇の時はいつも、伯母の家に帰っている。間違いないな?”


 電話の向こうで、その伯母とやり取りしているらしい声が聞こえる。


「――ごめん、今呼び出しがあって――」“――はい、伯母の家にいます”

“よし、ならば近くで駆逐艦がドック入りしているはずだ。その中で話そう”


 入渠している駆逐艦に入れる者は限られている。特に機械を使ったうるさい作業中なら盗聴は難しい。

 ネヴィシオン人の信仰とも言える船への信頼感は、他国の人々には異様に映るかもしれない。だが船殻せんこくに守られた密室は、外の世界と切り離された空間だ。

 電波も通しにくく他者が入れない聖域は、事実として防諜には向いている。


“では、いつ落ち合いますか?”

“羊の3だ”

“了解”


 さすが通信兵。すぐに分かってくれた。


 受話器を下ろすと、ラングレー大佐がちょうど入室された。


“アルバーンは反抗したか?”

“失礼はありましたがね。やる気は出してくれました”


 計画書の中にあった、“DDディーディー-112 サリエルSariel”と“15:00”の一文を塗り潰す。

 マスキングした文字が透けないか、照明に照らして確認する。


“ところで――。この告発が事実だとして、大佐はどれほどの脅威になると思われていますか?”


 わたしは気になっている点を聞いてみた。

 もちろんラングレー大佐のお考え通りに動かなければ作戦に支障が出るのも知っている。疑っている訳ではない。

 だが軍を動かしてまで研究を阻止すべきなのか、その意義が見いだせないでいる。


“ストレートに言えば、“分からない”、だ。


 人命がかかっていること、未知の研究が行われていることは理解しているが、俺たち連合帝国の国民でもなければ、裏組織が勝手にやっていることだ。

 だが、一人の一般市民が吐いた嘘が遠因になって、国が亡びる戦争も起きた。あの世界大戦だって、ブラック・ハンドが大公を殺したことが原因だったが、現場はグダグダで、偶然下っ端がターゲットを見つけて弾を二発撃っただけだった。


 だから、戯言でも本気で行く。

 まずは情報戦だな”


 殿下がその気なら、わたしも本気で行こう。

 自分を納得させるには十分だった。



 ふと、ラングレー大佐が思い出したように天を仰いだ。


“情報戦と言えば――”


 妙な時間を取られるものだから、もどかしい時間が流れる。


“瑞穂の外務大臣が死んだ”


 そして無感情な声色で、大佐がそう告げた。


“何があったのですか?”

“防弾車が爆破された。まだ確認中だが、かなり強力な爆弾だろう。外務省の裏通りだ。近くにマンホールもなく、目立った不審物の報告もないし、車の底に設置してあったんじゃないかと思っている”


 防弾車の中にいた要人を殺すとなると、対戦車地雷並の爆薬だ。

 考えられる犯人は――。


“十月革命ですか?”

“犯行声明があった。そう思っていいだろう”


 対戦車兵器を入手できる裏組織は、瑞穂国内には十月革命と椿会しかない。だが椿会には動機になるような恨みが外務大臣に対してまったくなく、考えづらい。

 自己申告まであったとすれば、十月革命だろう。

 大方、爆薬を国際共和党から仕入れたのだろうな。


“作戦Iではお前が瑞穂外務省に打ち合わせに行くと想定している。気をつけろよ”


 計画書の次のページには、確かにわたしの名前が書いてある。瑞穂と交渉するのは、わたしの役目だ。

 その箇所を繰り返し読み、間違いのないことを確認し、自分の名前を黒く塗りつぶした。




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SOF――特殊作戦艦隊Special Operation Fleetの略。

国際共和党――諸国の完全共和主義を掲げる政党の連合体。基本的にはオイゲン共和党が盟主。

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