死の呼び声――内海 疾風
8時になると同時に、通知が鳴る。
スマートフォンをポケットから取り出すと、懐かしい名前が見えた。
3月22日。レオの命日だ。
優秀で未来の明るい科学者だと信じていたが、彼のそんな未来は道半ばで立ち消えた。死は平等かつ理不尽に彼を選んだ。
研究所前のカフェに立ち寄り、コーヒーを貰う。馴染みの店だし、わたしが顔を見せればいつものカプチーノをタンブラーに淹れてくれる。
研究所の事務所に顔を出し、そのまま所長室に入る。
壁にはめ込んだ棚には、ぎっしりとファイルが並べられている。その一角を見れば、レオの論文をまとめたファイルもある。
久しぶりに、読んでみようと思った。
まずは、メールが来ていないか確認するためにパソコンを起動する。
わたしは資料を紙にまとめておくのが好きだ。紙ならすぐメモを入れられるし、それをどこかの誰かに覗かれることもない。
わたし個人として、セキュリティーソフトも信頼していない。
見開き一番、レオが生理学の博士号を取得した時の論文が出てきた。
早死したからファイルもこの厚さだが、
レオは特に
疎む同僚も、多かったがな。
そして、彼が分子生物学学会から「異端」と呼ばれた原因が、この論文。
「遺伝子組み換え技術のヒトへの応用 その利点と実用化に向けて」
遺伝子組み換え人間について、レオはGeM-Huと名付けていたな。
もちろん、生物工学に関わっている人間なら、誰もが考えたことがあるだろう。
だがこの論文は、人体実験を厭わない論調で、生命倫理の観点から学会で大問題になった。今で言う「炎上」だな。
「ヒトゲノムの解析が完了した今、様々なパターンのヒトゲノム編集を行うことで、現人類への応用に向け研究が格段に進む」。つまりヒトゲノムを編集した受精卵をサンプルとしてばら撒き、どう成長するかを見守る。
冒涜だな。
同じ人類の生命に対する冒涜だ。
擁護したくても、これはさすがに引く。
でも、そんな彼も最後はかなり丸くなっていた。多分、あの子が産まれてからだな。
生命に対するの視点も変わったのだろう。
最後の論文も、「遺伝子治療の臨床試験は、HP3Sを用いて患者への負担を減らせる」という趣旨だった。
人体実験を正当化していた頃とは大違いだ。
タンブラーに口を付けたところで、熱くて飲めなかった。
いつもなら
苦味が落ち着き、パソコンのモニターをチラッと見ると、メールの通知があった。
わたしは研究の第一線を離れているし、何か学術的な話なら部長たちに任せるが、これは――。
差出人と件名を見て、どういうことかと目を細めた。
メールアドレスからすると、恐らく連帝軍。
多分連帝軍の大佐という意味だと思うのだが、なぜそこから連絡が来るのか分からない。ラングレーと言えば、確か連帝の皇家の一つだ。そんな皇族出身の軍人から、何のメールだ?
しかも、メールのタイトルにGeM-Huという単語が見える。
生物工学部の誰かと一緒に確認をしようと立ち上がり、思わずデスクに手をついた。
なぜか胸が痛いほどに動悸がしている。疲れたという症状ではないぞ。
鼓動がおかしい。明らかに不整脈を起こしている。
そして吐き気に逆らえず、朝食べたものを戻してしまった。
変だ。大きな病気をしたことがないはずなのに、突然心不全を起こすなんて。
――神経毒か!?
そうだ、あのコーヒーしか思い当たるものがない。
うちのカミさんをそこまで怒らせてはいないはずだ。朝食ではない。
知らない店員がいたから、多分……。
スマートフォンを操作する指が震えている。
副所長に電話を発信したところで、腹痛に耐えきれず、倒れ込んでしまった。
汚いと分かっているが、その床に
電話口の副所長の声が聞こえるが、腹の痙攣で何も答えられない。
レオ、お前と同じ命日になるのか?
副所長の音割れした呼びかけを聞きながらも、意識を保てず、どこかで考えが途切れた。
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生命倫理――生命に対する科学者の姿勢を論点とした倫理観。例えば、動物実験や人工中絶も生命倫理に関わってくる。
神経毒――毒は基本的に、神経毒と出血毒に分類できるが、中でも神経毒は神経に直接作用するので、反応が早い。麻痺や痙攣などを伴う症状が多い。ちなみに、毒蛇の毒は、コブラやウミヘビなどコブラ科が神経毒で、マムシやガラガラヘビなどクサリヘビ科が出血毒。
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