第6話

 ある日、彼の執筆を妨げる来訪者が現れた。

「フランチーク・レンロスくん、だね?」

 現れたその若者は、どこか軽薄な印象の男だった。

 当世風の身なりと、自信に満ちた顔つき。ある意味ではこの図書館という空間にもっともふさわしくなく、実際、それはまるで見覚えのない顔だった。

「おれはパヴェル・イオキア」来訪者はにやりと笑った。「きみと同じ、伯爵家の鼻つまみ者ってところかな。レンロス伯爵やきみの弟君とは社交の場で会ったことはあるが、きみとはこれが初対面だな」

 さすがのフランチークもイオキア伯爵家の家名は知っていた。現代においても皇帝派として名高く、皇帝からも様々な特権を付されている、帝国有数の大貴族の家門である。

 たしかに貴族のぼんぼんといった感じだな、とフランチークは思った。

「イオキア伯爵家の方が、いったいなんの用でしょうか」

「聞くところによると、きみは古代言語が得意だそうだね」

「専門は解放戦争史ですが」

「それはこの際どうでもいいよ。──おれはいま外征軍の特務機関に従事していて、化外人との連絡役を探している。その連絡役に、きみが適任ではないかと思ってね。おれにとっちゃあ、言語学なんていうのはちんぷんかんぷんだが、化外人は古代語を使うんだろう?」

 パヴェルの言うことは、おおむねは正しかった。

 古代においては大陸と大島はほぼ同一の言語を使っていたと考えられている。しかし大陸側では解放戦争後、言語における魔術的要素へとつながりうる語彙、文法、文字体系、発音、詩形がに修道会の主導によって排除された。この根本的な改定により、現代の修道会言語へと変貌したのだ。

 フランチークは苦々しく口を開く。

「言語学の専門家なら他にいるのでは」

「たしかにいたんだがね。この大学の学生の中から見繕っていたんだが、どうも例の政治党派とかかわっていたようでね。みんなどっかいっちまったよ。あっはっは」

「……」

「おっと! 気を悪くしないでくれよ。きみを選んだのは消去法というわけじゃない。家格も悪くないし、探検調査をこなすくらいの体力もある。その上、件のいかがわしい党派とのかかわりもなかったというからな。内心の点でも問題がない」

 内心、だって? フランチークは心の中でつぶやいた。いったいどのような権限があって、人さまの内心を値踏みできるというのだろうか。

「なあ、フランチークくん──いや、フランチーク・レンロス!」パヴェルは体を寄せて、強引に肩を抱き寄せた。「これは千載一遇の機会なんだよ。この大陸のなかじゃあ、おれたちみたいなのは飼い殺しのままで、けちなおこぼれしか回ってこない。実際、おれは三男で家を継ぐ見込みはないし、きみは長男だがお家から勘当されているも当然じゃないか。皇帝陛下は、この鬱屈とした世界の改革者なんだよ。巷じゃあ悪く言うやつもいるがね。外地進出こそがその改革なんだ。──おれと一緒に大島にわたって、一旗あげようぜ?」

 ベラベラと口の回る男だな、とフランチークは冷ややかに思った。この手の人間を信用する気にはなれなかった。むしろ軽蔑するべき人間の類型といえよう。

 ──大島にわたって一旗あげる、だって? カルドレイン王国だって馬鹿じゃない。なにせあの国は伝統的に陰謀に長けている。それに、化外人土候だって、オルゴニア帝国外征軍が企んでいるどおりに、動いてくれるだろうか?

 信用できない人間と、成算が見えない作戦。まったく心惹かれない勧誘だった。

 ──勝手にやればいいさ。しかし、こちらを巻き込んでくれるな。

「申し訳ありませんが、お断りします」

 パヴェルはじっとフランチークの目を見た。そして、ため息を一つ。おもむろに前髪をかきあげる。

「悪いが、実はきみにはこの誘いを断る権限はないんだ」

「はあ?」

「さっきも言ったが、おれは外征軍の特務機関に所属していてね。帝国内のものを徴用する権利が貸与されているんだ。外征軍の作戦のためには、きみは必要だ。必要だから、きみは徴用される。従わない場合は、すなわち脱走兵だな。……それがどのような意味を持つか、わからないきみではあるまい」

「──」

 フランチークは愕然とした。こいつ、なんてことをいいやがる!

 おののくフランチークをみて、パヴェルはにやりと笑った。

「まあ、仲良くやろうじゃないか。心配することはないさ。おれたちの伯爵家のご先祖さまは、もとを辿れは戦争で名を挙げた連中だったわけじゃないか。おれたちにだって、同じことはできるはずさ」

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