第5話 事故

 そんな学校に、十数年も務めていると、いろいろな生徒が卒業していった。

 それがまるで走馬灯のように、夢という舞台で、クルクルと回っているかのように感じられた。

 やはり夢というのは、見ている本人の、

「想定外」

 のような夢が見られるようで、明らかに意識するのが、

「時系列」

 であった。

 一晩の夢の中で、いろいろなことが、それこそ走馬灯のようによみがえってくる。

 もし、これが、同じ人が相手で見ている夢であれば、

「時系列に沿って」

 展開されるに違いない。

 だが、実際には時系列に沿っているわけではない。最初に、自分が赴任している最後の方の卒業生が出てきたかと思うと、今度は、別の卒業生が出てきた。

 よく見るとよく似ている。

「あ、今度出てきたのは、お兄ちゃんではないか」

 と感じたのだ。

 夢に出てくるのは、本当に走馬灯のように、ランダムで、いつの時代が出てくるのか分からない。

 そういう意味で、

「走馬灯のように」

 という表現なのかも知れないと、本郷は感じたのだ。

 最後は、三年前だった。その三年前が、はるか昔に感じられるのに、夢の中では、赴任してきた、フレッシュな時期が、つい最近のように思えた。

 それは、別に新しい学校に赴任してきて、新鮮な気持ちになったからではない。

 何しろ、この学校に来てから、

「新鮮な気持ち」

 になれるわけなど、あるはずもなかった。

 この学校がどうの、あるいは、前の学校がどうの、

 というものではなかった。

「どうして、本郷が、前の学校を移ることになったのか。そして、そこに、なぜ新鮮さなどというものがないと言えるのか?」

 ということなのだが、

「俺には、そんなことを考える資格なんかないんだ」

 という、完全に後ろ向きの考え方である。

 それを思うと、本郷が、夢を見始めたというのは、何か曰くがあるのではないかと、考えさせられるのだった。

 学校は、公立中学であったが、大学の付属中学ということで、中学受験を乗り越えて入学してきた人たちばかりだった。

 ということもあり、地元の人間ばかりではなく、通学できる子は、電車で通学してくる子の結構いたのだ。

 もちろん、通学できない子のために、学校が寮も用意していて、学校から歩いて数分のところにある寮から通っている生徒も若干ではあるがいたのだった。

 そんなこともあって、駅までの道というと、学校から、長い坂を下って通うのだが、そこは、住宅地でもなく、どちらかというと、森のようになっているところであり、道は広かったが、住宅はそれほどあるわけではなかった。

 駅から、学校までは、その道が一番近い。ただ、少し遠回りをして他の道を通ったとしても、住宅街があるわけでもないので、歩いている人もほとんどが、中学生だと言っておいいだろう。

 そうなると、治安という面も含めると、学校側としては、

「なるべく、集団行動を取って、帰る時は友達と帰るようにしなさい」

 という指示を出していた。

 幸いなことに、この中学では、苛めらしいものはほとんどなく、友達も、数人同士で仲間を作っていることから、自然と、

「集団登校」

「集団下校」

 という形になっていった。

 生徒の方もそれなりに、一人で歩くということが怖いと分かっていたのだろう。

 それを思うと、学校からの帰り道、ちょうど、坂の中間くらいのところに、神社があるというのは、幸いだったのかも知れない。

 そこの神社はほとんど誰も来ることはなかった。早朝に、老人が散歩がてらにやってくるとは聞いたことがあったが、通勤通学の時間帯は、神社の境内を通り抜ける人はいても、お参りをするという人は見かけなかったのだ。

 それだけに、

「あの神社、怖いよな」

 とウワサされるところとなっていたのだ。

 以前、一度その神社で、鬼ごっこをしている小学生がいたという。

 その小学生が、急に行方不明になり、その日は見つけることができず、

「翌朝になって皆でまた捜しに行こう」

 ということになったのだが、今度は早朝に、先に先生が探しにいくと、ちょうど境内の賽銭箱の前あたりで寝ている姿が見つかったという。

 そのことは、人から聞いたことだったので、信憑性はないが、まるで、

「キツネにつままれたような話」

 ということで、子供にも聴いてみたが、その子は自分が行方不明になっていたという意識すらなかったようで、

「気が付けば、あそこで寝ていたんだよ」

 と言ったという。

「じゃあ、自分では、あそこで寝たという意識はあったのか?」

 と言われたが、

「正直なかったです。でも、まさか、自分が翌朝まで眠っていただなんて、自分でも信じられないです」

 というのだった。

 ただ、途中は不可思議であったが、子供が無事に見つかったのは間違いない。

 それからしばらくは、

「小学生は、保護者と一緒でなければ、神社で遊んではいけない」

 ということになったようだ。

 それが、今から、十年以上前ということで、すでに、そんなことを覚えている人もほとんどいないのではないかと思うほど、街は平和であった。

 他の街では、毎日のように、ニュースになるような事件があるのに、この街では、ほとんど起こらなかった。

 そういう意味で、

「この神社によって、この街は守られているのではないか?」

 ということになった。

「行方不明になった子供がいたが、それは、神社のせいではなく、むしろ、子供が無事だったことが、神社の御利益だったのではないか?」

 と、言われるようになったのだ。

 不可思議な話だったが、警察もそんな話を鵜呑みにできるはずもなく、近所に聴きこんだり、近くの防犯カメラの映像を解析したりと、できるだけのことはしたようだった。

 だが、いくら科学捜査を駆使しても、何も出てくるわけではなく、最期は、

「不可解なこと」

 として、解決を見るしかなかったのだ。

 何しろ、本人がまったくいなくなったという意識もなければ、誘拐による身代金の要求も、どこかで事故が遭ったことでの、

「事件に巻き込まれた」

 というような事件性もまったくなかったのである。

 それを思うと、これ以上の捜査は、進展する様子もなく、打ち切るしかなかった。

 家族やまわりは、

「本当に大丈夫なのか?」

 ということで、とりあえず。神社の境内に、防犯カメラの設置を行うなどの、防犯でできることは体勢として整えておくことしかできなかった。

 それでも、防犯カメラがついただけでも、家族もまわりも安心した。これで一応の解決がなったということだろうか。

 それからしばらくは、何も起こることはなかった。

 あれが、いつのことだったのか、正直、正確には憶えていない。それまでの唯一の、

「事故もしくは、事件と思しきこと」

 だったからである。

 しかも、事故なのか事件なのかも分からないという曖昧なことで、結果、そのどちらでもなく、事なきを得たということで、誰の記憶にも曖昧なこととなってしまったのだ。

 そのせいもあってか、人々の意識もほとんどの人が曖昧で、本郷のようにまだ曖昧ながら、

「こんなことがあった」

 ということを覚えている人はまだマシで、

「何だっけ?」

 と、事件そのものがその人の中で、風化してしまっているくらい、時間が経ってしまったのだろう。

 最近見る夢で、この時のことも結構出てくるのだ。

 しかも、

「つい最近あったことのようだ」

 という意識を持ってのことだった。

 そんなに昔のことだという意識もなく、そして、その時の自分は、まだ、先生になって間もない頃だったという思いがあるが、その思いはそのままで、しかも、自分が、転属させられて、

「別の街に引っ越したんだ」

 という意識も、一緒に持っていた。

 つまり、夢自体が曖昧であり、学校で生徒に教えている姿も夢に見るのだが、そんな時の意識は、自分が生徒になって、教えている自分を見上げているという、今までには感じたことのない意識だった。

 先生の授業はまさに理想的なもので、自分がかつて意識していた教え方そのものではないか。

「俺ってこんなに、理想的な教え方をしていたのだろうか?」

 と考えたが、

 そう思った瞬間、自分に訛りが生まれて、何を言っているのか、急に聞き取れなくなった。

 まわりを見れば、もう授業を受けているという様相がまったくなくなっていて、各々が好き勝手に、まるで自習時間のような、そんな喧噪とした雰囲気に包まれていて、完全に自由だったのだ。

 それを、先生は咎めることなく、黙々と授業をしている。

「誰も聞いていないのに、よく続けられるな」

 と思い、もう一度教壇の上に目を向けると、自分はいなくなっていたのだ。

 そこにいたのは、

「いや、あったのは」

 テープレコーダーが回っているだけで、声だけがスピーカーから響いているのだが、教室の騒がしさにかき消されてしまい、何を言っているのかも聞き取れなかった。

「これ、俺の声なのか?」

 普段と違って、2オクターブくらい高くなっているその声は完全に、部屋に籠ってしまい、たぶん、教室はシーンとしていても、ほとんどの人に聞こえないくらいの声ではないだろうか?

 その声を聞いていて、

「どこかで聞いたことがあるような声だ」

 と思い、それがいつだったのか、すぐには思い出せなかったが、一度思い出してしまうと、

「ああ、あの時の」

 と感じたことで、

「なるほど、これなら、聞こえないと感じるのも分かるわ」

 と思ったのだった。

 そう、あれは、高校一年生の時に、無謀にも、ただ、

「トロフィーを貰うという野心のためだけに出場した」

 という、あの言論大会ではなかったか。

 あの時は、とにかく、

「興味も何もないことのために、時間を拘束されて、何が嫌で、一位の人がトロフィーを貰うという、人の幸せを見せつけられなければならないのか」

 という思いだけで、その嫉妬心から、

「あんな思いをするくらいなら、あの立場に俺がなってやる」

 というつもりで、立候補をしたのだった。

 出場者を決めるホームルームで、先生は、本郷が立候補すると、

「そうか、立候補してくれるか」

 と言って、手放しで喜んでくれた。

 もし、自分が立候補しなければ、また、誰かに、人身御供にでもなってもらおうと、誰かを犠牲者に仕立て上げることになるのだろう。

 学校側が何を考えて。弁論大会などをしようと思ったのか分からないが、

「生徒の自主性と、教養をたかめるため」

 ということなのかも知れないが、今のままでは、同じ読み方をするのであっても、

「強要をたかめる」

 という、人に強制することを強いるような、そんなダジャレとなってしまい、そこには、ただ冷たい笑いが吹き抜けるしかないように思えたのだった。

 あの時の、本郷っは、自信に満ち溢れていて、

「入賞以外は想像がつかなかった」

 と言ってもいいだろう。

 悪くても、優秀賞4人の中には入っているだろうと思っていたのだった。

 さすがに、

「グランプリは、高望みしすぎだろうな」

 と思っていたが、心の中では、

「まんざらでもない」

 と思っていたに違いない。

 だが、結果として、実際には散々だったことは、前述のとおりだったのだが、

「まさか、ブービーだったとは?」

 と、30人ほどの中で下から2番目だったのだ。

 もし、下部リーグとの入れ替えのような状況のプロスポーツであれば、

「入れ替え戦」

 というものを戦う以前に、そのまま文句なしで、下部リーグへの転落が決まるレベルであった。

 それを思うと、

「なんでなんだ」

 とおもうのも仕方のないことだろう。

 無理を言って聞かせてもらった録音を聞くと、納得したというか、奈落の底に叩き落された気がしたのだ。

「俺って、あんなにひどい声をしていたのか?」

 と呟くと、聞かせてくれた友達は、それを聞くと、怪訝な声で、

「何言ってるんだ、これがいつものお前じゃないか」

 と言われ、大いなるショックを受けた。

「これが俺?」

「ああ、そうさ、きっと君は意識がないんだろうね。確かに自分で感じる自分の声と、テープに撮った声が違うように、テープの声こそが、まさしく、本人の声なんだ。だからそれを分かっていないと、誰もが驚愕する」

 というので、

「じゃあ、お前もそうだったのか?」

 と聞くと、

「ああ、そうだったさ。特に俺の場合は、放送部を背中にしょっているようなものだがら、そのショックは結構なものだったんだ」

 というではないか。

「どうやって、克服したんだい?」

 と聞くと、

「克服というか、最終的に、自分の声を好きになるしかないわけだよな。だから、その間に紆余曲折があったわけだが、細かいことまでは覚えていない」

 というので、

「それで好きになれたのか?」

 と聞くと、

「そりゃあ、好きになれなかったら、俺は放送部を辞めていただろうな。それだけ、放送部での自分の声というのは、生命線のようなものなんだよ」

 というではないか。

「俺には分からないな」

 というと、

「そりゃあ、そうさ。それだけ、放送部の人間は、声をいうものを大切にしているかということだよ。スポーツ選手が身体を壊して、活躍できなくなれば引退するのと同じで、俺たちが声を潰せば、表に出てくることはできなくなる。そんなものさ」

 ということを言っていた。

 夢の中では、授業をしている自分と、各々好き勝手をしている生徒が、同じ空間で関わっているはずなのに、姿だって見えているはずなのに、まったく見えていないようなその光景は、何を意味しているのか、よくわからなかった。

 こういう授業は確かに、自分にもかつてはあった。

 それこそ、

「生徒から苛めを受けている」

 と言ってもいいようなもので。下手に逆らえば、

「何をされるか分かったものではない」

 という意識があったのだ。

 しかし、自分にだって、少なからずの、

「俺は先生だ」

 というプライドのようなものがあったはずだ。

 それなのに、生徒には、そんなことは関係ない。

「勝手に先生が授業をしているだけで、こっちは、黙って聞いてやる必要はない」

 とでも言いたいのか、好き勝手だ。

 本当であれば、しかりつけて、それこそ、首に縄をつけてでも、おとなしくさせ、授業を成立させるべきなのだろうが、それこそ、先生としてのプライドを捨てたようなものだ。

 まるで、

「腕に物を言わせるという行為は、違う土俵のものを持ってきて、剣の勝負に、飛び道具を使うようなものだ」

 という気持ちになるだろう。

 だが、いうことを聞かない連中に、いうことを聞かせるには、

「目には目を、歯には歯を」

 という作戦しかないのではないか?

 それを思うと、

「相手が生徒で、先生が手を出すことはできないというという弱点」

 それをつくのであれば、こちらにも考えがある。

「皆の、内申書、覚悟しとけよ」

 と言えば、少しは効果があるかも知れないが、それは脅迫であり、本当に通用すればいいが、相手のプライドというものにある堪忍袋を切ってしまうと、もう収拾がつかないだろう。

 堪忍袋というのは、人にはいくつもあって、その結界を超えることは、たくさんあるのかも知れない。しかも、人それぞれで違っているのだから、一人を相手にするだけで大変なのに、複数名を相手にするということが、どれほど難しいというのか、本郷にも、先生になって、このような屈辱を受けることで、やっとわかったのだった。

 しかも、この場合の堪忍袋は、

「暴力」

 を相手にするものだった。

 相手は複数、そういう意味では、ここで、立場を利用しての脅迫は、暴力による喧嘩において、

「先に手を出してしまった」

 ということになるのだろう。

 最初の頃の夢は、そんな生徒との葛藤が辛かった時期だった。

 しかし、そんな連中が卒業していくと、今度は、まったく挑戦的な生徒はいなくなって、授業も真面目に聞いてくれる生徒ばかりだった。

 と言っても、その代わり、不登校の生徒が数人いるので、教室は、若干寂しい、

 さすがに、

「騒いでくれ:

 などと、以前のことを考えても、口が裂けても言えるわけのないことであるが、それでも、空気が抜けたような雰囲気は、いつ突風に変わるか分からないという静寂に思え、

「嵐の前の静けさ」

 を感じさせ、自分の中で、不安ばかりが募るという感覚であったのだ。

 だからであろうか、自分の中で、

「気を抜いてはいけない」

 という気持ちがあったのも事実だった。

 「神経質」

 と言われるのも、

「石橋を叩いて渡る」

 という性格がもたらしたものだということを自覚しているからであろう。

 だが、一つ自分の中で懸念があった。

「あまり気合ばかり入れていると、ふとした油断が、この時とばかりに、自分に襲い掛かってくるのが怖い」

 というのもあったのだ。

「急に襲ってくる突風は、普段から、用心深い性格であるだけに、想定外であれば、何をどうしていいのか、分からない。分からないからこそ、普段から緊張している。それをまわりは、神経質だと見るのだろう」

 と思っていた。

 この思いは、緊張というものや、神経質というものを自分の中で納得させようとしているものなのだろう。

 弁論大会への出場の時も感じたのだが、

「俺はとにかく、自分に納得したい」

 という思いがたぶん、人よりも強いのだろう。

 この思いがあるからこそ、教師になってから、今まで、紆余曲折はあったが、

「たぶん、負のスパイラルを起こすことはなかったんだろうな?」

 と、ポールダンスをしているかのように、らせん状に落ちてくる様子を想像したが、その顔が自分ではない別人であることを認識したのだった。

 だが、それでは、

「あの夢に出てきた、自習のような光景は何だったのだろう?」

 と感じた。

 つい最近のことのように思えたのだが、冷静になって思い出すと、あんなこと、今までの授業ではなかったような気がした。

 それなのに、その生徒が卒業すると、平和が戻ってきたかのような、取って付けたストーリーが、リアルな思い出のようによみがえってきたのは、錯覚だったのだろうか?

 そんなことを考えていると、本郷は、夢というものが、

「どこまでリアルなんだろう?」

 と感じるようになったが、その次に見た夢で、

「ああ、やっぱり、夢というものは、リアルな思い出が、基盤となっているのだろう。しかも、トラウマになるようなことであったとすれば、なおさらだ」

 と感じたのだった。

 相変わらず、

「あれは、いつのことだっただろう?」

 という疑問から、夢は始まる。

 そして出てきた場面は、通学路に位置する、

「坂の中腹にある、神社だった」

 ということであった。

 そこで起こった事故、それが、本郷の運命を変え、それまで、ほとんど何もなかったという伝説とまでなっていた街に、センセーショナルな話題をもたらした事故が起こったのだ。

 他の街では、毎日どこかで起きているような、言い方は悪いが、

「些細なことだ」

 といえることだけに、それまで何もなかったこの街が、

「本当に幸せなのだろうか?」

 といえるかということであった。

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