第3話 神経質と勧善懲悪

 本郷は、その日から、電話のことが気になって気になって仕方がなかった。

 最初は、自分がまわりから言われるだけで、言われたことが自分だけなので、

「気持ち悪い」

 とは思ったが、他の人にも聞こえるというのは、ちょっとおかしな気がしてきた。

 聞こえたのが、自分だけだというのであれば、

「どうせ錯覚なだけなんだ」

 ということで、人から何と言われようと、すぐに忘れてくれるということで、それ以上は何もないと思っていた。

 しかし、他の人も聞こえたとなると、話は変わってくる。

 もちろん、錯覚ということがまったくないとは言えないが、

「限りなくゼロに近い」

 といえるだろう。

 しかも、自分が言い出したことで、他の人が騒ぎ出したというのであれば、話は別なのだが、

「どこかからか、電話の音が聞こえる」

 ということは話していない。

 なぜなら、これが今の電子音の電話の音であれば分からなくもないが、これが、黒電話という、普通であれば、存在しないはずのものが聞こえてくるというのは、いかにもウソっぽいと思われるか、オカルト話のようで、気持ち悪がられるだろう。

 どちらにしても、このことを口外するということは、完全に、自分に不利になることであって、まったく意味のないことを口にするようなことはしない。それをするくらいなら、

「人のウワサも七十五日」

 とばかりに、何も言わないのが、かしこいに違いないのだ。

 本郷は、だから、他の人が、騒ぎ出したのを聴いて、自分から、

「ああ、それは私も感じたことがあります」

 などということは言わない。

 下手に煽ることになるし、最初から、やり過ごすという目的だっただけに、余計なことをいうと、意味がないと思ったからだ。

 だが、一人で抱えているのも少しきつい気がした。

 だから、気になって仕方がないというのも、無理もないことであり、

「俺は誰にも話していないのに、どうして、黒電話という話が出てくるんだ?」

 と考えたのは、黒電話という意識をその人が持っているから、黒電話を意識している自分が無意識に、気になってしまうということになる。

 しかし、人が、何の脈絡もなく、

「黒電話」

 という言葉を言い出すのだとすれば、これはもはや錯覚ではない。誰かが悪戯していると考えるのが、一番考えやすいだろう。

 しかし、何の目的で、であろうか?

 一番考えられるのは、

「住民にその部屋から退去してほしいために、怖いウワサを流し、出て行ってもらうように仕向ける」

 というものだ。

 しかも、これが、普通の電話ではなく、昔の黒電話ということになると、何か曰くがあるのではないかと思うだろう。

 昔という言葉がキーワードであって、それこそ、きもだめしなどの仮面をかぶった幽霊であっても、その効果音であったり、光の具合などで、恐ろしく見せるという演出がある。

 ただ、この場合は、幽霊のようなものを見せてしまうと、それこそ、信憑性はない。とにかく、怖がらせるのが目的であれば、

「正体は決して明かさない」

 というのが、鉄則なのではないだろうか?

 そう思うと、

「幽霊というものは、姿を見せない方が効果的だ」

 といえるだろう。

 妖怪も、本当は姿を現すよりも、

「見えないが、何かがいる」

 と思わせる方がよほど恐ろしい。

 小説のジャンルでいうところの、

「ホラーとオカルトの違い」

 と言ってもいいだろう。

 ホラーというと、そのものズバリの、

「恐怖小説」

 と言ってもいいだろう。

 妖怪や幽霊や、ゾンビなどが出てくるもので、それが、劇中で暴れまくってみたりするいわゆる、

「サイコホラー」

 と呼ばれるもの。

 そして、オカルトというのは、超常現象や、都市伝説などのように、

「昔から言われていた、その土地に纏わる話であったり、人に話しても信じられないような話も、実はその土地の人にとっては、語り継がれてきたこととして、周知のことであったりというようなものが、オカルトと呼ばれるものではないだろうか?」

 と思っている。

 黒電話が、

「ジリリリーン」

 と鳴り響いた音が、しばらくは、耳に残って離れなかった。

「実際の音は、テレビなどでしか聴いたことがなかったはずなのに、これだけ深く残っているのは、それまでに聞いたことがあったからだろうか?」

 と思っていた。

 そこで、思い出したのが、子供の頃の記憶だった。

 あれは、どこかの工事現場風のところだったような気がする。

 そもそも、なぜ、自分がそんなところにいるのか正直覚えていないが、小さな頭に、大きな黄色いヘルメットをかぶせられていたのを思い出した。

 その場所はプレハブのようなところで、作業員のような人たちが、ヘルメットをかぶった状態で、出たり入ってり、ひっきりなしだった。

 それだけ皆は忙しそうにしていたということである。

 プレハブというのは、小学生の頃にも入った気がした。

 あれは、小学生の時、図書室が、別棟になっていたのだが、二年生くらいまでは、普通にあったのだが、途中から、なくなった。

 その間、プレハブのような、仮の場所を図書館のかわりにしていた。完全に、

「臨時の建物です」

 というのも分かっていて、その時、本当に最初の時、連絡用に、黒電話が置かれていた。

 最初は電話があるなしということまで気にしていたわけではないが、一度、

「ジリリリーン」

 という音が、建物に反響し、想像以上に響いたことで、そこにいた皆が振り返るほどだった。

 そんなことを気にする様子もなく、図書室の管理者が電話に出て、話をしている、その声は建物に反共していて、何を言っているのか、よく分かった。

 だが、内容など他愛もないことで、覚えているわけでもなかったが、あの時の着信音だけが耳に残っているのだった。

 なかなか当時でも見ることが少なくなってきた黒電話、時代としては、携帯電話が普及し始めた頃で、まだ、家に固定電話が多かった時代ではあるが、そのほとんどは、プッシュホン形式の電話に代わっていて、まさか黒電話があるとは思わなかった。

 だが、それも臨時的なものだということであり、実際には、数か月だけの命のようだったが、鳴り響くその音は、耳に残ったのだ。

 図書館は、老朽化による立て直しだということで、一年後には、立派な図書館ができた。本邦初公開となって、利用して見ると、

「あれ?」

 と感じた。

「立派すぎて、どうも自分には似合わない。自分がいる場所ではない」

 という意識を感じると、無性に、プレハブが懐かしかった。

 プレハブの建物だけではなく、黒電話の音も懐かしい。

 プレハブの建物は、黒電話がなくなって、プッシュ回線の電話になってからも、しばらくあり、本当に黒電話はあっという間だったことが、プレハブの最期の頃に黒電話があったのを思い出そうとすると、

「相当前だったな:

 と感じるのだった。

 そのくせ、新しい図書館にいくと、

「プレハブと黒電話の歴史が同じだったかのような錯覚があったのはどういうことだろうか?」

 しかも、新しい図書館に馴染んでいくうちに、

「ついこの間まであったプレハブが、本当は移ってきてから、一か月くらいしか経っていないのに、一年くらい前のような気がする」

 と感じていた。

 一年前というと、プレハブに黒電話が存在していた時期ではなかっただろうか? それを思うと、あながち、

「プレハブと黒電話がほぼ同じ時期に存在していた」

 という感覚は、

「間違いではなかった」

 というのも、ウソではなかったと言えるのではないだろうか?

「どうして、そんな感覚になったのだろうか?」

 ということを考えてみた。

 本郷は、少年時代から、些細なことでも、気になったら、そこで解決しておかないと気が済まないと思っていた。

 それは、彼が神経質だったというわけではなく、単純に、

「忘れっぽいからだ」

 といえるであろう。

 だが、神経質な性格は当たっているようで、まわりからは、少なくとも、

「あいつは、神経質なやつだ」

 と思われている。

 本郷は、

「神経質な性格」

 というのが、嫌いではなかった。

 むしろ、好きな方で、

「神経質なことが、どこまで本人にとって影響があるというのか?」

 と、神経質なくせに、どこかおおざっぱなところがある自分の性格に、疑問を抱きながら、一定のところまで考えると、それ以上は、いくら考えても結論が出ないということだけ理解しているのであった。

 ただ、神経質というのが、どういうことなのか、確かに難しいことではありそうだが、他の人がいうように、

「あまりいい性格ではない」

 とも考えられた。

 ただ、それでも、嫌いではなかったのは、

「勧善懲悪」

 という考えと結びついているという風に考えたからであった。

 勧善懲悪というのは、読んで字のごとく、

「善を勧め、悪を懲らしめる」

 ということである。

 基本的に日本人の中には、善悪の判断もさることながら、善と悪とで、いかに接するかということを明確に考えている人が多いということだろう。

 しかし、世の中、善と悪に分けた場合、

「善がすべて正しく、悪がすべて悪いことだ」

 と、一刀両断に示すことはできないと言えるだろう。

 理不尽なことも多く、それは歴史が証明していて、だからこそ、勧善懲悪のヒーローという形で、時代劇などのドラマができあがるのだろう。

 時代劇だけではなく、日本人の考え方の根底には、

「判官びいき」

 というものがあり、

 いわゆる、

「義経伝説」

 と結びついている。

「戦の天才で、ヒーロー視されている人間が、必ず強く、正義を貫けるわけではない」

 ということを、歴史が証明しているではないか。

 最後には兄に攻められて、自害して果てる。それこそ理不尽だ。

 義経は、兄が挙兵をしたことを知り、源氏再興と、平家打倒だけを夢見て、兄のいる鎌倉に馳せ参じ、そして、見事に平家を打ち破るわけだが、そこで待ち受けていた、権力闘争の、

「道具」

 として使われることになったのだが、いかんせん、戦の天才であっても、政治的なことに関してはまったく疎かった。

 しかも、まわりに従っている連中は、政治に疎い連中ばかりで、鎌倉から一緒に来ている人は、

「それはまずい」

 と言ったかも知れないが、義経は、結果自分の腹心の部下しか信じなかったのだろう。

 そこは兄と同じで、頼朝も、源氏の身内しか、信頼していなかったことは、これも歴史が証明している。

 だから、弟が自分の命令に逆らう形で、朝廷から官位を受けたことが許せなかったに違いない。

 義経の方としても、

「兄のために戦って、その恩賞として、朝廷から位をもらって何が悪い。むしろ、源氏の名誉ではないか?」

 ということを信じて疑わない。

 相手が頼朝でなければ、許されたかも知れない。

 しかし、その感情の裏には、

「坂東武者は、信用できない。やはり信じられるのは、自分の身内だけなのだ」

 というのがあったに違いない。

 そんな頼朝に滅ぼされた義経は、今の時代でも、完全に、

「時代が生んだ、ヒーロー」

 に違いない。

 平家を滅亡させた、神がかり的な強さ、その反面、政治や、権力闘争にはまったく興味がなく、

「平家を滅ぼした後、私はどうやって生きていけばいいのだ?」

 とばかりに、憔悴感が滲めていた義経は、今でいう、

「勧善懲悪」

 の象徴だったと言えるのではないだろうか?

 だからこそ、彼の官位を文字って、

「判官びいき」

 というのだ。

 義経の跡にも、勧善懲悪という意味で出てくる、

「悲劇のヒーロー」

 は結構いる。

 戦国時代の話で、

「戦国シミュレーション小説」

 と呼ばれるものの中には、史実とは異なり、本来であれば、歴史における、

「もしも」

 というのが存在すれば、その仮想の結果からさかのぼって、

「どういう物語ができるのか?」

 ということが、小説となって書かれていたりする。

 ここでの、

「勧善懲悪」

 というものの、善と悪はほど、小説の中では確定している。

 小説の中での、

「正義」

 というのは、豊臣秀頼で、

「悪」

 というのは、徳川家康

 ということになる。

 今のところ、

「歴史の史実としては、徳川の永遠の繁栄をもたらすためには、豊臣を滅亡させなければいけない」

 と家康が考えたことであった。

 本来の先代の秀吉との約束では、

「秀頼のことを頼む」

 ということのはずで、約束も成立していたはずだ。

 それをまさか、反故にして、滅ぼしてしまうのだから、歴史の、

「もしも」

 を考えると、

「シミュレーションにおいて、勧善懲悪を」

 と考えるのも無理もないことだ。

 さらに、悲劇のヒーローとして祀り上げられるのは、

「真田幸村」

 という武将の存在だ。

 彼は、秀吉に可愛がられ、関ヶ原の合戦では、父、昌幸とともに、秀忠軍を足止めしたという功績はあったが、敗者側に立っていたので、島流しになってしまった。

 そもそも、真田幸村という武将は、ほぼ、その人生は人質だったのだ。

 今の時代では、ゲームなどの影響と、大阪の陣で言われた、

「日本一のつわもの」

 という言葉、そして、

「真田丸の伝説」、

「最後の家康の首だけを狙った家康本陣突入作戦」

 というものが、脚光を浴びているだけで、大阪の陣での活躍以外は、

「そのほとんどを、父の作戦に忠実に従った息子」

 ということだけで、片付けられている。

 したがって、大阪の陣までの真田幸村というと、それほど目立った働きはなかったのである。

 その証拠に、

「真田が、九度山から脱出した」

 と、家康が聞いた時、

「親父の方か?」

 と、実際には、親父は死んでいるのを分かっていたはずなのに、思わず声に出してしまったのは、それだけ、真田昌幸に、いいようにあしらわられたという意識があるからだろう。

「息子なら問題ない」

 と言って、本当に問題にしていなかったということがうかがえる。

 こんな歴史的背景で、真田幸村が、本来なら、別に主君がいる、

「伝説の武将」

 を配下にして

「真田軍団」

 を形成し、どんな形であっても、家康をこの世から葬り去り、豊臣の天下が続くというようなシミュレーションが一番受ける内容だった。

 真田幸村に従う武将の中には、

「徳川四天王」

 と言われ、三河以来の譜代大名と言われた、

「本多平八郎忠勝」

 もいたりする。

 どうして、そんなことになったのかというのは、

「どうせ、フィクションなので」

 ということで、別にどこかに矛盾が孕んでいたとしても、内容の面白さから、かき消されるかも知れない。

 いや、むしろ、それくらいのインパクトのある内容は、却って、矛盾が含まれている方がいいのかも知れない。

 それだけ、話には信憑性のないもので、信憑性がないのであれば、却って、ウソで固めた方が、面白いというものなのかも知れない。

 そんなことを考えていると、歴史の、

「もしも」

 というのは、タブーなのかも知れないが、空想物語として考えるには、面白い。

 そこに、SFの要素が組み込まれ、タイムスリップして現代に来たり、逆に、こちらの人間が、タイムスリップで過去に来るということもある。

 ただ、過去に行って、歴史を変えてしまうという、タイムパラドックスというものを無視した形のものもあるが、

「果たして、これは許されるのだろうか?」

 と考えてしまうのも、無理もないことだろう。

 そんなことを考えていると、

「勧善懲悪」

 というのは、

「史実ではありえないことを、着色して変えなければならないことがたくさんあるということ」

 になるのであろう。

 勧善懲悪ということと、神経質ということは、ある意味、

「わがままな性格だ」

 と言ってもいいだろう。

 神経質な人は、すべてにおいて神経質ではない。

「他の人はスルーするようなことに関して、執拗に気になるから、神経質だといわれる」

 ということなのだろう。

 その一つが、たとえとして挙げられるとすれば、それが、勧善懲悪という管変え方なのではないだろうか?

 特に日本人には、その考えの人が多く、昔の時代劇など、ゴールデンタイムに流しても、かなりの視聴率が取れたのだ、

 今は、有料チャンネルの中にも、時代劇関係の専門のチャンネルが複数あるくらいに人気のシリーズがあって、今でも、変わらずファンがいるというのは、ある意味すごいことではないだろうか?

 これは時代劇に限ったことではない。ちょうど今から40年くらい前にあった。

「探偵小説ブーム」

 今でも人気の探偵が解決するシリーズだが、アニメで、それをリスペクトしたような内容のものもあったりして、それこそ、半世紀近く経っても、いや、そもそも、その探偵の活躍した時代が、戦前戦後と、さらに昔であったことを思えば、相当なものである。

「日本三大名探偵」

 と呼ばれる人というと、その時代の人なので、ミステリー小説というと、それ以降も、

「社会派推理小説」

 であったり、

「安楽椅子探偵系」

 であったりと、二時間サスペンスなどという番組が、ほとんどの曜日で製作されていた時代には、完全に、

「質より量」

 であったことがうかがえる。

「あんまり、ドロドロしたものを、ゴールデンの後の時間では見たくない」

 という考えがあるに違いない。

 そんな昔の番組を思い出していると、

「結局、ドラマなどの番組というと、最期に行き着くところは、勧善懲悪になるんじゃないかな?」

 と考えられた。

 勧善懲悪にしてしまうと、最期の締めにはちょうどいいのだ。特に犯人が、人を殺したくて殺したわけではない場合に、恩赦の気持ちがあったり、逆に、金のためだったり、私利私欲のために人を殺すなどという悪辣な犯人であれば、完全に、

「犯人を憎む」

 という考えから、犯罪の抑止にも繋がるというものだ。

「罪を憎んで人を憎まず」

 などという言葉は、正直、今の時代では、

「甘い戯言だ」

 と言ってもいいだろう。

 特に日本という国は、被害者家族に対しては、結構厳しい。

 当然のことながら、法律で復讐は禁止していて、

「法律が、犯人を裁いてくれる」

 というわりには、どんなにむごい殺人をしようとも、十数年で、ムショから出てくるわけである。

 殺された方の家族は、一生苦しむことになるのにである。

 そういう意味で、

「罪を憎んで人を憎まず」

 などという言葉を、被害者家族に対して、果たして言えるだろうか?

 それを思うと、世の中がどれだけ甘く、不公平なのだろうと言えるのではないだろうか?

 ただ、ここで、あまり罪を重くして、

「人を殺せば死刑だ」

 などということになると、今度は、

「法律そのものが、復讐に値するのではないか?」

 ということになるだろう。

 それを考えると、

「法律とは一体何なのだ?」

 と言わざるをえないだろう。

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