第2話 深夜の電話

 本郷は、幽霊や妖怪の類をあまり気にする方ではなかった。高校、大学と、友達と旅行して、

「きもだめし」

 のようなこともやったが、別に怖いとも思わなかった。

 信じる信じないの問題ではなく、

「何が怖いというのか?」

 という方が強かった。

 どちらかというと淡白な性格である本郷は、意外と、友達と話を合わせるのがうまかった。

 といっても、相手の話を信憑性を持って受け入れるわけではなく、ただ、話を合わせるというだけで、合わせるということがうまかったというだけのことだった。

 中学生の頃までは、真逆で、

「あいつは神経質で、急にどうでもいいことに変にこだわってみたりして、きっと、自分の中で、何かを許せないという感覚が強いんだろうな」

 と言われていた。

 しかし、基本は同じだった。

「何か、自分の中で、許せないと思うスイッチがあり、そこを押すと、とたんに神経質で、こだわってしまうところがある、だから許せないと思うのであって、それが大学生になってくると、許せないと思う感覚が少し緩くなってくるのかも知れない」

 と思うようになったのだ。

 だが、大学を卒業すると、急に自分が臆病になってきたのを感じた。

 ひょっとすると、いわゆる、

「五月病」

 というものに罹った後遺症だったかも知れない。

 大学時代に教育実習で、高校で勉強を教えた時は、緊張というのはなかった。

 感覚がマヒしてきて、何も考えられないという思いが強く、教科書を、そのまま読むのでも、緊張からか、完全に固まっていたような気がした。

 教育実習の時は、生徒も素直に聞いてくれた。

 いや、素直に聞いてくれたわけではなく、何も聞いていないのだ。自分が必死にやっているだけで大変だったので、それ以上の問題はなかったが、いざ、自分が教師となって、学校に赴任すると、

「あれ? 教育実習の時と反応は同じなのに、今は、誰も授業を聴いてくれていない気がする。俺はどうかしてしまったのだろうか?」

 と考えた。

 しかし、それは逆で、

「教育実習の時も別に聞いていたわけではなく、聴いているふりをしていたのを、気付かずに、自分でスルーしたことで、聴いてくれていると感じていたsだけなのだ」

 と思った。

 いや、逆に、聴いているふりをされたことを分かっていたのかも知れない。気づいていなかったわけではなく、気付かないふりをして、やり過ごしていたのは、自分の方ではなかったのか。

 それを思うと、

「これが、教育実習と、本当に教師になってからの違いか?」

 というものであった。

 教育実習は、あくまでも、

「予行演習」

 である。

 高校時代に弁論大会に出たことがあったが、あの時もそういえばそうだった。

「自分くらいになると、他の人に負けるはずはない」

 という思いが強く、予行演習の時でも、

「俺が一番だ。この通りに本番もできれば、優勝は俺のものだ」

 と思っていた。

 しかし、実際に大会になると、自分の演題の時、緊張をしたわけでもなかったが、正直、真っ暗な中で、自分だけがライトの当たっているという状態は初めてだったため、前がまったく見えないという状況に戸惑ったのは間違いない。

 だが、

「俺だけではないんだ」

 と思ったことですぐに冷静さを取り戻し。パニックになったりはしていないことは分かっていたはずだった。

 自分だけではないと思うと、結構強くなれるもので、演台に立っても、

「緊張なんかするはずないよな:

 と思っていると、実際に受け持ちの時間を長いとも短いとも思ったわけではなかった。

 だから、受け持ちの時間を、うまく使うことができたというもので、何とか、長くも短くもなかったことが、それだけ平常心だったということの現れだと思った。

 そのせいで、

「優勝は俺のものだ」

 と、正直、思っていた。

 最後に演台で、校長先生から、トロフィーがもらえるところを想像して、舞い上がっていたのだ。

 しかし、蓋を開けてみれば、自分は、呼ばれることはなかった。入賞すらしていなかったのである。

 25人参加の中で、入賞が5人、そして、その中から優勝と、準優勝が決まるわけだが、その5人の中にすらいないのだ。

「俺の何がいけなかったんだ? あれだけ冷静になれて、誰にも負けない内容の演説をしたはずなのに」

 と考える。

 さすがに納得がいかなくて、放送委員の人に、VTRを見せてもらった。

 最初は、

「いまさら見たって、しょうがないよ」

 と言われたが、

「いや、どうしても納得がいかない」

 と食い下がったので、彼は見せてくれた。

 これが、まだマシな演説であれば、もっと拒否しただろうが、決定的な映像であれば、納得してくれるだろうと思って、見せてくれたのだろう。

「しょうがない。諦めがつくのだったら、見せてやろう」

 と、最初から、この言い方は、いまだに入賞しなかったことが信じられない自分には、

「何を言っているんだ?」

 としか思えなかった。

 実際に見せてもらうと、そこに写っているのは、

「本当に自分なのか?」

 と思った。

 自分では、なるべく、原稿を見ずに、前をしっかり見て話しているつもりでいた。もっとも、前は光で見えなかったが、見ているつもりだったのだ。

 しかし、実際の自分が、下ばかり見ていて、顔をまったく上に挙げていないではないか。背中は曲がっていて、この姿勢だけで、すでに、

「入賞などありえない」

 と思わせた。

 しかも、声もハッキリと聞こえてこない。何かボソボソと呟いているのは分かるが、蚊の鳴くようなまさにそんな声だった。

 それに、その声は、まるで女の声のようにか細く、どちらかというと、甲高い声で、聴きづらい上に、聴いていて、気色の悪い声に聞こえたのだ。

ここまでくると、目を覆って、耳を塞いで、まるで、日光東照宮にある、

「見ざる言わざる聞かざる」

 の三匹のサルになったような気がするのだった。

 さらにとどめが、喋り方だった。

 聞こえてきた声は、一瞬、

「誰の声」

 という声で、しかも、どこかの訛りがあった。

「西日本系の訛りだ」

 というのは分かったが、どこの訛りか分からなかった。

 ただ、おばあちゃんが話していた訛りに似ていることから、おばあちゃんに言われているような気がして、完全に、

「これじゃあ、入選どころではないわ」

 と感じたのだった。

 っすがに、訛りがあるところまでは、想像を逸脱していたので、そこまでくると、却って聴いているのが恥ずかしくなった。

「ありがとう。もういいです」

 というと、彼は無言でテープを外したが、

「なるほど、これなら、口で説明するよりも見せた方がいいよな、相手がショックを受けるというよりも、それを通りこして、さらに恥の上塗りとまでくれば、別に話をするところまではいかないからな」

 と、本郷が納得すると、やっと相手はにっこり笑って、いつもの表情をした。

 そして、

「どうだい? 来年は?」

 と言われたが、

「そうだなぁ、リベンジと言っても、今は何を言っても、言い訳にしかならないから、それだったら、何も言わない方がいいだろうな。このテープがそれを証明してくれていたからな」

 ということであった。

 だから、この時から、

「俺、先生になるの、やめようかな?」

 と考えた。

「このまま続けて、資格は取れたとしても、実際に教えるとなると、どうなんだろう?」

 と思ったが、それでも、今から他の道を模索するのは、難しいことを考え、このまま突っ走ることにした。

 それだけ、弁論大会での演技は、ひどいものだったのだ。

 ここで、他の道に切り替えたとしても、結局、演説であったり、自分が主導権を持って何かに当たった時、ロクなことにならない。それは、

「普通の会社に入った時の方が、露骨に出てくることだろう」

 と思ったのだ。

 教師として、生徒に教える方がまだマシだと思ったのは、

「生徒を下だという思いで見ていたからに違いない」

 教育実習の場合は、こちらが緊張していたので、あまり意識がなかった。

 そう、あの自信に満ち溢れていた時の弁論大会の時のような気持ちだった。

 しかし、それを意識していないというのが、自分の、

「お花畑的な発想」

 だったのだ。

 まわりのことを意識しているつもりで、まったく意識していない。だから自分が見えず、自信に満ち溢れているというマヒした感覚がそうさせたのだろう。

「俺の授業は、まあまあだっただろうな」

 と思ったのは、元々の担任が何も言わなかったからである。

 その先生は、別に教育実習生の先生ではない。ただ、自分のクラスに、一人教育実習生がまわされたというだけだったのだ。

 教育実習生が、いかによくても、悪くても、その先生にはまったく関係のないことだった。

「本郷先生は、先生のやりたいようにやってください」

 というだけだった。

 その先生も、普段から、生徒にあてにされていない先生であり、ただ、学校に来て、

「今日一日が無難に終わればそれでいい」

 ということしか考えていなかった。

 そう考えることが、教師としての、役割だとでも思っているようで、何かあったとしても、それが表に出ていなければ、それでいいと思っていた。

 いい加減と言えばその通りだが、本郷は、少し違った。

「ただ何もなくやり過ごしてしまって、後になって、問題になった場合のことを考えると、不安で眠れなくなる」

 という性格だったのだ。

 しかし、

「何が正しくて何が間違っているかということが分からないのだから、余計なことを考えたとしても、自分にどうすることもできないということであろう」

 と考えていた。

 間違っているということが、自分にとって、いい悪いの判断と少しずれているのだということがわかると、

「弁論大会の時の教訓が生きているような気はするのだが、どこに影響しているのか分からない」

 という、正直、何の反省にもなっていないということであろう。

 弁論大会で、あれだけ惨めなテープを見せられ、あの時に感じたことで覚えているのは、

「俺って、あんな声だったんだ」

 というどうでもいいようなことだった。

 ただ、自分の声が感覚と違うということは、

「テープを見なかったら」

 ということであり、もっと言えば、

「自分が、入選できなかったからだ」

 ということでもあり、さらに、

「弁論大会になど出なければ、分からなかった」

 ということである。

 弁論大会に出ようと思ったきっかけは、ある意味物欲だった。

 というのも、弁論大会というのは、高校で年に一回、全校生から出場者を募って、行う大会だったのだが、基本は一人を一クラスから出して、希望者がいれば、その人も出させるということだ。

 だから、希望者が一人でも言えば、わざわざ推薦などで、代表を決めることもない。そういう意味で、出たいという人は喜ばれた。

 実際に、大会の日は、出場者以外は、ただ椅子に座って、演目を聴いているだけで、普通に考えれば、

「何が楽しいというのだ?」

 ということである。

 体育祭にしても、音楽祭にしても、弁論大会にしても、

「出場しなければ、ただ会場にいるだけで、面白くも何ともない」

 といえるだろう。

 しかも、最期に、表彰式があり、優秀者には、表彰されるところを、見せつけられて、嬉しくもないのに、受賞者に拍手をしなければならず、受賞者の喜ぶ顔を、偽物の笑顔で祝福しているかのような顔をしなければいけないのだ。

 こんなことに、本郷は耐えられるものではなかった。

 そんな本郷だったが、

「俺は自分で自信を持てば持つほど、その裏に何があるか分からないと思うようになって、心配になるのだ」

 と感じていた。

 つまり、人から言われる場合は、結構信じるが、自分で自信があると思うことは、ほぼ、怪しいと感じ、あまり自分を信じないようになった。

 本当は自信過剰なくせに、次第に、この思いが心の奥に封印されていって、自信過剰が結果勝つのだが、たまに、弁論大会の時のことが頭をもたげてしまって、自分が何者なのか分からなくなることが多かったりする。

 実際に、教育実習の時は、緊張はあったが、弁論大会の時のことも意識はあったにも関わらず、

「意識があった」

 というだけで、必要以上なことはなかった。

 だから、

「どうしよう」

 という感覚になったわけではなく、

「生徒が聞かなかったとしても、しょせんは、教育実習生のことだからな」

 と、自分が生徒の時、教育実習生など眼中になかったことを思い出していたのだった。

「そうだよな、別に自分たちの成績が、教育実習生の先生ごときで変わるはずもない。俺たちは教育実習生に実習させるための、ただの駒に過ぎないんだ」

 と感じたことを思い出してみると、

「自分が教育実習生になったからといって、高校時代の自分を棚に上げるなどできるはずもない」

 と考えるのだった。

 自分が高校の時は、

「学校よりも、塾」

 だったような気がした。

 いちいち、学校の先生の一挙手一同など見ているわけではない。先生には、

「ちゃんとした内申書さえ書いてもらえれば、それでいいのだ」

 と思っていた。

 本郷は、それから、高校の教師となり、何とか、普通に教えてきた。

 受け持ちの教科は、社会科全般。その中でも自分で専門だと思っていたのは、

「日本史」

 だったのだ。

 今は、社会科も昔と比べてかなり様変わりしていた。そして、歴史に関していえば、今進行形で動いている取り組みとして、

「日本史と世界史を一緒に教える」

 という形の、

「歴史総合」

 という科目を増やし、それを教育指導要綱にしようという目論見である。

 ということは、

「日本史、世界史」

 という学問がなくなってしまうということだ。

 確かに、近世よりこっちは、

「世界史を知らないと、日本の歴史も分からない」

 ということになるのだろうが、日本史の中で、世界の情勢を教えているということで、何が悪いというのだろう?

 あくまでも、発想の違いということである。

 高校では、日本史、世界史と、それぞれ、選択制で教えるものではないのだろうか?

 それを一緒にして、学ぶということは、今でさえ、高校時代に歴史を最後までできるかというとできないことが多い。

 明治から大正で終わってしまったり、下手をすると、まだ鎖国の江戸時代で、卒業ということだってあるだろう。

 そんな状態で、日本史と世界史を合体させてしまったら、下手をすると、卒業までに、

「応仁の乱」

 くらいまでしか進んでいないということになるかも知れない。

 まだまだ、本筋はここからであり、教訓をいっぱい教えることのできる戦国時代にまったく触れないというのは、いかがなものだろう?

 本郷個人の意見としては、

「歴史総合という考え方は、時期尚早ではないだろうか?」

 と思っている。

 もう一つの理由として、

「今は発掘などが進み、今までの定説が狂ってきていて、歴史という学問自体が混沌としているからだ」

 といえるからではないか。

「ただでさえ混乱しているところに、合体させて、ただ混乱を煽るだけではないか? 文部科学省は、何がしたいというのだろう?」

 と考えても無理もないことだった。

 最近の本郷はそんなことを考えるようになった。

 ただ、そんなことを考えるようになったからなのか、それとも、他に何か理由があるのか、最近の睡眠に何か変化が起きてきたような気がした。

 それまで、あまり夢を見たという意識はなかったのに、最近では、

「何か夢を見た気がする」

 とおもうのだ。

 その内容は覚えていない。

「夢というのは、目が覚めるにしたがって忘れてしまっていくものだ」

 ということは自分でもわかっていて、気がついたら。覚えていないということが結構あった。

 ただ、覚えている夢も結構あるのだが、そんな夢は、怖い夢に限ってのことだった。

「怖い夢ばかりを覚えているのか、それとも、夢は怖い夢しか見ないのか、そのあたりがわからなかった。覚えていない夢は楽しい夢であるか、それとも、やっぱり怖い夢だというのか?」

 ということを考えると、結果、

「覚えている夢が怖い夢でしかないのであれば、夢の見方など、どっちでもいいことではないか?」

 と思えるのだった。

 だが、最近は、それだけではなく、何か気持ちの悪いものがあった。

 最初はそれがどういうことなのか自分でもよく分からなかった。それは、

「覚えていないからだ」

 ということなのだが、本当であれば、そのまま意識することもなく、頭の中から葬り去ってほしかったが、

「頭というのは、そんなに都合よくできているものではない」

 ということらしいのだ。

 最近、

「夢か現実か、よく分からない」

 と思うような出来事があった。

 それを出来事というのは、その時点では、言えなかったが、そのことを他人から指摘されて、やっと、本当のことだと理解した。

 あれは、今から二十日くらい前だっただろうか? 自分の35歳の誕生日が過ぎて、少し気分的に落ち着いた時だった。

 事情があって、学校を移ることになり、新しい学校にもやっと慣れ、生徒の顔もだいぶ覚えられるようになってからのことだった。

 生徒の顔だけではなく、元々人の顔を覚えるのが苦手だった、本郷であるが、特に最近は、生徒の顔が、

「皆同じに見えてしまう」

 という意識が病的なほどだった。

 特に女生徒は、皆同じに見えた。そんなことをいうと、

「逆だろう。女性の方が可憐で、個性を感じるものじゃないのか?」

 と言われたが、かつてのトラウマからか、本郷は、

「女性の顔が普通に見分けられなくなってしまった」

 と思っている。

 男子生徒は結構分かる。真正面から見ることができるからだろう、

 女生徒に対しては、どうしても正面から見ることができない。知らない人が聞けば、

「女性から、自分の肉体的な欠陥でも指摘されて、それがプレッシャーにでもなってるんじゃないか?」

 と思うに違いない。

 実際に、35歳になるまで独身で、彼女もいるようには見えない本郷に、

「何か、あるのかも知れないわね」

 と、女性陣は、一歩下がったところから実際には見ていた。

 それに比べて男性陣は、同情票が多い。

「男にだって、人に言いたくないことの一つや二つはあるもんさ」

 と言って、どこか傷を舐め合っているようなところがあった。

 そんな本郷だったが、最近、寝つきが悪かった。眠ったと思っても、気が付けば深夜に飛び起きることが多く、

「何か、怖い夢でも見たんだろうか?」

 と思うのだが、あまりにもビックリして飛び起きたことで、夢を見ていたことすら意識にないほどとなっていた。

 そんなことが何度かあるうちに、飛び起きることに慣れてきたのか、冷静に考えると、

「どうして飛び起きたのか?」

 ということが分かったような気がした。

「あの音は何だったんだろう? 聞き覚えがあるような気がするのだが」

 と、考えていたが、ちょうど、有料放送で昔の刑事ドラマをやっていて、そこに出てきたワンシーンで、気付いたのだ。

「ジリリリーン」

 という音である。

「そうだ、これは、昔の黒電話の音ではないか、正直聞いた記憶はないが、ドラマなどで聞いたような気がしたんだ。だけど、実際に静寂の中であんな音がすれば、俺じゃなくても、ビックリして飛び起きるというものだ」

 と感じた。

「やっぱり夢だったんだよな」

 とその時はそう思った。

 なぜなら、いまさら黒電話など、どこにもないからだ。スマホなどで、効果音をダウンロードができるアプリがあったとしても、誰かが故意にやらなければ、音を聴けるはずもないだろう。

 それに夜中にあれだけの音が鳴り響くのだから、他の部屋からも苦情が出るはずなのに、誰も何も言わないではないか?

 というのが、その理由だった。

 しかし、最初に意識して二十日ほどしてから、急に、2軒隣の部屋の住人から、

「夜中に、黒電話の音がして、たたき起こされた夢を見た」

 と隣人に話しているのを聞いた。

 それを聴いて。本郷は、自分の耳を疑ったのと同時に、どこか安心している自分を感じたのだった。

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