二兎追うもの
拙い動きで、屋根から屋根へと跳ぶ。茨と蛸足を交えた曲芸じみた飛び移りだが、速度面では問題ないだろう。問題は──
「まだ来るっ!」
淡い光の粒が舞う。それら一つ一つは小さな小さな蛍であり、殺意だ。
飛行する蛍たちはカチャカチャという音を立てて全身をタイル状に裏返らせ、そして──
爆発。熱された風が二人を撫でつける。
続いて足下で衝撃。二人が走る屋上の階下が爆発したらしい。
蛍たちはこちらに追従こそしているものの、その何匹かは障害物を認識できずに、階下から屋上へと突進し、そのまま爆発を起こしている。
かと思えば同じ高さにまで高度を上げても来ることをみると、蛍たちは単純な自動追跡というよりも、逐一指示を受けているのだろう。
──だが、どうやって?
「アプリコット、どこまで逃げる?」
「これは……困りましたね」
敵の位置は不明。敵法則の適応可能範囲も不明。おまけに街中は人でごった返している。
「そのわりには、逃げる人が少ない」
「ええ、お祭りかなにか──ですか」
道路は封鎖され、ときおりパレードが通過していく。
道端には所狭しと屋台やらフリーマーケットが並びひしめき、それらを巡る人々がさらにその喧騒を加速させる。
爆発を目にしたり、耳にした者は異変に勘づいているだろうが、これでは多くの人がなにも気づきはしないだろう。
「この喧騒では……地上に降りるのは避けないと」
人混みでは上手く動けないし、パニックになった群衆は始末に負えない。少なくとも人口密度が薄い場所までは、こうして屋上を経由して進んでいくしかない。
「挟み撃ちがないのも、妙」
「──挟み撃ち?」
「そっちのほうがわたしたちを追い込めるし、確実なはず」
広がってみたり、細くなってみたり、蛍の大群の陣形は自由自在のようだが、二手に分かれるといった、より確実性のある行動は今まで取ってきていない。ただ単にこちらの手の内を警戒しているのか、それともできないのか。
「リネンさん、次の大群が来たら──」
突然、足元が揺れる。遅れて、足が宙を踏んだ。二人が立つ屋上そのものが、ゆっくりと重力に引かれて傾き始める。
「クッソ……建物を……」
追跡対象が屋根の上を伝っていくのなら、大元の建物を壊せばよい。言うは易し、ではあるが通常の殺し屋であればこんな大掛かりで面倒な手は取らないだろう。秘匿性も、確実性もない。周囲への影響などから波及するリスクも計り知れない。
そう、通常ならば選択肢にすら入らない手。だが、今回の相手は──
「そんなこと、気にはしない──!」
「離脱する、よ」
するり、とリネンの手がアプリコットを持ち上げた。アプリコットは一瞬抵抗しようとするが、すぐにそんな場合ではないと身を寄せる。
「『放出』っ!」
灰のように噴き出した黒が、毛むくじゃらの腕を生成する。霊長類を模ったそれは、向かい側の建物に強くスナップすると、落下途中の二人を留めた。
だが、それだけで終わるわけもない。未だ爆発していない蛍たちが直角に曲がり、二人へ殺到する。
「リネンさん! 5秒でいい、耐えて!!」
間髪入れずに、蛸の触手が向かってくる蛍へ相対する形で伸ばされた。蛍本体は叩き落とし、爆発は触手で壁を作ってせき止める。僅かな痛みのフィードバックがあるが、それ以上に問題なのは。
「残りがっ……」
触手が出ない。リネンの髪色はもはや限りなく白に近くなっており、既に展開している触手さえ段々とほどけて空へと舞っていく。
“守れない”
自分自身を、なによりもアプリコットを。
自分の燃費の悪さは知っていた。知っていた、はずなのに。
“足りない”
穢れを振るえない私は、完璧にお荷物でしかない。
そんな事実を受け止めていた。受け止めていた、はずなのに。
そんな、沈みゆく思考に割り込んだのは、冷静なアプリコットの言葉だった。
「──いいや、これでいいんです」
この、大群を正面から受け止める角度が、丁度。
彼の手から離れた釘は、灰と化した触手を越え、今まさに飛び込まんとしている蛍たちの先頭、一番槍として飛ぶ蛍に突き刺さると。そのまま向かい側の壁へと縫い留めた。
貫かれた蛍が火花を散らしながら、もはや残骸へ片足を突っ込んでいる建物の壁に縫い付けられる。
機械だ。元から機械の、蛍。
途端、大群は散った。蛍たちは自由であることを思い出したかのようにそれぞれがてんでバラバラの方向へと飛び始める。無論、二人へ殺到したりなどしない。
「これは……」
触手が消え去り、地面に着地したリネンは、傾く建物に縫い留められた機械の蛍を見つめる。
「──誘導灯です」
同じく地面に着地すると、アプリコットは手のひらを軽く払いながら口を開いた。
「敵は挟み撃ちをしないんじゃなく、できない。あの機械蛍が他蛍の誘導灯となって陣形を形成していたんでしょう」
「そっ──か」
リネンは、そっと手と手を握りしめた。
守れなかった。だが、アプリコットだってこちらを守り、自分自身を生かそうとする。足りない分は、そこでカバーすればいい。
「そう……だよね」
わたしたちは、二人だ。一人と一人で二人なんだ。
◇
「……あー、
バスク・チーズケーキは呟く。
同じ結論にたどり着き、撃破する奴は今までにもいたが、こんなに早いのは始めてだ。
「まー問題はナッシングってやつだ」
乱雑にポケットから取り出したのは二匹目の
「……一匹しか操作できねぇのが難点だがよぉ」
だが、そうだな。
「おもろそうな二人じゃあねぇの」
『バスク・チーズケーキ、依頼は対象の生け捕り。妙な気は──』
「位置をよこせ」
通話口の声を無視し、チーズケーキは質問した。
『……国道沿いを北上中』
「そうかい」
手から離れたスマートフォンが、側溝へ消える。
『バスク・チーズケーキ、あなたは──!』
ブツン。通話は途切れた。
◇
夜は更けていく。だが、祭りの喧騒はそれに合わせて増していた。この祭典がなにに由来するものなのかは分からないがともかく、人の数は増しているし、新たな屋台が道端で開かれていく。
そんな只中を、二人は進んでいた。
まるで孔雀の羽のような派手な飾りを身につけた一団をかき分け、屋台で買ったらしい、安っぽい光る目玉のカチューシャを身につけた一団を割る。果てしなく増幅する人の声、そして、蔓延する熱。
「……ぅ、ぷ」
リネンのえづきに気づいたアプリコットが、その手を取って握りしめた。
過剰とも言える人の数、祭りの熱狂によって薄められているとはいえ、リネンのもとに集中する穢れの量は、並大抵のものではない。
「もう少し、進みましょう」
「うん──」
敵の攻撃がいつ再開するかも分からない。
そもそも、どこにいるのかも分からない。
そんな警戒心は人混みによってさらに増幅され、二人をすり減らしていた。
ベンチと自動販売機のみが並ぶ空間。少し歩いた屋台で瓶ビールが半ば無料のように配られているからか、その空間だけぽっかりと人がいない。半ば転がり込むようにそこへ入り込んだ二人は、壁に背を預け息を整える。
「リネンさん、よかったら」
「ありがとう」
自動販売機から取り出したペットボトル入りのスポーツドリンクを、アプリコットはリネンへ差し出した。
リネンがそれを受け取り、一気に口に流し込むのを尻目に、アプリコットは自分たちの現状を整理しようと努める。
「敵は、どうやって俺たちの位置を──」
そう、位置だ。敵は何らかの方法でこちらの位置を把握して、その都度攻撃を仕掛けている。なにも、今回の蛍を駆る奴だけではない。バラテラムもそうだったし、あの銃を使う老婆だってそうだった。すべて先回り、こちらの位置を元に作戦を立て、襲撃を行っているとしか思えない。
「……一人、いた」
「いた?」
ペットボトルを口から離すなり、リネンが言った。
「情報部門統括、一度しか会ったことはないけど──その“一度”が……」
あのころ、まだ自分の身が斡旋組合の管理下にあったころ。リネンはよく、人の目を避けては誰もいない倉庫の奥で一人すごした。内部の雰囲気に馴染めなかったし、腫れもの扱いされているのも気に入らなかったのだ。倉庫の暗闇は不安を助長させ、ありもしない悲劇を脳裏に想起させたが、幾分かましだった。
それを、あの女は──
──「リネン・ユーフラテス、こちらへ。リチャード・スモーフィンがお呼びです」
見つかるはずがない。だって誰にも見られていないはずなのに──
「名前は……たしか、チェ……ちぇる? ちゃらちゃら、みたいな……?」
「随分とリズム感が凄い名前ですね」
だが、そうか。リネンは斡旋組合にとって丁重に扱うべき対象。ならば、万が一のための追跡手段を仕込んでいないはずがない。
「念のため、身体をチェックしたほうがいいかもしれません」
「……舐めまわすように?」
「あの、変態的な目的じゃないので……」
そんなつもりは毛頭なかったものの、わざわざ言われてしまうと少し意識してしまう。心を無にしつつ、リネンの全身をそこそこくまなく──そう、そこそこだ──調べあげたものの、発信機の類は発見できない。
「残りは、頭」
髪の毛を分けて、頭皮を捜索する。が、ない。目に見えないような小ささならもうお手上げだが──
「ない……ですかね」
とはいえ、頭髪一本ずつをくまなく捜索したわけではない。本来ならしっかりとした照明の下で確認したいところだが──
「待って」
唐突に、リネンがアプリコットの腕を掴んだ。
「じっとしてて」
そのままリネンは腰からアプリコットの服を掴み、捲り上げる。
そこには、皮膚の下からでも分かるほどに光り、点滅する機械が埋め込まれていた。
「追跡されていたのは、わたしじゃない。アプリコット」
「そんなまさか……」
リネンと出会ったのはあのときが初めて。リネンを追う目的で追跡するならば、その後に発信機をセットしなければ意味がない。
透明マントの敵、か? いやしかし、アイツにそんなことができる瞬間はどこにもなかった。銃を使う老婆や、バラテラムと戦う際にはそれだけの隙があったかもしれない。だが、そもそもそいつらだって最初から待ち伏せを──ダメだ。考えれば考えるほど分からなくなってくる。
アプリコットは、自身の脇腹に目を移した。
円盤型の、地雷にも見えるそれは肌の下でチカチカと赤く点滅し続ける。どこかにいる誰かに、位置を伝え続けるために。
◇
前時代的な装飾が施されたその一室には、そんな雰囲気に似合わない備品が所狭しと置かれていた。唸り声をあげるサーバーに、何台ものコンピューター。部屋の正面に設置されたモニターには建物周辺の防犯カメラ映像が映し出されている。
多くのコンピューターの前には、その施設の職員だがなんだかだと思われる人々が座り、作業を行っている。その中で、ひと際目立つ場所。部屋の中央奥にある広いテーブルに座るのは、ゴシックロリータファッションの女だ。
「リネン・ユーフラテス、そしてアプリコット・ファニングス」
その女は、二つの名前を繰り返し口の中で転がす。
右手の資料には顔写真とプロファイル。そして──左手には。
「……位置が止まった。待ち伏せ? それとも逃げおおせたとでも──」
地図。地図だ。アプリコットとリネン。そしてバスク・チーズケーキがいる街の地図。女の指は一点を指している。すなわち、二人が潜伏する先へ。
「バスク・チーズケーキとの連絡は途絶……まあ、位置は問題ない」
女の脳内には、街全体の不確かな地図とそして対象の移動する位置が記されている。本来なら手に持った地図は不必要なのだが、その街に関してははあまりにも土地勘がないのでそれの補強のようなものだ。
そう、その街に関しては。女がいるのは、祭典の渦中にある街ではない。
二人+一人が潜伏する街、そこから二つの道路を挟み、街を挟み、大きな川を通過し──さらに先。斡旋組合の本拠地である元資料館の建物だ。
「──《
脳内マップに新たな点──バスク・チーズケーキを表す点が現れる。
距離は無制限、同時に追跡できる対象の数にも、制限はない。
制限はたった一つ、自分自身が運営に関わっている組織の構成員であること。
追跡。それだけができて、それ以外ができない。
それが、斡旋組合 情報部門統括であるチェラクラ・ラチェラクラの法則だ。
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