焦げ落ちるショータイム

「……クソ野良犬が」


 バラテラムの声に呼応するかのように、人形がゆらりと踏み出した。目も鼻も口もない、木目だけの顔がアプリコットを見つめる。


「調子にのるんじゃないっ! 野良犬の、癖に──!」


 バラテラムが声を荒げ、人形たちに突撃の号令を出そうとしたその次の瞬間。拘束の解かれた腕が、しなる。


 アプリコットを拘束していたはずの鎖が、いつの間にか砕けている。それを認識したとき、既に投擲された釘は一直線にバラテラムへと向かっていた。


 バラテラムは慌てて釘の飛翔コースから外れるが、既にそこめがけて二本目の釘が投げられている。


「ま、守れ私をぉ!!」


 人形の一体がバラテラムと釘の間に割って入った。釘は頭部へと突き刺さり、そのまま人形はもんどりうって倒れる。


「こんの……こんのっ! どうやって──」


 バラテラムの額には青筋が浮かんでいた。


 こんな、こんな薄汚い野良犬なんぞにしてやられた。そんなこと、あってはならない。

 自分には才能法則があって。だからそれを振るって邪魔な他者を虐げ、目障りな他者をつるし上げることができる。


「私にはっ! その資格があるんだ!!」


 そんなバラテラムの叫びに呼応するように、彼の周囲の空間が歪んだ。空間に塵が生まれ、塵は纏まり、瞬く間に新品の人形が現れる。

 十、二十、三十──


「お前は四肢をちぎり取って、殺す!」

 

 そうバラテラムが叫んだとき、アプリコットは既に走り出していた。

 それは、異様な光景だった。百を超える人形たちが、その起伏のない顔を一斉にアプリコットのほうへ向けている。バラテラムは怒りに燃え、アプリコットは冷め始めた自身の脳を更に冷ましていく。


 殺到。

 それは正に、殺到としか言えない状況だった。

 アプリコットは、端からバラテラムに勝利するつもりなどない。最終目的は、あくまでリネンと共に国外へ抜けること。よって、その足は当然出口である扉へ向かう。対して、人形たちはそれに飛び掛かった。

 人であれば、着地の痛みを気にしない全力での飛び掛かり。それにさらに、扉の向こうから追加で溢れる人形たちが加わる。


「踊りやがれよ、木偶ども。そいつを嬲れ、嬲って捨てて、笑いものにしろ──《独善劇場ホリック・シアター》」


 その顔は嗜虐的な笑みで歪み、指揮者のように振られる指は、人形一体一帯を細かに操作する。


「私は資格を行使する。人として当然の権利を」


 でなければ、割に合わない。



 足を払い、振り返りざまに釘を首に突き立てる。人形がまた一体崩れ落ち、それによって軍勢の勢いは少しだけ弱まった。が、数秒も経たないうちにそんな残骸すらも蹴飛ばし、軍勢は前へ、前へ。


「……数が、多い」


 アプリコットは、対人戦闘に慣れていない。今までずっと隠密行動による暗殺が主だったからだ。リネンと出会ってから経験を積んだとはいえ、連続すれば当然の如く心も体も削れていく


 後頭部に鈍い衝撃。すぐさま釘を人形の頭にたたき刺すが、その釘は別の人形が差し入れた腕に刺さる。

庇った。


 それは、数分前なら絶対に行わなかった行動。人形を捨て駒として使い潰すバラテラムなら絶対に取らなかったであろう選択。

 アプリコットは咄嗟にバラテラムのほうを振り返る。そこには、酷く冷静にこちらを見つめる視線があった。


「──ごっ」


 唐突に、アプリコットの視点が下がる。足を見れば人形の一体がしがみついて無理やり身体を引きずり降ろさんとしていた。釘を叩きつけようと腕を動かすが、そこにさらに別の人形が。



 “才能のある人間は、なにをしようと許される”

 それが、齢七歳にしてバラテラムが知ったこの世の理。


「この世は皮肉で溢れている」


 バラテラムは大仰にそう言うと、ワイングラスを口へ運ぶ。


「才能のない私は、才能ある兄たちの欠点しか真似することができなかった」


 アプリコットは人形によって床へ抑えつけられていた。その前身は隙間なくひしめく人形によって固められており、指一本だろうと動かせない。


 バラテラムが、空になったワイングラスを手から離す。重力に従って落下したグラスはそのまま落ち、地面に当たって砕け散った。


「才能を持つ者は、自由だ。誰を踏みつけ、傷つけようとも許される。長いものに巻かれる必要などなく、自分が他者を巻き取る側になれる」


 だから。


「私もそうする。その権利がある。だって今の私には、才能があるのだから!!」


 気分が良かった。これこそ我が才能。誰にも負けない。誰も自分を無視できないという実感は、甘美な蜜にも等しかった。

 だから、扉ごと人形たちを貫く、真っ黒な脚を目にして、満足に水を差されたような不快感が喉奥から湧き立った。


「……あぁ、来たんですか」


 無感情に言うバラテラム呆れ顔で頬杖をついた。


「相方さんは、あなたを逃がすためにここまで足掻いてるんでしょうにね」

「──関係ない。わたしはわたしのやりたいように、やるだけ」


 狭い扉を根こそぎ外し、現れたリネン・ユーフラテスは節くれだった脚の鋭利な先端をバラテラムへと向けた。



「……ユーフラテスさん、どうして」


 アプリコットのセリフを無視し、リネンはバラテラムの前へと進んでいく。それを囲むように人形たちは距離を縮め、包囲網を築こうとしていた。


「お戻りください。リチャードさんからの伝言です」

「おことわり」

「でしょうね……それじゃあ──足をもぎ取って、連れて行きましょっか」


 人形たちが、一歩を踏み出す。

 十六方から迫りくる人形たち、それに対してリネンは少しだけ首を傾けてみせた。真っ黒に染まり切った髪がゆらりと揺れ、重力に従って下がる。

 今のリネンに、自身の体調など気にしている余裕はなかった。目の前のを伸して、アプリコットと共に隣国へ脱出する。ただ、それだけ。


「暴力は嫌いなんですけどねぇ……しょうがないですよねぇ!?」


バラテラムのセリフを皮切りに、人形たちが一斉に飛び掛かった。ぐるぐると回るアングルと、意識。黒は一滴で白を染めうる。


 花弁が開く。取り返しのつかない黒を、解き放つために。


「《触れるあなたの奥の底ドロソフィルム・イデア》『放出』」


 節くれだった醜悪な虫の脚部。それらはリネンの全身から展開されていた。飛び掛かる人形は即座にその頭部を脚に貫かれ。ぷらん、と体を吊るす。


「おい、おいおいおい!! 反則級じゃあないですか!」


 バラテラムは歓喜に打ち震えていた。目の前で広がるものこそ、まさに悪夢。これを乗り越えたときにこそ、自分の才能は示されるのだ。

 視界が狭まる感覚。これは、試練だ。


「《独善劇場ホリック・シアター》ぁぁ!」


 天井がミシミシと音を立てる。リネンが咄嗟に上を見上げるが遅い。支柱が折れ、天井が崩壊した。そこから降ってくるのは、重さの正体。すなわち、数百にのぼる人形の塊である。


 ──バラテラム・ガドロホックの固有法則、《独善劇場ホリック・シアター》は木の人形を生成する。原材料などは一切必要なく、上限なども存在しない。が、その真価は物量による攻めなどでは断じてない。


「『流れろ』」


 その真価は、無より生み出される圧倒的な質量にある。


 天井を突き破った人形の塊は、空中で増殖を繰り返し、何本もの柱に分かれ、暴れる。コンクリート製の壁は容易く壊され、鉄筋でさえも歪んでいく。


「腕や足が無くたって、私の生成物なんだッ! 操作ぐらいできる!」


 半ば発狂しながら、叫ぶ。

 それは、自身に言い聞かせる行為に等しい。こんな戦法はアドリブ中のアドリブ。バラテラムの人生においてこんなにも奇抜な発想をしたことなどない。だが、“できるならば、やるだけ”だ。


 そんな“柱”がリネンに直撃した。節くれだった足でそれを貫くが、その巨大さ故か貫き切れず、また、動きも止まらない。まともに喰らったリネンは吹き飛ばされ、その足が無理やりにでも壁と床を掴み込んでその勢いを殺す。


 リネンの背から毛むくじゃらの蜘蛛の脚が展開された。それらは既存の節くれだった脚と比べれば殺傷性にこそ劣るが力強く、しっかりと大地を保持する。

 飛んだ。蜘蛛の足をバネにし、慣れない跳躍。が、そのコースは確実にバラテラムへ向かうものである。

 床が裂けた。そこから二本目の“柱”が突きだし、リネンのコースを塞ぐ。


「私はッ!! この才能を──」


 二本目の柱が更に一本目を突き破ってリネンへ叩きつけられた。

 ぐわん、と反響する音。歪む視界。


 ──自分のアプリコットへの執着は申し訳なさから来るものなのかもしれない。

 もう何度そんなことを考えただろう。だが、そんなことはもうどうでもいい。考えてる暇はないのだから、今はただ直感自分従って手足を動かせ、動かせ──


「確かめるのはッッ!! 後でもいい!!!」


 空間を黒が染め上げる。天井と壁と床を穿つように展開された茨が、リネンを中心とした回らない観覧車を生成する。人形の柱も、バラテラムも小さく見えるそこでリネンは声を張り上げた。

 それは、戦闘という観点から見ればどうでもいい行為。箸にも棒にも掛からぬような、何の影響ももたらさない行為。そう、一対一だったのなら──


「──」


 バラテラムの眼前に迫る、影。

 徹底的に自身の存在を薄めたギリギリまでの潜伏。それは、アプリコットが今までの殺し屋人生で培ってきたすべてであり、今この場でとれる精一杯の行動であった。


「おま、え──」

 

 バラテラムの茫然とした言葉と同時に、残っていた数少ない人形が、バラテラムを守らんとそこへ割り込んだ。

 アプリコットの打ち込んだ釘は人形の頭部に突き刺さる。法則をもって貫通すればバラテラムに届く。だが無理なのだ。

 アプリコットの法則による貫通は、それがなんであろうと釘のそれにのっとっている。つまり、打ち込みたい物体の頭が見えている地点までしか打ち込めないのだ。人形の頭は厚すぎて貫通しきれない。


「勝った! 死ねぇ、野良犬ぅぅ!!」


 再び届く、バラテラムの勝利への確信。だが、それは、釘が刺さる人形の顔がはじけ飛んだことにより、崩れ去ることになる。



 それは、ほんの思い付きだった。なにか起こってくれればいいと、自身を縛る鎖に釘を打ち込んだ。抵抗なく刺さったそれは当然、鎖を壊すことなどない。だから、アプリコットは諦めて力を抜いた。すると──壊れた。鉄製の鎖が、綺麗に。


 アプリコットの法則は、“物体に物体を抵抗なく打ち込む”。その原理を考えたことなど今まで無かったし、その必要性もなかった。今の今までは。

 

 ただ抵抗なく打ち込むのではない。正しくは、“物体に物体を打ち込む際、それがぴったりとハマる隙間を強制的に開けさせる”もの。

 鉄の鎖は、釘を受け入れる隙間を開けた。そこに釘がハマった状態で法則が解除されれば、釘と鎖は、一時的に重なっている状態となる。もちろんそんなことは現実ではありえないため、どちらかが弾き出されるか、重なりが深ければ──



 ──破壊が、起こる。

 すんなりと、釘は人形の頭部に刺さった。そして、そのまま頭部にひびが入り、破裂。鉄ほどではないにしろ、木にも柔軟性なんてありはしないのだから。


「なん……だ、そりゃ」


 茫然とするバラテラムを無視し、ただ、前へ。

 

 勢いは殺さない。このまま、殺しきる。

 砕け散った木の人形の破片が両者の頬に当たり、釘はその勢いのまま突き進んで──



「兄さんは頭が硬すぎる‼ もっと柔軟な考えを──」

「なんだと? そういうお前はあたまでっかちで──」


 バラテラムの兄たちの喧嘩は、いつも長い。どちらも才能に溢れるもの同士、ぶつかる必要もあったのだろう。

 だが、時にはそれがヒートアップし、両親にも使用人にも手が付けられなくなることがあった。


「……兄さんたち、やめてよ。」


 そうなったときに二人を止めるのは、バラテラムの役目だった。


「バラテラムもこう言ってるぞ」

「なに? また俺のせいか。なあ、コイツに言ってやってくれ」

「まったく……そういうの悪影響だからやめろよ──」


 まだ二人が独立する前。家族が一つの屋敷で暮らしていた時の記憶だ。



「──は、はは」


 釘は、確かにバラテラムの喉を貫いてた。血は出ていないが、この釘が抜ければ、きっと。


「はは、走馬灯、か」


 目の前の、自分に釘を突き刺した男の顔を見る。冷酷で、冷静で、だけれど何かを怖がって。

 弱い弱い人間の、顔。

 兄さんたちとは似ても似つかない、顔。


「はっ、反吐が出る」


 バラテラムは、自身を貫く釘を掴んだ。


 勢いよく引き抜けば、色の悪い血液がとめどなく溢れだし、趣味の悪いスーツを濡らしていく。


「は、は……」


 すぐには、死なない。その感覚が無性に心地よかった。

 目の前で茫然とするアプリコットの顔が、滑稽だった。


「死んじゃえよ、バーカ」


 最後の捨て台詞にしては、凡人っぽいだろ?

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