第33話 幽霊の仕業

 アパートに帰ると、ギャル神様がリビングでテレビを観ていた。すっかり慣れてしまった自分に呆れる。冷静になれば、これってすっごく変な状況だ。


 カバンを置いた音で気付いたのか、ギャル神様がこちらに振り返る。口元にはスナック菓子のカケラが付いていて、ゴミ箱の袋はこんもりと膨らんでいる。


「なんや、明日は体育祭なんやろ? 前夜祭とかないん?」

「あるとことはあるんじゃないですかね、私のところは早く帰って明日に備えようって感じで」

「そかそか」


 手元にはコーラまで携えている。この神様、どんどんと堕落していってるなぁ、と心の中で苦笑する。別に、止める気はないけど、それで神様の座を降ろされたら、不都合はあるにはあるので、微妙なところだ。


「あのー、私、大丈夫なんでしょうか」

「何がー?」

「死んだりしないですよね」

「そりゃあ、死ぬやろ。生き物なんやから」


 ギャル神様はコーラを一気飲みすると、小さく喉を鳴らして頬を紅潮させた。なんだか、お酒を飲んでるみたいだ。


「うそうそ。今のはイジワルやったな。安心してや、音儀おとぎちゃんへの疑念は無事晴れた。今後、ヘマをしない限り転生したんがバレることは早々ない」

「でも、今回みたいに、私の癖や喋り方で見破る人がいたら、どうしましょう」

「その心配もない」 


 随分強気な発言だ。そりゃ、神様なんだから、全部お見通しなんだろうけど。


 私は今後、自分の正体を隠し通せる自信はあまりない。もちろん、他言はしないけど、誰かに指摘されたら、きっと焦って、誤魔化すのに失敗する。


「誤魔化す必要なんかないやろ。だって今の音儀ちゃんが、音儀ちゃんなんやから」

「あの、思考を読まないでください」

「だってそうやんか。過去に存在した紅葉もみじかえでの持っていた癖や思想を、一ミリ違わず維持し続けられるなんて、そんなん、クーラーボックスに入れてカチンコチンにしとかんとできへんて」


 相変わらず、ギャル神様の言葉は難しい。私の欲しい言葉の、一つ、二つ先を歩かれているみたいだ。


「転生したては、音儀ちゃんの言う通りリスクはある。けど、時間が経てば誰も音儀ちゃんのことを紅葉楓だなんて思わなくなる。ずーっとおんなじ人間なんておるわけないんやから」


 ギャル神様はスナック菓子の袋を逆さにすると、残った食べカスを口に放り込んだ。ぺろりと舌を出すと、ギャル神様はあぐらをかいて向き直る。もちろんパンツが見えている。


「確かに変わらん部分もある。出会ったときも、うちのパンツガン見しとったもんな」

「あ、いやっ、すみません……なんか、目に入ったので」

「けど、変わった部分の方が多いのもまた事実や。音儀ちゃん、転生する前の自分を思い出してみ。随分変わったって思わん?」


 転生する前の私は、自分に自信がなくて、言えないことも言えなくて。なにより、目標がなかった。ただ心臓が動いているから生きているという、機械的な日常を送りながらも、変化を恐れて身動きを取ること自体が億劫になっていた。


 だけど、今は、やりたいことがある。人生に目標がある。それはまだ少し曖昧で、全部が私の願いで構成された純粋なものではないけれど。圧倒的な速度で過ぎていく日々は忙しいし、大変だけど、自分の心臓の鼓動すら聞こえなくなるくらい夢中になる瞬間がいくつもある。


 諦めたらいいいのに、そんなムリしなくていいのにって思ってしまうほど努力する自分の背中を俯瞰して見ていると、どこからか「頑張れ」って声がする。


 そうやって背中を押されて、無意識に走り出すことを努力というのなら、私はきっと、頑張って生きているんだと思う。


 私の中の、何が変わったのか、自分ではイマイチ分からない。性格? それとも思想? 価値観や、自分の中の正義が構築されたのかもしれない。だけど、それがいつ、何を経て生み出されたのかは、遡っても心当たりがない。


 ただ、ひとえに後悔というものだけは私の心の隅にこびりついていて、それを振り落とすために全力で走っているのは確かだ。


「音儀ちゃんはもう大丈夫や。うちから見たらな、あんとき、ベッドの上でうちと契約を交わした音儀白雪とも、隕石に脳天撃ち抜かれてあたふたしてた紅葉楓とも違う人間に今はなってる」


 ギャル神様は髪を結んでいたヘアゴムを取ると、こちらに投げてきた。


「それ、あげるわ。大切な人のや、なくしちゃあかんで?」

「大切な人……それって、誰ですか?」


 私の思い出に刻まれた、大切な人。それはたくさんいる。美桜みおはもちろん、夕莉ゆうりさんも、私にとって忘れてはならない人の一人だ。私は夕莉さんの応援があったからここまで来れた。あの期待にもっと応えてあげたかった。その後悔があったから、私は自分を変える決心が付いた。


 あの人の「大丈夫です!」という根拠のない励ましに、何度助けられただろう。


「いや、うちのやけど。このあいだ百均で買ってきた」

「な、なんですかそれ! 私、てっきり……!」

「うちは神様やで? うちから貰った物、うちの言葉、全部が大切で、貴重なものや」

「それはそうですけど……」


 そういえば、この神様はこういう人なんだった。


 ギャル神様は窓を開けると、解いた髪を靡かせた。なんだかそれは、消え入る前の流れ星が描く軌跡のようで、一抹の寂しさを覚える。


「どこか、行っちゃうんですか?」

「ほお、ついに神様の思考を読めるようになったようで」

「思考を読んだわけじゃないです。ただ、表情で」

「いややわー」


 そう言って、ギャル神様は自分の顔を両手で覆った。


「まぁ、そうやな。うちの役目もそろそろ終わりや」

「神様にも、お役御免があるんですね」

「神様だって永遠ちゃう。必ず始まりから生まれ、終わりによって消滅する。それは生きるすべてのもののルールや」

「消えちゃうんですか?」

「一万年神様やってるけど、これやって別にベテランっていうわけちゃうよ。神様全体で見ればだいぶ早死にや」


 両手で隠れて、表情が見えない。


「うちのことなんか構ってる場合ちゃうやろー? 音儀ちゃんは今、目の前のことに集中せんと。美桜ちゃん、やったな。あの子のメンタルケアもきちんとしてあげてな」

「美桜、ですか?」

「ようやっと見つかった、親友の死を埋めるパズルのピースが、偽物だって分かったんや。ショックのあまり、最悪の結果を招くことだけは、うちも避けたい」


 ギャル神様は、つまり、美桜が、紅葉楓がいないという悲しみに耐えられず、自らの命にさえ手を掛けてしまうと、そう危惧しているのだろうか。


「中立じゃないんですね、神様って」

「中立じゃなきゃいけないってだけや。ルールで心は縛れん」


 ギャル神様は顔から手を離した。いつも通りの、快活な表情に戻っている。


「ギャル神様は、美桜を見くびりすぎですね」


 美桜が、悲しみに打ちひしがれる? たしかに、美桜だって人間だ。悲しむ心くらいはある。


 けど。


「美桜は、紅葉楓なんかいなくたって大丈夫ですよ」


 いつだって世界に中指を立ててきたような美桜だ。摩耗されボロボロになった心もたしかにあっただろう。でも、それに負ける美桜じゃない。


「私の親友は、そんなに弱い人間じゃないです」


 美桜は、いつだってそうだった。


 私たちは似てる、って、美桜はよく言ったけど、私はそうは思わない。


 美桜には芯があって、自分だけの信念を持っていた。いつも高いところを目指していて、決して楽な道を自ら選ぶような人ではない。


 私とは違う、強い人間なんだ。


「そうやな」


 ギャル神様が窓に足をかける。


 もうすでに外は暗いのに、ここ一体だけが、真昼のように明るく感じる。


「神様最後の仕事相手が、音儀ちゃんで良かったわ! なんか神様やっててよかったーって、そう思えた! いやー、やっぱええな神様って!」


 ギャル神様はお腹を抱えて大笑いしていた。


「終わりは万物に訪れる。故に、逃れることはできぬ定めだ。だが、努々忘れるな。その定めを以てして、至高とたらしめる意思が在ったことを」


 これまで見たことのない、真剣な表情で私を見つめるギャル神様。しかし、それも長くは持たなかった。すぐに吹き出して、再び笑い始める。


「見たもの、聞いたもの、人生において受け取った大切なものは、全部忘れず、なくさず、音儀ちゃんの中にしーーーーーっかりととっとくんやで。夕莉亜沙、櫻坂美桜。それから、うち。もらったもんは、全部や。それは必ず、これからを生きる音儀ちゃんの役に立つはずやから」


 あ、と言う暇もなかった。


 ギャル神様は光に包まれたかと思うと、光の粒になって夜空へと舞い上がっていった。


 それはまるで、砂時計を引っくり返したかのように、サラサラと、消えていく。


 寂しいよりも、綺麗が勝つ。あの神様らしい、お別れだなと思う。


 改めて部屋を見渡すと、ギャル神様の残していったスナック菓子の袋と、コーラの空き缶が散乱していた。


「片付けるかぁ」


 重い腰をあげて、掃除を始めることにした。


 大切なものはとっておけとギャル神様は言っていたけど、さすがにお菓子のゴミは捨てていいだろう。


「あれ?」


 スナック菓子の袋に手をやったそのとき、中に何かが入っているのに気付いた。


 変だなと思いながら取り出してみる。


 出てきたのは。くしゃくしゃに丸められたノートの切れ端だった。


 あの日、絵をやめると言って捨てたはずの、この世に唯一残った、紅葉楓の生きた証だ。


 なんで、これがこんなところに……。


 ううん、考える必要もない。だって、あの神様は、人の思考を読めるのだから。


「……っ!」


 部屋を飛び出して、私は学校に向かった。


 そうだ。私は紅葉楓を、あの日殺したはずだった。音儀白雪として生きていく以上、紅葉楓という人格は邪魔でしかない。


 でも、本当は、心のどこかで思っていた。


 それはただのワガママなのかもしれないけど。


 忘れないで。


 紅葉楓という人間が生きていたことも、お願いだから忘れないで、と。


 そう願っていたはずだった。


 校門は閉まっていたけど、乗り越えるのは簡単だった。校舎には鍵がかかっていて入れないだろうけど、私の目的地はそこじゃない。


 プレハブ小屋を覗くと、やはり、昨日先輩たちが使っていた画材が置きっぱなしになっていた。パネルを運んでいる最中に配色のミスに気づいて、グラウンドで直接描き直したのだ。美術室に戻るのが面倒という理由で、ここに置いて行ったのを偶然見かけたのは、運がよかった。


 私は画材を持って、グラウンドに向かった。


 大丈夫、ギャル神様は許してくれる。


 だってこれは、ただ、この世に未練を残してさまよう。


 幽霊の仕業だから。

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