第24話 ……あなたは誰?
冷蔵庫を開けてトマトジュースを取り出すと、
「と、トマトジュースって身体作りにいいんだ」
「そう」
美桜は興味なさそうに相槌を打って、部屋をぐるっと見回した。
「狭いのね」
「一人だから。あ、ごめんね、今お茶出すから……」
「ご両親は?」
リビングの丸机の前に座る美桜。私はクッションを探しながら答えた。
「いない」
美桜は今度は相槌を打たずに、コップに浮かぶ麦茶の水面をじっと見つめていた。
「ええっと」
私も美桜と向き合うように座ってはみるものの、何をするべきなんだろう。次の行動に困る。美桜は私のことを知りたいって言ってたけど……。
「美術室、夜になると幽霊が出るんだって。あなたは知ってた?」
「え、あ、うん」
うちの学校の美術室には、夜になると昔死んだ美術部員の幽霊が現れて、勝手にキャンバスに絵を描いていくなんて都市伝説がある。
都市伝説ってわざわざ銘打っているくらいだから、本当のことではないんだろうけど、やっぱり夜の暗い校舎でそのことを思い出すと不気味で、早めに帰る生徒も多い。
私は元々幽霊なんか信じていなかったから、遅くまで美術室に残っていることが多かったのだけど。
そんな私を、美桜はいつも心配していた。夜道は危ないから、とかじゃなく。幽霊に連れて行かれちゃうわよって大真面目な顔で言うのだ。
まさか美桜が都市伝説とか幽霊とか信じる側の人間だなんて思ってもいなかったので、当時笑ってしまったのを覚えている。
怖いの? って聞くと美桜は顔を真っ赤にして「別に」とそっぽを向きながら言う。私が「怖いんだ~」って追い打ちをかけると、泣きそうな目で私を睨む。あれは睨んでたね、うん。
そんな日のことを、ふと思い出した。
「
「別に」
まったく同じ返事だったので、思わず吹き出してしまいそうになった。
なんとか堪えて、所在のなくなった手を右頬に添えて誤魔化した。
「じゃあ今度、一緒に肝試しでも行ってみる? 都市伝説の真相を明かしに行こうよ」
「い、嫌よ。なんであたしがわざわざ真っ暗な校舎にのこのこ呪われに行かなきゃならないのよ」
の、呪いって。
「呪われるかどうかは分からないよ。もじかしたらいい幽霊かもしれないし」
「いい幽霊なんているのかしら……」
それは分からないけど……。
私もこうして転生していなかったら、幽霊として、今もこの街のどこかを彷徨っていたのかもしれない。
「あたしは、もし幽霊になったら、きっと生きている人全員を呪うと思う」
いつのまにかコップが空になっていた。美桜は、何も入っていないコップを傾けて、口を付ける。
「自分以外の幸せな人を、きっと許せない」
美桜はコップを机に置いて、下唇を噛んだまま部屋の隅を見つめている。
「あっ、そ、そうだ櫻坂さん。私、この前ね、ホームページに載せてもらうようのPR動画を撮ったんだ。まだ社長には見せてないんだけど、よかったら櫻坂さんに事前チェックして欲しいんだ」
空気がずっしりと肩に乗り始めたので、私は荷物を下ろして別の会話を担ぎ直す。
テーブルの上に置いてあるパソコンの電源を付けて、この間自分で撮ったPR動画の入ったファイルを開いた。
「スタジオ借りてもよかったんだけど、なんかこういうのは部屋で撮ったほうが印象いいかなって……」
「庶民っぽく見せるってことね。悪くはないんじゃないかしら」
動画を再生すると、わかりやすいくらいに口元のひきつった音儀白雪が画面に表示される。小さいパソコンの画面を、二人で覗き込んだ。
「こことか、割と即興で考えた決まり文句なんだけど、結構よくない?」
「『いずれおとぎ話になるアイドル』? どういう意味?」
「えっと……おとぎ話って、夢とか魔法とか奇跡とか、現実にはないものばかりが登場するでしょ? 私もそんなアイドルになりたくって、もし私を見た誰かが私のことをおとぎ話みたいに語り継いでくれたらいいなって」
まだ、自分の夢を語ることに気恥ずかしさはあるけれど、大げさでもいいから口にすることに決めた。大丈夫、私ならできる。そう思うと、本当にできる気がしてくるのだ。
何度も大丈夫です! って、言われたからかもしれない。
「悪くないと思うわ。白目を剥いていなければね」
「えっ!? 白目剥いてた!? どこ!?」
「おとぎ話になる……の五秒くらい前かしら」
「ちょ、ちょっと貸して!」
マウスを使って、動画を巻き戻す。
PR動画で白目を剥くアイドルなんて聞いたことない。ホラー映画のエキストラのオーディションなら受かるかもしれないけど、私は転生したとはいえ、ゾンビになりたいわけじゃない。
「違うわ、ここよ」
「えっと、ここ?」
「そこじゃなくて」
互いに指を指して私の白目シーンを探していると、ちょうど同時にマウスに手を重ねた。
ひんやりした感触に、美桜の手に触れたのだと気付いて、ハッと顔をあげる。
すぐ隣には、美桜の驚いたような顔があった。
「あっ、ご、ごめんね」
手を離そうとする。けれど、美桜はもう片方の手を更に重ねてくる。私の手はあっという間に美桜の手によって包み込まれてしまった。
「え、えっと」
間近で見つめられる。
私は思わず右頬に手を添えて、はにかみながら取り繕った。
「そ、そうだ。ホームページにね、私のプロフィールがもう載ってるんだよ。櫻坂さんは見た?」
話題を逸らそうと、インターネットプラウザを開く。
『前回のページを復元しますか』という表示が出たけど、心当たりがなく、なんの気なしに『復元』のボタンをクリックする。
すると、開かれたのは小説投稿サイト。
思い出した。
ちょうど、昨日、寝る前に読み返していたんだ。
美桜の小説を。
「あ、ぁっと!」
私は思いっきりパソコンの電源プラグを引っこ抜いた。こういうことするからページを復元うんぬんって出るのかもしれないでも今はそれどころじゃないし!
冷や汗が背中を伝う。やばいやばいやばい!
「トマトジュース、トマトジュース飲む!? 飲んで! 美味しいよ!?」
ああもう自分でも何言ってるか分からない。
とりあえず話題だ、話題を逸らさないと。
「お、おわっ!?」
冷蔵庫に直行しようとしたら、つま先で床を蹴ってしまい、バランスを崩した。
転ぶ……!
と思ったら、そんな私を美桜が後ろから支えてくれた。
「大丈夫?」
腰に美桜の腕が回されて、背中越しに美桜の体温が伝わってくる。
「前を向いて歩かないと、転んじゃうわよ」
「あ、あはは。面目ないです」
いや本当にそう。外で小石につまずいて転ぶとかならまだしも、なんにもない家の中で転ぶなんて……。
「あ、ありがとう櫻坂さん。おかげで助かったよ」
体勢を整えて、背筋を伸ばす。
けれど、美桜は私の背中に、抱きついたままだった。
「あ、あのー……櫻坂さん?」
「ねぇ、あなた……あたしに、隠してることがあるでしょう」
ぞわ、と背筋が凍った。
鳥肌というよりも、魂がそのまま、ふわっと宙に放り投げられて。身体の熱が一瞬この世から消え去ったかのような、不気味な悪寒だった。
「ほ、ほえ、な、なんのこと!?」
精一杯冷静に対応しようとするけど、声が上ずっているのが自分でも分かった。
「もう、いいじゃない」
「い、いいって何の事?」
美桜の方を振り返ることはできなかった。
今振り返ってしまったら、きっと、私の表情がすべてを物語っていると思ったから。
「ずっとおかしいって思ってたの。転校初日も、急に喋りかけてくるし」
「あ、あれは……ほら、櫻坂さん、綺麗だから。私、綺麗な女の子に目がないんだよね」
「喋り方だってそう。どこが音儀白雪なのよ。全然、違うじゃない……」
「きゃ、キャラチェンだよキャラチェン! ほら、私ってちょっとした曰く付きだから、今のままじゃダメだなって思って」
「じゃあ、時々、右頬に手を当ててたのはなに?」
「あ、え?」
私、そんなこと……してた?
記憶を振り返って、思い当たる場所に突き当たると、心臓が高く跳ねた。
「み、右の歯が虫歯で……」
「じゃあ見せて」
「い、今は、見せられない」
「どうして?」
「ふ、振り返れない」
だんだんと、言い訳が先細りになっていく。
「トイレに逃げ込む癖も、全然変わってないじゃない」
「私、元々お腹弱くて、それで」
「絵だって、全然、隠せてない。あんな独特な線を描けるのは、この世に一人だけ」
「そ、そうかな。あんなの、誰だって描けるし、たまたま作風が似るなんてよくあること――」
「もうやめて!」
先細った言い訳を、美桜に折られてしまう。
カラン、と。折れた先が落ちたような気がした。
「さ、櫻坂さん」
「その呼び方もやめて!」
美桜は聞いたこともないような声で叫んだ。掠れていて、悲痛で、まるで子供が力に任せて泣き叫ぶような、そんな声が狭い部屋に反響する。
「
聞き慣れた名前。
それと同時に、私がもう二度と、呼ばれてはいけない名前だった。
「ねぇ、そうなんでしょう?」
「ち、ちが」
今度は私の声も掠れていく。
違う、私は楓じゃない。
そう言えばいいはずなのに。
「楓、あたし……楓がいない間、ずっと寂しかった……」
美桜が泣きじゃくりながらへたりこむ。私の腰にしがみついて、うわごとのように呟いた。
「楓、楓……!」
こんな美桜、初めて見た。
どれだけ辛いことがあっても、苦しいことがあっても表情を崩さず、いつも自分一人で乗り越えてきた美桜が、今。私の目の前で泣いている。
それは、なんで?
私が、死んだから?
私が死ぬと、そんなに悲しいの?
「お願い。もう一度あたしのことを、美桜って呼んで」
美桜。
当たり前のように。
当然のように。
その名前を呼んでしまいそうになる。
だって美桜は、私の唯一の親友だったんだ。ずっと一緒だったんだ。
そんな美桜が、こんな風に泣きながら、名前を呼んでと懇願している。
私だってずっと呼びたかった。転生した日から、ずっと思ってた。
櫻坂さんなんて他人行儀な言い方じゃなくって、美桜! 美桜! 私だよ! って、言いたかった。
「み――」
振り返って、美桜を抱きしめようとした、その時だった。
まるで心臓を握りつぶすような激痛が、胸を貫いた。
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