第23話 今度こそ
構図を決めてからは、描きたい箇所を各学年で決めてそれぞれ作業を行う形となった。四つに分けて描くため、一つ分余ってしまうが、そこは進捗の状況によって替えていく予定だ。
そんなこんなで、裏の倉庫で私と
「さっきのラフもそうだけど、
塗りに使う筆なんかをバケツに入れながら、美桜が倉庫を出て行く。
「い、いや、してないです」
「えー!? もったいない。音儀さんの画力なら絶対バズるよ! これだって、下書きとは思えないくらい丁寧だし、それなのにすごく力強い。私、この絵が完成したところ見たいもん!」
詰め寄ってくる三年生が持っているのは、ラフを描いたあと、試しに他のも描いてと言われて描いた絵だ。本当にささっと描いただけだし、私としてもそこまで上手に描けているとは思えない。
「投稿することも考えたことはありますけど、ちょっと、自分の作品を誰かに評価されるのって、なんだか怖くって」
一度だけ美桜以外にも見てもらおうかと思ったこともあった。だけど、自分の絵を見れば見るほど粗が見つかり、その粗は、やがて私の右頬にできた火傷の痕のように脳裏に色濃く残る。そうすると自分のことが嫌いになるし、今すぐに描いた絵を捨てたくなる。
そういう衝動に駆られるのが嫌だから、絵を見せるのは美桜だけにしようと思った。
美桜は私の絵を評価しない。美桜は単純に、好き嫌いで私の絵を見てくれる。
「そうなんだ……ねぇ、音儀さん。なら美術部に入ってみない?」
「ええ!?」
予想外の提案に、私は驚いてしまった。
「ちょっと、音儀さんは今アイドル活動で忙しいんだよ。ネットニュース見なかったの?」
「あ、そっか……」
しょんぼりしてしまうその顔を見ていると、なんだか申し訳なくなってくる。
「音儀さんの絵、いいと思うんだけどなぁ……」
名残惜しそうに私の絵を見下ろす三年生。
そういえば、これで私は初めて、美桜以外の人に絵を見せたということになる。
特に何も考えないで、みんなに絵を見せたけど。
昔感じていた特有の嫌悪感のようなものは見当たらない。
ずっと自分が嫌で、自分に自信が持てなくて、顔をあげることすら億劫だったのに。
今はそんな自分の描いた絵を見られていても、嫌じゃなかった。
「美術部じゃなくても、放課後描きに来るだけならいいんじゃない?」
すると、私たちの後ろで作業をしていた
「音儀さんは今忙しいだろうし、好きな時に描きにくればいい。美術室は放課後なら基本的には開いてるから」
「え、でも……」
「そうしようよ音儀さん! 私、音儀さんの絵もっと見たい!」
「わ、わたしも見たいです!」
いつのまに来ていたのか、一年生までもが目をキラキラさせて私を見上げていた。
「で、でも私……」
「絵、好きじゃないの?」
吾妻先生が頬杖を付きながら、私をにこやかに見つめている。
絵、好きなのかな。分からない。美桜に見てもらうため。あとは、自分の感情を処理するため? なんで私、絵を描いていたんだろう。そんなこと考えたこともなかった。
私にできること、特技といえば絵を描くということだけで、心にぽっかり穴が開いてしまった日は画用紙にペンを走らせる。そうするとどこか安心する私がいて……。
好き、なのかな。私。
ぎこちなく頷いてみたけど、吾妻先生も、その場にいたみんなも、満足気に笑っていた。
「いつでも待ってるからね」
吾妻先生の言葉は、まるでカーテンの間から流れ込んでくる風のように優しく、静かに、私の心を揺らしていった。
「今日は疲れたね
パネル係の集まりが終わって外も暗くなり始めた頃、私と美桜は校門を出て帰路に就いていた。
あの後、ほとんど作業はしなかったけど、美術部の人たちと絵に付いて話をしたりした。音儀白雪である私はどこへ言ってもアイドルとか、芸能界の話を聞かれるだけだったから、すごく新鮮な時間だった。
まさかこうして美桜以外の誰かと絵に付いて話せるなんて。私が絵に付いての悩みを打ち明けると「私も!」「めっちゃ分かる!」と同意してもらえて、私だけじゃないんだと気付いて心が軽くなった気もする。
みんな良い人だし、これからはちょくちょく美術室に顔を出してみようかな。
こうして帰っている今も、絵を描きたくて指がうずうずしてる。
絵の描き方は覚えているけど、音儀白雪の身体で描くと少し線がブレたり、太くなったりするから、その部分も含めて練習したい。
これだけ描きたいって思うってことは、やっぱり私、吾妻先生の言う通り、絵が好きなのかもしれない。
「よかったわね、絵、褒めてもらえて」
「え? あ、うん! ビックリした。まさかあんな風に言われるとは思ってなかったから」
「芸術品は魂が宿ると言うものね。あなたがどんな人間だろうと、あなたの絵は素敵だった」
「そ、そうなのかな。へ、へへ……」
魂、そっか。魂か。
そう思うと、自分が特別な感じがして、鼓動が早くなってくる。
「これから美術部にも顔出していいって言われたから、体育祭が終わってもまた行くつもり。冬にはコンテストもあるんだって。お、応募してみようかな」
誰かに評価されるのなんて、本当は怖くて仕方がなかった。
けど、音儀白雪として生きるようになってから、だんだんと耐性が付いてきたのかもしれない。オーディションだってたくさん受けた。何度も落ちたし、審査員さんの前で泣いちゃうこともあったけど、でも、その失敗もあったから、もう一回頑張ろうって思えるようにもなった。
アイドル活動もこれから頑張らなくちゃだし、大変かもしれないけど、絵の方もまた描き始めたい。今まで逃げてばかりだったことに、もう一度挑戦してみたい。
「って、もう駅着いちゃったね。それじゃあ櫻坂さん、また明日ね」
喋っている間に駅に着いてしまった。とはいっても、喋っているのはほとんど私だけだったように思う。気持ちが昂ぶりすぎて、つい口数が増えてしまった。反省。
「ねぇ」
別れを告げると、櫻坂さんが不意に私を呼び止めた。
「あなたの家、行ってもいい?」
「え、なんで!?」
「なんでって、あなた、あたしと仲良くなりたいんでしょう? 転校初日、そう言ってたじゃない」
そういえば言ったかもしれない。あのときは転生したばかりで勝手が分からなくて距離感を間違えてしまった。美桜からしたら音儀白雪なんて赤の他人なんだから、あんな風に話しかけられたら警戒するに決まってるよね、と今になって思う。
「いいわ。あたしも、あなたと仲良くなりたいから」
「ほ、本当?」
美桜がその白い手を、こちらへ差し出してくる。
あ、握手ってことなのかな。
おそるおそるその手を握ると、美桜がしっかりとした力で握り返してきた。
「ええ、もっと交友をしましょう。あなたのこと、もっと知りたいわ」
「そ、そっか! う、うん! じゃあ、狭いアパートですが、よろしければ」
ぺこぺこと頭を下げる。
なんか今日、いいこと起こりっぱなしじゃない?
また絵を描こうって思える出来事もあったし、美桜とだってもう一度仲良くなれるかもしれない。
これまでずっと、音儀白雪として生きることに必死だった私だったけど、大切なことを思い出した。
紅葉楓の人生だって、無駄だったわけじゃない。紅葉楓だって紅葉楓なりに一生懸命生きた。紅葉楓が残したものだって、きっとある。
今も、胸に手を当てれば鼓動が伝わってくるほど、私はもっと、生きたいって思っているから。
「それじゃあ行こ!」
美桜の手を握ったまま、私は駆け出した。
忘れていた私の、大切な思いを離さないように。
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