第22話 絵の具の香り

 美術室に到着すると、まだ鍵が開いていないのか、四人ほどドアの前で立ち往生していた。私と美桜みおに気付いた人が、驚いたように声をあげる。


「わ、ほんとに来た。幻の二年生組」


 赤いリボンを見るに、三年生だろうか。他にも青いリボンの人が二人。各学年二人ずつ選出されているはずなので、これでフルメンバーということになる。


「来てくれてありがとう! 音儀おとぎさんも大変だろうに。今頑張ってるんだもんね、時間大丈夫?」

「ええっと」

「大丈夫よ」


 本当は帰って自主練をしたいのだけど、美桜が私の間に割って入る。


「ごめんね遅くなっちゃった! 今鍵開けるね」


 それから5分ほど待っていると、向こうから吾妻あずま先生が駆けてきた。サイズの合ってない靴が、パカパカと鳴っている。なんだか馬みたいだ。


 美術室の椅子は教室と違って低い代わりに、机は横に広く、スケッチなどがしやすいように傾くようになっている。


 美術部だった私としては、この机が一番馴染む。それにこの絵の具と画材の香りを嗅ぐとすごく落ち着く。美術室は新校舎から遠い場所にあるため、生徒の声や物音も少ない。


 よくここに来て、絵を描いてたな。


 感慨に耽っている間にもメンバー全員が机に座って、リーダーらしき人がパンと手を叩いた。


「実は私たち緑軍だけ、パネルの進捗が遅れています。慎重になるのも大事ですが、やはり締め切り日まで余裕を持って完成させたいという思いもあるので、今日中に着手したいと考えてます」

「そうだね、でも、玄武っていまいち構図が思い浮かばないんだよね。他の青龍や白虎と違って、複雑だし、正直デザインも映えるものじゃないし」

「これ、今上がっている候補のラフなんだけど、私たちはすでに目を通してあるから、あとは二年生ね」


 目の前に差し出された三枚の画用紙には、パネルに使うラフがそれぞれ描かれている。一枚目は真正面から、玄武が口を開けている構図。二枚目は玄武を横から見た構図で、三枚目は俯瞰視点で、玄武を描いた構図。


「票が最も多いのは、一枚目のやつね。二枚目は確かに全体を書けるのはいいけれど、動きがなさ過ぎるから正直没かな。三枚目は、書けたら優勝間違いなしだとは思うけど、技術的にも難しい」

「うん。といっても、私たち美術部だし、専門的な視点で見すぎかもしれないから、美術部じゃないお二人の純粋な感想も聞きたいの」


 ぎく、と私の心臓が跳ねる。


 そ、そっかこの人たち美術部なんだ……ずっと端っこの方で描いてたから、部員の顔まで分からなかった。


 この学校の美術部は吾妻先生の意向もあって特にミーティングだったり、部員一丸となってコンテストを目指す、といったことはしない。あくまで絵が好きな人が好きなように描くというスタイルだったから、他の部員と関わることがなかったのだ。


 だから私も誰が誰だか分からないし、いつも端っこで描いてた私を認識している人もいなかったと思う。


「あたしはなんでもいいと思うわ。一位を取れなかったからって死ぬわけじゃないし」


 歯に衣着せない言い方をする美桜を見て、一年生が目を丸くしていた。


 美桜、怖がられてるよ……。


「そっか、あはは。音儀さんはどう?」

「えーっと」


 私は三枚のラフを見比べて、率直に意見を言った。


「パネルって筆で大きく描くものですよね。それだと、一枚目の構図は細部の表現が活きないし色使い次第ではありますけど、遠くから見た場合、面でしか見えずに、何のイラストかも分からない可能性もあると思います」


 画用紙に目を落としながら、一つ一つ粗を探していく。


「じゃあ音儀さんは、三枚目がいいと思う?」

「えっと、三枚目は俯瞰で見る分、エフェクトに自由が効くと思いますけど、玄武の特徴である混ざり合っているデザインが見えにくいのが難点だと思います。なので私は、二枚目がいいかなって」

「でも、二枚目の横からの視点だと、設定画みたいになっちゃわない?」

「それは多分、両足を地面に付けちゃってるからだと思います」


 例えば、と言って、私はカバンからノートを取り出して、簡易的ではあるけどそこにざっと思いついた構図を描いてみた。


「こんな感じで、視点はあくまで横から、だけど玄武自体は縦に多く見せれば、その分空いた余白に絡みつく蛇を描けます。静と動が合わさることによって躍動感も生まれるし、亀のずっしりとした重量感も出ると思うんです」


 と、そこまで言って顔を見上げると、その場にいた全員が私を見ていた。


「お、あ! す、すみません……! ほんの思いつきなので、気にしないでください! こんな案、みなさんのアイデアに比べたらへにょへにょのボコボコですよねほんと調子乗ってすみません」


 自分でも何を言っているのか分からないけど、この沈黙が私の出過ぎた真似に釘を刺すようなものだということは分かったので、慌てて弁解する。手汗がやばい。


「音儀さんって、絵が描けるの!?」

「え?」


 かと思ったら、急に手を握られた。うわあ今手汗すごいのに!


「確かに、これなら遠くから見たときでも玄武のイラストだって分かるし、なにより玄武にしかない特徴が際立ってる。正直他の軍と比べて映えるのが難しいデザインだって思ったけど、これなら……」


 ラフを描いたノートを、みんな覗き込むように見ている。


「これでいこうよ! 私、これにしたい!」

「わ、わたしもこれでいいと思います!」


 三年生は憑きものが取れたような顔をして、一年生に至っては私をキラキラした目で見つめている。


「これなら最初から音儀さんに頼めばよかったね! 櫻坂さんは音儀さんが絵描けるって知ってたの?」

「いえ……」


 美桜はノートに視線を落とし、描かれたラフを、指でなぞる。


「知りませんでした」


 だって、言ってないし。


 美桜の横顔を見て、いつ問い詰められても大丈夫なように身構える。


 だけど、美桜はいつまで経っても顔をあげず、ノートに描かれた細い線をじっと見下ろしていた。

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