第21話 アイドル始動

 SNSでアイドル復帰することを伝えると、そこそこの反響があって、アデリアプロダクションのホームページに音儀おとぎ白雪しらゆきのプロフィールが掲載されるとネットニュースにもなった。


 私の投稿に返信やいいねがつくたびにスマホが震える。もちろん応援してくれているファンの声もあったけど、誹謗中傷にも似た暴言もあってドキリとした。


 嫌悪感というか、存在を否定されている感じというか。まるで釘を心臓に打ち込まれているかのような痛みが奥歯まで伝わってくる感覚。冷や汗は伝うし、お腹は痛くなる。


 よ、よく音儀白雪はこんなのに耐えてたな……。


 私はすでに撃沈しそうだった。


「傷つくなら見ないことね」


 スマホに表示される通知バーを眺めていたら、後ろから手が伸びてきてスマホを隠された。


「傷ついてないし……」

「そう、ならいいけど」


 とかいいながら、美桜みおが私のカバンを机にドン! と乗せる。手が潰れるかと思った。


「枕営業ってそんなに悪いこと?」

「ええ、アイドルは特にね」

「それが、事実じゃなかったとしても?」


 カバンの底に埋もれたスマホを引っこ抜く。美桜は私が立ち上がるのをジッと見つめていた。


 私と美桜が見合っていると、教室の入り口の方から「音儀さーん! 昨日ニュース見たよ! 頑張ってね! 応援してる!」と手を振ってくれている子がいた。


「そうね、事実ではなかったとしても」


 私が手を振っていると、美桜が小さくそう呟いた。


「そっか、なら……なおさら頑張らなくっちゃ」


 カバンを背負って駆け出す、


「待ちなさい」

「ぐえ」


 首根っこを掴まれて、田んぼで大合唱する緑の虫みたいな声が出る。黒板の前に集まっていた男の子たちが一斉に驚いている。


 私はコホン、と咳払い。アイドルなんだから、もうちょっと気をつけないと。


櫻坂さくらざかさん、この手はなんですか?」

「言ったでしょう、今日はパネル係の集まりがあるのよ」

「えっと……私はパスで。帰って練習しなくちゃ」

「レッスンの予定はないでしょう」

「自主練もできるし、近くに河川敷があるから、そこでボイトレもしようかなって思ってるの。来月にはもうライブだし、なんとか間に合わせないと」


 私の初ライブの日程は、私のプロフィールがホームページに掲載されるのと同時に発表された。とはいっても、地下アイドルのライブ日程を随時投稿してくれている非公式アカウントからの告知に、私の名前が混じっているというだけなのでそこまで大々的には行われていない。


 ただ、ネットニュースの影響で、もしかしたら会場が埋まるかもしれないと先日社長から伝えられた。


「だからごめん! 今日は櫻坂さん一人で行ってきて」


 そんな状況で、半端なパフォーマンスはできない。来てくれるファンの人への気持ちは、正直まだ確立してはいない。けれど、音儀白雪、それから夕莉ゆうりさんのためにも、私は必ず成功させて、音儀白雪というアイドルをもう一度輝かせなくちゃならない。


 そのためには練習あるのみだ。


「待ちなさいって言ってるでしょう」

「ぐえ」


 首根っこをひっつかまれて、また黒板の前に集まっていた男の子たちと目が合った。


「練習練習って、回数を重ねるだけの練習になんの意味があるの?」

「え、で、でも私……人よりスタートが遅いわけだし、ハンデもあるわけだし……人一倍頑張らなくっちゃ」

「ああ、お父さんが言っていたのはこういうこと」


 社長がなんて? と、言う前に私は引きずられて教室の外まで連れて行かれた。


「あなた、頑張ることに酔ってるの?」

「え?」

「頑張りたいという気持ちは、あなたのレッスンを見ていれば伝わってくるわ」

「え、見てたの?」

「……見てないわ」

「ええ……」


 今見てたって言ってたのに。


「頑張った証に、汗をかいたり、疲れたり、辛い思いをするというのは間違っている。努力っていうのは、短期的に頑張った時間を言うんじゃない」

「じゃあ、どうすればいいの? 私は人一倍頑張らなくちゃなのに」

「努力というのは、夢を刻んだ月日のことを言うのよ。追いつこうとして追いつけるものじゃない」


 美桜は自分の唇を噛みながら言った。


「これだけは覚えておきなさい。どれだけ汗を流そうと、どれだけ必死に頑張りましたってアピールしても、やめた者は敗者で、やめなかった者だけが勝者なのよ」

「櫻坂さん……」


 どうしてそんなに辛そうに言うのだろう。


 私の知る限り、美桜はずっと勝者側のはずだ。美桜は出会った頃から小説を書くことに一生懸命で、まっすぐで、四六時中小説のことしか考えていないような人だった。


 それこそ、美桜は投稿サイトに小説を毎日投稿していて、更新が途切れたことなど一度も……。


「努力の寿命を縮めるような頑張り方は、やめたほうがいいわ。あなたも、こちら側に来たくないならね」


 昔、美桜が小説のコンテストの一次審査で落ちた時も、同じ顔をしていた。唇を噛んで、泣きそうな顔をして、ひたすらに自分を憎み、嫌うような、悲痛な顔。


 当時私は、美桜がどうしてそんな顔をしているのか分からなくて「審査員の人が見る目ないね!」と言ってしまった。私は慰めたつもりだったのだけど、美桜は一向に顔をあげてくれなくて、困った記憶がある。


「忠告はそれだけ。たまには休むのも大事ってことよ。ほら、早く美術部に行くわよ」


 でも、今ならなんとなく、何を言えばいいのか分かる。


 夕莉さんだって、審査員がどうとか、見る目がないとか、そんなことで私を応援したことなんか一度もなかった。


 夕莉さんはいつだって、私の心に触れて、前を向けてって言ってくれた。


「努力に寿命なんかないよ」


 夕莉さんなら、きっとこう言う。


「もしかしたら頑張れない時期もあるかもしれないけど、そういう時期が過ぎたらまた頑張れると思う。努力は死なない」


 美桜の肩に触れて、拳を胸に当てる。


「まだ死んでない」


 美桜があのとき泣きそうな顔をしていたのは、悔しかったからだ。


 悔しいなんて感情、あの頃の私には持ち得なかったものだった。


 でも、今は違う。


 私は、後悔している。夕莉さんに、一度でもいいから「頑張ります」って言いたかった。「見ててください」って言って、期待に応えてあげたかった。


 それができずに、私はいつも言い訳ばかりしていた。


「なんてね。受け売りなんだけど」


 私は美桜から手を離して、笑って見せた。


「でも、本当にそうだと思う。死なない思いってあると思うから。私も、今はそれを探すために頑張ってる。だから……そちら側には、まだ行かないと思う」

「そう」

「ご、ごめんね偉そうに! ああっ、なんか私最近変だな、この口がね、勝手に、偉そうなことを」


 慌てて手を振る私を、美桜は不思議そうに見て、ほんの少しだけ、口元を緩めた。


「死んだのよ、もう」


 なんで美桜は、悲しげに笑うのだろう。


 ダメだ。私、また美桜になんて言えばいいか分からない……。

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