第19話 助けてギャル神様!

 アイドル事務所に所属しただけでアイドルとは認められない。


 まずはアイドルとして、仕事をすることが重要となってくる。


 美桜みおのお父さん、もとい私の所属するアデリアプロダクションの社長が提示したのは小さなライブだった。詳しい日時はまだ未定だけど、地下アイドルのライブ会場に参加させてもらえるツテがあるらしい。


 入場料は無料なので、私のような初参加のアイドルでも見て貰える機会は多いとのこと。とはいっても、音儀白雪は元アイドルということもあって、少し異例のデビューとなる。


 宣伝は会社のホームページでもしてくれるらしいけど、まずはその宣材写真を撮りに行かなくちゃならない。


 それから音儀白雪のSNSも利用して、アイドルに復帰した旨を伝える必要がある。


 なんだかたくさんやることがあって、すでに緊張している。


 しかも今は、それどころじゃない。


「はい、お疲れ様」


 私がレッスン室の真ん中でぶっ倒れていると、美桜が冷たいペットボトルをお尻の上に落としてきた。


「トレーナーさん、褒めてたわ。思っていたよりもガッツのある子だって」

「ほ、本当?」

「ええ、音儀おとぎ白雪しらゆきのトレーナーなんて貧乏くじ引きたくないから無理なレッスンを押しつけてあなたの方から辞退してもらう算段だったらしいわ。けど、あなたは最後まで弱音を吐かなかった。まぁ、スタートとしては及第点かしら」

「おそろしいことするね、あの人……」


 私を担当してくれることになったトレーナーさんは、ダンスの国際大会で四位になったことのあるすごい人だ。実力は折り紙付きだけど、その代わり尋常じゃないほどスパルタだ。


 付いていけないと、トレーナーを替えてくれと言う子が続出している、言ってしまえば曰く付きのトレーナーさんだった。


 社長からその話を聞いたときはゾッとしたが、でも、私からすればありがたかった。


「けど、怒ってくれる方が、いいかも」

「変態なの? あなた」

「ち、違うよ!? 私、お尻叩かれないと、走り出せないから」


 美桜からもらった水を飲んで、喉を鳴らす。


 トレーナーのレッスンはそりゃもう、死ぬほどキツイ。一回死んだ私が言うのだから間違いない。本当に、死ぬほどだ。隕石が顔面に直撃するのに値するほどしんどいレッスンの中でも特筆すべきは、休憩がないことだった。


 絶え間なく続くレッスン、振り付けを間違えれば最初からやり直しだし、笑顔を崩したら木刀でお尻を叩かれる。このご時世にそれは体罰なんじゃないかと言えるほど呼吸も続かない、ダンスの応酬。


「そのおかげで、なんとか最低限は踊れるようにはなった気がする」


 そんなレッスンを続けて二週間。疲れてもう身体の動かない状態で、振り付けをする場合、最低限の動きをしなくちゃならない。そうやっているうちに、四肢から指先にかけて脱力させる踊り方を身につけた。


 とはいっても、これは私の力じゃない。


 土台が完璧すぎるのだ。


 身体を動かす筋肉も、支える体幹も、音儀白雪が身につけたものだ。


 これだけのレッスンをしても、まだ身体は悲鳴をあげていない。それどころか、まだ動ける気さえした。


 音儀白雪が、アイドル復帰に向けてどれだけ努力していたかが身体を通して伝わってくる。


「よし、今日も帰ってレッスンの復習だ」


 私が立ち上がると、音儀白雪がカバンを渡してくれた。


「ありがとう。なんだか、マネージャーさんみたいだね」

「お父さんに頼まれて来ているだけ、勘違いしないで」


 美桜はレッスン中も、ずっと私の様子を見てくれている。


 とはいっても、美桜の言う通り、社長に頼まれているのだろう。見守るというよりは、私の仕草を一つ一つ監視するような視線だった。


「髪、そろそろ切ったらどう? 伸ばすのはいいけれど、前髪はダンスのときに邪魔でしょう」


 汗で額に張り付いている前髪は、確かに私も邪魔になっていた。


「そうだね、宣材写真もあるし、明日切ろうかな」


 明日はレッスンの予定がないから、家で自主練をするつもりだけど、午前中のうちに髪を切りに行くのもいいかもしれない。


「そういえば櫻坂さくらざかさんは」


 小説どうしたの? 


 と聞こうとして、寸でのところで口を押さえた。


 先日、小説投稿サイトで美桜のアカウントを見に行った。アカウントをフォローしているので、私のアカウントでログインすればすぐに覗くことができた。


 早く美桜の小説が読みたい、そんな私の気持ちとは裏腹に、美桜は小説をバッタリ書かなくなってしまっていた。更新は四ヶ月前で停まっていて、それ以降の更新はない。


 音儀白雪が美桜の小説を知っているのはどう考えてもおかしいので、そんなこと聞けるわけもない。


「マネージャーはどこか寄る場所とかあるの?」


 私は慌てて誤魔化した。


「誰がマネージャーよ」


 指を美桜に向けたら、そのまま折られそうだったので、すぐに引っ込めた。美桜にじとっと睨まれながら、私はレッスン室を後にした。


 あ、危なかった……。



 家に帰ると、私は冷蔵庫からトマトジュースを取り出した。


 調べたら、トマトには脂肪を燃焼させる成分が多く含まれていて、程よい炭水化物も摂取できることから、身体作りにうってつけの野菜らしい。もしかしたら音儀白雪は、トマトが好きなんじゃなくて、トマトの栄養を取りたかっただけなのかもしれない。


 そう考えるとおかしかった。音儀白雪も、ちょっと極端だな。


 ストローに口をつけて、濃厚なトマトジュースをジュルジュルと飲みながらリビングに入る。


「あはは、やっぱ関西の漫才は最高やな。格が違うわ格が」

「ブーッ!」


 テレビの前で寝転がっている人影を見て、私は思わずトマトジュースを噴き出した。


「うおっ、吐血かいな。なんや、せっかく転生したんに、もう病気になったん? 身体は大事にせんと、一生もんなんやから」

「な、なんでギャル神様がこんなところにいるんですか!?」


 一見、髪を染めた高校生にしか見えないかもしれないけど、私には分かる。


 私が死んだあの日、転生について説明してくれた、ギャル神様だ! あ、いや、正式名称は分からない。私が勝手に呼んでるだけだから、


「あー、ええよギャル神様で」

「人の心を読まないでくださいよ……」

「読んどらんよ、今は脳信号をキャッチしないようにセンサーの電源を切ってあるから」


 そう言ってギャル神様は自分のこめかみを指でとんとん、と叩いて見せた。


「ただな、顔を見れば分かる。そういうもんや。ほんで、白雪ちゃん、第二の人生はどうや? 満喫しとる?」


 ギャル神様はあくまで、私のことはもう紅葉もみじかえでではなく音儀白雪として見ているみたいだ。


「まぁ、波瀾万丈ですけど」


 音儀白雪のこと、それから夕莉ゆうりさんのことを話すと、ギャル神様は満足そうに頷いてみせた。


「生きるんは、生きようとせんと生きられへん。白雪ちゃんはちゃんと、生きようとしとるね」

「探り探りですけど、でも……なんとなく分かります。心臓を動かして呼吸をしているだけじゃ、ダメなんだろうなって」


 少なくとも私は、夕莉さんの言葉と生きる姿に心を動かされた。そして、そんな夕莉さんがそこまで肩入れする音儀白雪という人間のことも、同時に信じてみたくなった。


「うちとした約束も忘れてないやんな?」

「はい、転生したことは他言しない」

「怪しまれてもアウトや。まぎらわしい言動は避けた方がええで」

「今のところは大丈夫だと思います。そもそも、以前の私は、そんな色んな人に認知されているような人間じゃないので、怪しまれるってことはないかと」

「そかそか、それなら安心や。転生において、それだけが懸念してるところやったから。せっかく軌道に乗った第二の人生も、誰かに転生がバレたら全部おじゃんやからな」


 そう言ってギャル神様はテレビに視線を映した。テレビの向こうでは、今人気のアイドルグループが、ひな壇に座ってトークをしている。


 顔面だけで言ったら、文句なしで音儀白雪の勝ちだ。


 でも、それだけじゃない何かを、彼女たちから感じる。


「あ、そうだ」


 明日、髪を切ろうしていたことを思い出した。


 紅葉楓の頃に行っていた床屋に行くことも考えていたけど、あそこは七十過ぎのおばあちゃんが一人で経営している床屋だ。居心地はいいけど、おしゃれしに行くには、ちょっと違う場所だった。


 美容室もいいけれど、初めての場所に行くのって怖いし……と困っていたところだった。


「ギャル神様のその髪って、自分で切ってるんですか?」


 ギャル神様の髪はふわふわで、毛先が巻いてあって、すごく可愛い。ギャル神様に聞けば、おしゃれな髪型も教えてくれると思ったのだ。


「そうやで、可愛いやろ? 神様だって魔法使いじゃないんよ。髪が伸びればハサミでちょきちょきや」

「そ、そうなんですね。実は私、髪を切ろうと思っていて、でも、どういう感じにすればいいかよくわからなくって」


 私が言うと、ギャル神様は目をキラキラさせて詰め寄ってきた。


「ほんならうちが切ったる! ほらほら、鏡の前に立って、肩の力抜かんと」


 肩を掴まれて、そのまま洗面所まで押し込まれた。


「可愛い子を可愛くコーディネートするのがうちの夢だったんよ! はー、まさか神様やって500年目で夢が叶うとは思わんかったわ!」


 ギャル神様のテンションがあがっている。こう見ると、ギャル神様も本当に、私と高校生みたいだ。


「そんなのを夢にしていたんですか?」

「そうやで? 夢なんかいくら持ってたってええんやから」


 ギャル神様は鼻歌を歌いながら、どこから取り出したのか、ハサミを私の額に合わせて何かを計っている。


 おお、なんだか本当の美容師さんみたい。


「ほんでほんで、今回はどのような感じにしましょうか~?」

「えと、お任せで。でも、思いっきり変えちゃってもいいです」

「ええの?」

「はい、どうせなら、生まれ変わりたいので」

「生まれ変わり……? はは、あっはははは!」


 可笑しいことを言っただろうか。


 ギャル神様はお腹を抱えて笑い始めた。


「やっぱ白雪ちゃんはおもろいわ。関東人にしとくんは勿体ないくらいや。任せとき! 髪型や服装を変えて生まれ変わった自分になるっちゅうんは、おしゃれする女の子の決まり文句やからな」


 そう言ってギャル神様は私の前髪を持って、ハサミをあてがう。


 また何かを計っているのかな、と思っていたら。


 ジョリ、と豪快な音がした。


 パラパラと、目の前を舞う私の髪たち。


「え?」


 私の前髪は、眉毛の遙か上空で、ばっさりと、真横に切られていた。


「一つ忠告しといたる」


 ギャル神様は私の、短くなった前髪を手ぐしで解かしながら言った。


「生まれ変わるって言うんは、以前の自分には決して戻れないってことや」

「それって、どういう――」


 言い終わる前に、後ろでまた、ジョリ、と音がした。

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