第18話 元親友との帰り道

 美桜みおはいつも私の歩幅に合わせて歩いてくれるし、いつも道路側に寄ってくれた。雨が降れば傘を差してくれるし、靴紐が解ければ紐を結んでくれた。私がお姫様で、美桜が王子様みたいだねって言ったら美桜はいつも顔を赤くして、なんだか私まで恥ずかしくなって互いに喋らなくなる。ちょっとの沈黙のあと、二人で顔を見合わせると、おかしくって笑い合う。


 そんなような放課後があったのを、思い出す。


「早く歩いてくれるかしら、歩くのが遅いのは運動不足の証拠よ」

「す、すみません」


 いや本当に、あったんです、そういうことも。


 ただ今の美桜は、音儀おとぎ白雪しらゆきを相手にしてるから、ちょっとトゲトゲしいだけで。


 なんだか雨が降り出しそうな空の下を、二人で歩く。というよりも、前を歩く美桜の隣を私が付いて行っている格好だ。


 美桜は学校がある日でも休日でも、ローファーを穿いている。スニーカーは穿かないのかと聞いたこともあるけど、色付きや柄付きの靴を選ぶのがそもそも苦手らしい。


「ねぇ、枕アイドル」


 美桜の踵を眺めていたら、美桜が振り返った。


「え、な、なに?」


 私が返事をすると、美桜は小さくため息を吐く。


「返事するってことは、本当なのね」

「あ」


 そっか、返事しちゃダメか。枕なんかしてないわよオホホ、と聞き流せばよかった。


 このまま誤魔化すこともできたけど、という夕莉ゆうりさんの言葉が蘇って私は首を横に振った。


「してないよ」

「どうとでも言えるわ、後からだったら」

「うん、だから……証明するよ」


 事実を知らない私にとって、今できることはそれくらいしかない。


 もしかしたら本当に枕営業をしていたということだって、まだないわけじゃない。


 ただ、私は音儀白雪を信じたい。夕莉さんが信じた、音儀白雪を。


「これは善意で言わせてもらうけど、一度不祥事を起こしたアイドルが再びステージに立つなんて不可能よ。動画サイトで細々と個人で配信するくらいが丁度いいんじゃない?」

「た、確かに、その手もあったね。配信、配信かぁ」


 盲点だった。今どき、個人チャンネルで人気を獲得するアイドルも多いと聞く。音儀白雪もチャンネルを持っていて、そこそこ登録者数もいたはずだ。ある時を機に、ピタッと更新は止まっていたみたいだけど。


「でも、アイドルがやりたいんだ私」

「アイドルならやってたじゃない。それとも、業界に入って、お金持ちの人間に媚びるのが快感になっちゃったのかしら」

「そうじゃないよ。私はもう一回、アイドルをやりたいの。アイドルになれたらそれでいいってわけでもなくって、胸を張って私はアイドルですって言えるように頑張りたい」


 きっと、音儀白雪もそうしようと思っていたはずだ。だから夕莉さんに「絶対アイドルになる」って言ったのだと思う。


「変な噂なんかかき消しちゃうほどの、立派なアイドルになりたいんだ」


 立ち止まっていた美桜に、追いついてしまう。美桜が私を探るように見ている。次の言葉を、待っているのだ。


「夢だから」


 なら、多分これでいいはず。


「私だけじゃない、色んな人の夢が詰まってる。だから、止まれないの」


 胸に手を当てて、もらった言葉を思い出す。


 ずっしりとした重みが、胸からこぼれ落ちそうになった。


「夢なんて、くだらない」


 美桜は私から視線を外すと、再び歩き始めた。


「夢なんか所詮、一時の高揚感が見せる妄想よ。いつまでも続くわけじゃない」

櫻坂さくらざかさん……?」

「夢は覚めるものでしょう。あなたも、今は自分に酔っているだけ。目が覚めたら、さっさと現実を見た方がいいわ。そうじゃないと……無駄に苦しむだけよ」


 美桜はどうしてそんなことを言うんだろう。


 美桜は以前、私に夢を語ってくれた。


 夢を持ったことのない私には、その熱量がどこから来るのかが分からなかった。でも、今ならちょっとだけ、美桜の思いに寄り添えるって思ったのに。


「そう、なのかな……」


 美桜が言うなら、そうなのかもしれない。美桜が言うことはいつだって正しい。美桜は私よりも大人で、私よりも広い視点で物事を見られる人だ。


 だから、小説を書いたりできるのかもしれない。


 そういえば、美桜、小説どうなったんだろう。もう新作書き始めたかな。


 家に帰ったら、投稿サイトをチェックしてみよう。


「なにニヤニヤしてるの? 気持ち悪い」

「へ? あ、いやぁ」


 転生してからずっと、音儀白雪のことで忙しかったから全然、美桜の小説のことが頭から抜けてしまっていた。


 そうだ、美桜の小説を読めば、また違った答えが見つかるかもしれない。夕莉さんの言っていた人生における執念めいたものの、ヒントも隠れているかもしれない。


 美桜の小説はいつだって、私の助けになるのだ。


「アイドルがそんなふにゃふにゃした顔してていいの? もっと表情を引き締めなさい。あなたはもうアデリアプロダクションのアイドルなんだから」

「はっ、そうだね、ごめん! キリッとした表情、キリッとした表情……」


 私は思わず右頬に手を当てて、表情を作り直した。


「こんな感じでどうかな、櫻坂さん」


 口角に力を入れることを意識してみた。ダンスの動画を見ていたらたまたま紹介されていた、笑っていなくても笑顔に見える表情だ。


「櫻坂さん?」


 しかし美桜は、私の顔を見たまま固まってしまっている。もう一度声をかけると、美桜はハッとして、目を伏せた。


「あなたが笑顔を向けるべきはあたしじゃなくて、ファンの人たちでしょう」

「櫻坂さんはファンになってくれないの?」

「は?」


 美桜が私を見上げて、口を尖らせる。


 し、しまった……また生意気なことを言ってしまった。


 美桜は目を細めたままだ。美桜がこの顔をするときは、だいたい、こっちの意図を探っているときだ。


 みんなはこの顔を睨んでいるって勘違いするけど、別に美桜は睨んでるわけじゃない。ただ、知りたがってるだけだ。


「って、自信を付けるところから始めたいなって、次第です。はい」

「そういうこと……急に不遜なことを言い始めたから、性根からたたき直してやろうかと思ったわ」

「えっと……ちなみにどういった方法で?」

「崖から突き落とす」

「ライオンかな!?」


 恐ろしいことを言い出す美桜に、私はツッコミつつも、つい笑ってしまった。


「あっは、あはは」


 そんな私を、美桜は醒めた目で見つめている。


「駅まで着けば、あとはいいわね」

「うん、ありがとう櫻坂さん。助かったよ」


 駅が見えてきたので、美桜とはここでお別れだ。名残惜しいけれど、なんだかすごく懐かしい時間を満喫できた気がする。


「それじゃあね、櫻坂さん」


 手を振ってお別れをする。けれど、美桜は手を振り返してはくれなかった。


 まぁ、そうだよね。


 ちょっぴり近づけたと思ったけど、今の私は美桜に頬をぶたれたような人間なのだ。


 アデリアプロダクションのアイドルだから、こうして美桜も手助けしてくれてるだけで、別に私に心を許してくれたわけじゃないんだ。


「ご、ごめんね」


 なんの謝罪なのか自分でも分からなかった。


 それでもつい、別れ際言ってしまうのは。


 身の程も知らずに、楽しく喋ってしまってごめんなさいというような、懺悔に近いものだったのかもしれない。


「明日、四時までに事務所」

「え?」

「スタジオを紹介するんだって、さっそくレッスンも入ってるから、遅れないで」


 美桜はそれだけ言うと、踵を返してしまった。


「う、うん!」


 とにもかくにも、私は今日から、アイドルなんだ。


 ここがゴールじゃない。


 ここからが本番だ……!

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