第3章

第14話 紅葉の枯れた世界

 *


 それは、お父さんに持たされた菓子折をカラフルマーケティングに届けに行った時のことだった。


 お父さんが経営するアデリアプロダクションは去年できたばかりの小さなアイドル事務所で、まだ所属アイドルはいない。お父さんは最初のアイドルは慎重に選びたいといっていたが、悠々と立てたビルの管理費や土地の維持費などもバカにならない。さっさと事業を始めた方がいいとあたしは思うのだけど、お父さんは頑なに首を横に振る。


 元々アイドルのライブに行くのが趣味なだけあって、妙なこだわりがあるのかもしれない。


 あたしは、そんなお父さんに小さい頃からよくライブに連れて行ってもらっていた。メジャーなアイドルからまだデビューしたばかりの地下アイドルを、あたしはこの目で見てきた。だからなんとなく、これから人気が出るアイドルと、消えていくアイドルの違いも、なんとなく分かっている。


 お父さんに持たされたこの菓子折も、先月アデリアプロダクションを退所したアイドルを担当していたプロデューサーに渡すものだ。お父さんが音楽関係の仕事をしていた頃の知り合いらしく、要は横の関係を作りたいのだろう。


「あの、アデリアプロダクションの社長、櫻坂さくらざか清文きよふみ……の娘です。お父さんからそちらのプロデューサーさんへ、贈り物がありまして」


 受付の人に名刺を渡す。受付の人は、丸眼鏡を持ち上げて「娘……?」と復唱した。


 当然だ。なんでわざわざ社長本人ではなく、関係者でもなく、娘なんだろう。


「プロデューサーは今オーディションの審査員をやっておりまして、それが終わりましたら……もしでしたら、私が渡しておきますよ」

「いえ、お父さんから直接渡すようにと言われていて……あの、びっくり箱が入ってるんです。それで」


 お父さんはよくこういうことをする。あたしの誕生日ケーキには必ず激辛の唐辛子チューブが練り込まれていて、あたしがその辛さに飛び上がるとお父さんは腹を抱えて笑うのだ。


 受付の人は、口元を押さえると、肩を震わせて笑い出した。


「すみません、今日はなんだか、面白いお客さんばかりが来るので」

「はぁ」

「突き当たりを右に曲がったところです。もしかしたら一人、オーディションを受けている方がいるかもしれません。一応公開オーディションとなっておりますので、待合室のモニターで鑑賞することもできますよ」

「いえ、結構です」


 この土産を渡したらすぐに帰るつもりだ。


 あたしは受付の人に頭を下げて、廊下を進む。突き当たりを右に曲がると、レッスン室が見えてきた。廊下にはパイプ椅子がいくつも並べられていた。


 もう、終わったのかもしれない。


 あたしはレッスン室の扉の前で足を止めた。


 中から、声がする。


 窓が透明のガラスになっていたので、中の様子を見ることができた。


 さっきは結構です、と言ったものの、これから夢へ向かって羽ばたくアイドルの姿を見たいと思い、あたしはつま先を立てて中の様子を覗いてみることにした。


「やるしか、ないんです……!」


 見てすぐに、尋常ではない空気だということが分かった。


 部屋はまだ片付け途中で、スーツを着た男性が、何故かオーディションを受けている子の隣に立っていて、その子の向かいには、カラフルマーケティングの社長らしき人が椅子に座っている。


音儀おとぎ白雪しらゆき……?」


 後ろ姿からでは分からなかったが、振り返った拍子にその顔が見えた。


 なんで音儀白雪が、カラフルマーケティングのオーディションを受けてるの? 音儀白雪はアイドルを引退、いや、半ばクビのような形で、メディアから姿を消したはずだ。


「あっ」


 ちょうどオーディションが終わったのか、音儀白雪がこちらへ向かってくる。


 ドアはゆっくりと開かれた。


「音儀白雪、あなた、どうして――」


 つい声をかけてしまい「しまった」と思った時だった。


 音儀白雪の目から、大粒の涙が流れてるのに気付いた。


 あたしは思わず手を引っ込めた。声をかけていいような状況にはとてもじゃないけど見えなかったからだ。


 悔し涙の一つでも流してくれていれば、ざまあみろと突っかかってやってもいいのだけど。


 音儀白雪は、子供のように泣きじゃくっている。それなのに、進む足は勇ましく、迷いがない。顔をあげたまま、背筋を伸ばして、胸を張ったまま、泣いている。


「なんなの、あいつ」


 オーディションに来て泣くやつがあるか。どれだけ辛辣な言葉を浴びたのか、圧迫面接をするようなプロダクションには見えないけれど……。


 それにあいつ、学校ではやたらあたしに話しかけてくるくせに、今度はあたしをシカトするなんて。


「げ、また誰かいる。勘弁してくれよ、今日はもうオーディションは終わったんだよ」

「は?」


 入り口に立っていた私を見つけたスーツの男性は、あたしを見るやいなやわざとらしく眉間にシワを寄せた。そんな態度取られる覚えはまったくない。


 あたしが睨み付けるとその男性は両手をあげて「おっと」と一歩、後ろに下がった。


「アデリアプロダクションの櫻坂清文、の娘です。父からプロデューサーさんへ贈り物です」

「え、俺?」


 あたしの隣に立っていた男性が自分を指さす。睨んでいるように見えたのか、あたしと目が合うとその男性はまた一歩退いた。


 昔から目つきが悪いとよく言われた。あたしは背が高い方ではないので比較的見上げる方が多い。見上げただけで、睨んでいると思われる。生きづらい世界だな、と、諦め気味に嘆いてみた。


「あぁ、アデリアプロダクションさんの。前回の講習会で清文さんとはお話させてもらったよ。とてもお堅い意思をお持ちの方のようで」


 奥で座っていた男性が、いつのまにかあたしの前に立っていた。胸の前にぶら下がっている名札には、代表取締役と書かれている。法的に定められた役職のため、言ってしまえば社長よりも立場は上かもしれない。


 お父さんが事務所を立ち上げるときによくビジネス書を読み漁っていて、それを読み囓っていたあたしにも多少の知識はある。


「中々良いアイドルが見つからないようだね。選定も大事だけど、まずは事務所存続を目標にしたほうがいい。当たり前だけど、仕事は仕事がないと、仕事にならないからね」

「おっしゃるとおりです。父にもよく言っているのですが、中々」


 あたしがそう言うと、代表取締役は柔らかく笑った。プロデューサーよりは、話しやすい印象だった。


「まぁ、あまり焦らないことだね。本当にいいアイドルっていうのは、突然目の前に現れるものだから。はぁ、それにしても惜しいものを逃したね、プロデューサー」


 代表取締役が、あたしの隣に視線を移す。


「はあ? なんのことっすか」

「はは、分かってるくせに。キミも飲み込まれていただろう、彼女の言葉に」

「別に俺はそんなんじゃないっすよ。あんなの、アイドルって認めないっすからね俺は」

「こっちも大概、強情みたいだ」


 代表取締役は、あたしに名刺を渡すと、ゆったりとした足取りで部屋を出て行く。


「これからもご贔屓に、アデリアプロダクションさん」

「はい、こちらこそ」


 頭を下げてから気付く。


 なんであたしが、こんな真似しなくちゃならないのだろう。


 そもそもお父さんが直接くればよかったのに、お父さんは自慢のロードバイクを修理に出したからとかなんとかで、あたしをぱしりに使ったのだ。


 あたしも代表取締役の後に続くように、部屋を出る。


 袋を開けて飛び出してきたビックリ箱に「うわあ! なんだぁ!?」と驚いているプロデューサーの声が、後ろから聞こえてきた。




 夕焼けに染まった道を、一人歩く。


 家までの道のりはそこまで遠くない。電車に乗って、駅を一つ跨げば、五分もしないうちに着く。


 以前は、帰り道が短いことを嘆く時もあった。


 もっと喋っていたい、もっと一緒にいたい。もっと彼女を感じていたい。


 そんな風に思っていた自分の気持ちは本当のはずなのに、時間が経つにつれ、あれはひょっとしたら夢だったんじゃないかと思ってしまう。


「ねー! 帰りカラオケ行こうよ! 私あれ歌いたい!」

「いいね! わたしもちょうど、メロンソーダ飲みたかったんだよね」

「それ、なんか目的違わない!? いいけどさ!」


 あたしの目の前を、女の子二人組が駆けていく。仲よさそうに、手を繋いで、笑い合っている。


美桜みおの書く小説は、あったかいね』


 風が吹いて、あたしの髪を撫でていった。


 日が沈んでいく空は、今日も紅葉もみじ色に染まっている。

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