第13話  陰キャの私が元アイドルに転生したら

 オーディション会場に着くと、私はすぐに車を飛び出した。すでに受付の時間を過ぎていたからだ。


 今回のオーディション会場は前回のようなスタジオではなく、事務所の中で行われる。


 階段を駆け上がって扉を開けると、事務員らしき人と目が合った。丸眼鏡をかけた女性は、突然入って来た私に驚いていたようだったが「どうされましたか」と義務的な対応はしてくれた。


「お、オーディションを、受けさせてください」

「え? オーディションって。あの、お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか」

音儀おとぎ白雪しらゆきです」


 私が名前を告げると、事務員さんはハッと息を飲んで机の中からエントリー用紙を取り出した。


「音儀白雪さんだけが来てないって、みなさんおっしゃっていました」

「すみません、急用があってこられませんでした。あの、今からっていうのは、無理でしょうか」

「今からは……」


 事務員さんは困ったように首を傾げて「ちょっと」と、短く口にしたが、私がその場を離れようとすると「あ、でも」と続けた。


「今はプロデューサーも、レッスン室にいると思います。そこがオーディション会場だったんですけど、おそらく今は片付けの途中でしょう」

「それ、どこにありますか」

「進んで突き当たりを右に曲がったところにあります。行かれますか?」

「はい」


 私は頷いた。


 事務員さんは机から名札を取り出して、私に付けてくれた。


「ありがとうございます!」


 私は頭を下げて、廊下を駆け抜けた。広くて、静かな事務所だった。私の息遣いと足音が、建物全体に響いているようだった。


 突き当たりを右に曲がると、事務員さんが言っていたレッスン室が見えてきた。ノックをして、ドアを開け放つ。


「うわ、ビックリした! 部外者は立ち入り禁止だよ」


 入り口のすぐそばで、パイプ椅子を運んでいた男性と目が合った。その男性はそう言って私の横を通り過ぎたが「ん!?」と言ってすぐに戻って来た。


「あんた、音儀白雪か?」

「はい。遅れてしまってすみません、オーディションを受けさせていただくことはできますか」

「あー! ダメダメ! 時間を守れないような人はアイドルになれたとしてもどうせ干されるだけだし、それにあんたのような爆弾アイドル、うちじゃ抱えきれないよ! 書類審査を通したの、どこの誰だよ!」


 男性は苛立ちをぶつけるように怒鳴った。ビリビリと震えるような空気に、自分の身体が萎縮しきっているのが分かった。


「とにかくもうオーディションは終わり! 帰ってくれ!」

「どうにかなりませんか」

「自分がワガママ言ってるの分かる? 時間を守れなかったそっちが悪いんだから、帰ってくれ。音儀白雪がうちの事務所を出入りしてるなんて噂流れたらたまったものじゃない」


 男性はそれっきり、私の方を見ようとはしなかった。途中だった作業を再開して、並んでいたパイプ椅子を片付け始める。


 私は正直、ホッとしていた。だってこれで、オーディションを受けなくても済む。恥をかく必要が、なくなるのだ。


「お願いします! オーディションを受けさせてください!」


 それなのに私は、その男性の腕を掴んでいた。


 自分でも、意味が分からなかった。


 だけど、ここではいそうですかと言って来た道を戻ってしまったら、もう二度と私は顔をあげて歩けない気がしたのだ。


「受けさせてあげたら?」


 すると、奥で資料に目を通していたもう一人の男性が、マスクを着けたままそうつぶやいた。


「え、ですが! いいんすか!? この子は遅刻したんすよ!?」


 パイプ椅子を持っていた男性は、マスクの男性にやや砕けた敬語で話している。マスクの男性の方が、立場的には上なのかもしれない。


「いいでしょ別に。どうせ今日の収穫はゼロだったんだし。その代わり、ちょっとだけね」

「は、はい!」

「なら席について。ほら、パイプ椅子係」

「誰がパイプ椅子係ですか……」


 目の前に椅子が置かれる。顔をあげると、パイプ椅子を持っていた男性が私を睨み「はやく座れば」と不機嫌そうに言った。


 私は椅子に腰掛けて「よろしくお願いします」と頭を下げた。


「じゃあ、そうだね、適当に質問でいっか。キミ、好きな食べ物はある?

「え? 好きな、食べ物ですか?」

「うん」


 マスクの男性は常に飄々としていて、表情が見えないこともあって何を考えているかが読めない。


「トマトです」

「それはなぜ?」


 何故と言われても、理由なんかない。音儀白雪が好きだから、私もそう答えた。それだけだ。


「春と冬だったらどっちがいい?」

「春、でしょうか」

「なんで?」


 また、理由を聞かれる。


 どうして春が好きなのか、自分でも分からない。適当に、思いついたものを、口にしただけだ。


「僕は冬だなぁ、雪って神秘的だし、それに外に音がないのがいいよね。しんしんと降り積もる雪の中を歩くと、ぎゅっぎゅって雪を踏む音だけが響いてさ。あとは、起きた時に窓の外が白くなってるのもいいよね。雪っていうのはいつも童心を思い出させてくれる」


 男性は冬への思いを一通り語ると、もう一度その感情の読めない瞳で、私を見た。


「じゃあ、改めて質問するね。キミは、なんでアイドルやりたいの?」


 ……この人は、理由を知りたがっている。


 私は適当に春と答えたけど、この人の答えは違った。話を聞くだけで、冬が本当に好きなんだというのが伝わってくる。


 理由って、それほど大事なんだ。


 さ、探さなきゃ。


 私が、アイドルをする、理由……理由は……。


「ありません」

「ほう」

「アイドルになりたい理由なんてないです。なんで私がアイドルなんかって、ずっと思っています」

「でも、キミはさっきオーディションを受けさせてくれと必死になっていたよね? それはどうしてだい? 理由がなくちゃ、説明がつかないと思うがね」

「それは、多分……応援してくれる人がいるから、だと思います」


 正確には『いた』だろうか。


「けっ」


 隣に立っていた男性が、唾を吐くように言った。


「私、自分なんかが生きてて本当に意味があるのかって思ってました。私なんかより大事な命があって、もっと、生きるべき人がいるはずだって」


 転生を告げられたあの日から、私はずっと思っていた。


 なんで私なんだろう。


 音儀白雪。


 それから夕莉ゆうりさん。


 私なんかより、この二人が生きていたほうが絶対に良いに決まってる。だって、根本的な命の価値が違うから。


 私なんかより、この二人を生き返らせて欲しかった。本当なら、今すぐギャル神様に言ってやりたい。


 音儀白雪と夕莉さんを生き返らせて、私なんかどうなってもいいから、と。


「でも、こんな私に『頑張れ』って言ってくれた人がいるんです。信じてるって、託してくれた人がいたんです。おかしいですよね、笑っちゃいます」


 作り笑いをすると、頬のあたりに、何かが伝っていったのが分かった。


「私なんか、人生で一度も、何かに必死になったことなんかないのに」


 語尾が震えてしまう。


 これはオーディションなんだから、ちゃんと顔をあげなくちゃいけないのに。視界が歪んで、自分がどこに立っているのかも分からない。


「だから、アイドルがやりたいんじゃないんです。私は、音儀白雪は、アイドルを、やらなくちゃいけない」


 拳を握って、ちゃんと伝える。伝えよう。いっつも大事なことを伝えられない、バカな私。


 あの日、私がオーディションを受けたくないと言った時、夕莉さんはとても悲しそうな顔をしていた。すぐに笑って流してくれたけど、本当は、すごく辛かったに決まってる。


 嘘でも、冗談でも、言えばよかった。


 頑張ります、絶対トップアイドルになってやりますって。


「やらなくちゃ、ならないんです……!」


 震えた喉を押さえるのが精一杯で、それ以降、私は返事すら上手く出来ていたかどうか思い出せない。


 ただ、オーディションが終わってレッスン室を出る時。


『変わったね、音儀白雪』


 と後ろから聞こえたのは分かった。



 家に着くと、吾妻あずま先生はスーパーで買った食材やお弁当を私に持たせてくれた。


「気をしっかりね。音儀さん、あなたはとても、正しいことをしたと思うわ」


 別れ際、吾妻先生はそう言って私の頭を撫でてくれた。


 空は暗く、夜空には星が浮かんでいる。


 そういえば、私……星に殺されたんだ。


 キラキラ輝く、夜空に浮かぶ希望のような光。 


 そんな光に殺される瞬間、私は何かを願ったはずだった。 


 自分の中にある、微動だにしない何かを、嫌ったはずだったんだ。


 私は自分の部屋に入ると、カバンをベッドに投げ捨てた。


 玄関に戻って、薄汚れたシューズを履いて再び外に出る。


 本当はこんなことやりたくない。辛い思いも、苦しい思いもしたくない。私はずっと、ゼロ度でいたい。なんの傾斜もない人生を、なんの意味もなく終えたい。


 ……終えたくない。


 私の人生には、理由がない。


 生きる意味ばかりが存在していて、生きる理由を問われても、心臓が動いているからとしか答えられない。


 だからきっと、あの世でどんな人生を送ったか聞かれても、私は答えられない。人生で一番楽しかった瞬間を聞かれても、今日のオーディションで審査員の人が聞かせてくれたような答えは、きっと出ない。


 それはおそらく、夕莉さんの言っていた『宝物』がないからだ。


 私は今、たった二人の人間に突き動かされている。


 夕莉さんと、音儀白雪。


 どちらも、もうこの世にはいない。


 それなのに、死してなお、今を生きる人間に影響を与えている。


 星空の下を、私は走る。


 音儀白雪がどうなろうと知ったことじゃない。業界から嫌われているのなら、一生嫌われていればいい。


 夕莉さんのことは悲しいけれど、出会ってまだ一ヶ月も経たない人のために、私は人生を変えることなんかできない。言ってしまえば、赤の他人の死だ。私にはなんの関係もない。はいそうですか、と一蹴できれば、これからどれだけ、楽に生きられるだろう。


 それでも、私は走り続ける。


 夕莉さんの言う通り、私は絶対アイドルになる。


 それは過程でしかないのかもしれない。


 本当は、アイドルじゃなくてもいいのかもしれない。


 ただ、見つけたいんだ。

  

『あなたが、立派なアイドルになるのを見届ける。それがわたしの夢ですから!』


 死してなおこの世に残り続ける。


 人生における、執念というやつを。

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