第12話 突き動かすものは

 翌日、夕莉ゆうりさんが市内の病院で息を引き取ったと連絡を受けたのは、学校で授業を受けている時だった。


 担任の吾妻あずま先生が青い顔で走って来て、病院まで私を車で送ってくれた。


 夕莉さんは音儀おとぎ白雪しらゆきの従姉妹に当たる人で、両親のいない音儀白雪の身元保証人になっていたのだそう。だからいち早く学校に連絡がいったのだ。


 病院に着くと、吾妻先生は深刻な顔で「車で待ってるから」と言ってくれた。


 案内された病室に向かうと、何人かの関係者らしき人たちが一つのベッドを囲んでいた。私に気付いた一人が「白雪!」と叫んだ。


 そのまま駆け寄ってきたので抱きしめられるかと思ったが、その人は私の胸ぐらを掴んだ。


「お前のせいだ!」


 その人は目を真っ赤に腫らしたまま、私を睨んだ。


「お前が、お前が……アイドルなんか目指すから!」


 なんのことか分からない。当然だ。だって私は、音儀白雪ではないのだから。家庭の事情も親戚間でのいざこざも、知ったことではない。


「お前が亜沙あさを連れて行ったんだろう! いつもそうだ、お前は昔から亜沙のことを連れ回して。安静にしていれば治ったかもしれないのに、お前のせいで病状が悪化した!」


 身に覚えなどあるはずがない。私は目を伏せて、この時間がなるべく早く終わってくれることを祈った。


「知ってるぞ、お前がロクでもないアイドルだってことも!」


 胸ぐらを掴まれて、身体を揺らされる。


「お前が亜沙に心労を与えたんだ。アイツは真面目な奴だったから、それで抱え込んで、病気になったんだ!」

「お父さん、やめて」


 女性が、私を掴む男性を抱き留める。この人たちは、きっと夕莉さんのご両親なんだろう。


「おい! 聞いているのか!」


 夕莉さんの父親が、私を睨み付ける。


 そんなこと言われても、私はまだ、音儀白雪になったばかりで、あなたたちの事情なんか知らない。


 音儀白雪のことを庇う気もないし、夕莉さんの目の前でそんなこと言わないでくださいと、叫ぶ気力も湧かない。


 流すべき涙も、干からびてしまっていた。


 私には、情熱というものがない。


 心に穴が空いているから、溜まったもの受け取ったもの、全て余さずこぼれ落ちてしまう。


 もし情熱さえ持っていたら、ここで何か、言い返せたのかもしれない。


「おい! どこへ行くんだ!」


 私は病室を抜け出して駐車場に向かって走った。廊下を歩く途中、何度も他の患者さんとぶつかりそうになった。


 病院という施設にいる人たちは、今日を必死に生きようとしている。生きる気力、人生における執念めいたものが、息を吸うと肺を膨らませた。


「お、音儀さん? もういいの?」

「出してください」


 私が車に乗り込むと、吾妻先生が驚いたように座席を引いて、ハンドルを握った。


 エンジンが鳴ると、吾妻先生の車はゆっくりと発進する。


 そういえば、夕莉さんは車の運転が尋常ではないほど荒かった。転生したばかりで右も左も分からなかった私は何度も後部座席へ打ちつけられて、あの時はなんだこの人! って思ったけど、今思えば、あれも夕莉さんの人生における執念だったのかもしれない。


 私は、そんな執念を持っていない。


 今までずっとそうだった。


「学校へは私が言っておくから、今日はもう帰ろう。ね? 音儀さん」


 吾妻先生が、バックミラー越しに私を見る。優しい声だった。


 私は拳を握って、窓の外を眺めた。


 家に帰って、何をするのだろう。


 他の誰かに生まれ変わっても続く、無意味な人生。私は二度目の人生ですら、棒に振ろうとしている。


 ふとカバンの中に手をやると、分厚い資料がでてきた。オーディションに向けて、過去の質疑応答や審査傾向などを夕莉さんがプロファイリングしてくれたものだ。


 結局私は、まったくこの資料に目を通さなかった。アイドルなんて興味ないし、復帰する意味もないと思っていたからだ。


 スマホがポケットの中で震えた。


 見ると、メールが届いたという通知だった。


 メールボックスをを開いて、私は驚いた。届いたメールの差し出し人が、なんと夕莉さんだったのだ。


 夕莉さんは仕事関連の連絡のときだけ、メッセージアプリではなくメールで要件を伝えていた。そういう区別や管理をしっかりしているのも、夕莉さんのすごいところだった。


『いよいよオーディション当日です! 今回のオーディションは平日の昼間に始まるということで、いつもより変則的なスケジュールになると思います! お昼休みになったら迎えに行くので、校門で待っていてください! という、メッセージです。行き違いでしたらごめんなさい』


 おそらく、予約送信なのだろう。


 私が、オーディションを受けたくないなんて言ったから、心配して釘を刺すようにオーディション当日になってメールが届くように設定したのかもしれない。


「あの、吾妻先生」

「うん? どうしたの?」

「寄って欲しい場所があるんです」


 場所を伝えると、吾妻先生は困惑しながらも「分かった」と短く返事をしてUターンしてくれた。


 窓の外は、もう見られなかった。


 代わりに、つま先の擦れた、青いシューズに視線を落とす。


 気付けば、私は資料をくしゃくしゃに握りしめていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る