第11話 まだ死んでない
その後、
運転席で、夕莉さんが眠っていた。どこかやつれているようにも見えた。
窓を叩くけど、夕莉さんの反応はない。試しに電話をかけてみたけど、それでも夕莉さんは起きなかった。
「夕莉さーん!」
大きめの声で名前を呼んでみると、夕莉さんのまぶたがピクッと動いた。私に気付いた夕莉さんはドアの鍵を開けると、照れたように笑った。
「すみません、ついうとうとしてしまって。待たせてしまいましたね」
「あ、いえ、今来たところなので」
「あはは、なんだかデートの待ち合わせみたいですね。せっかくなので、隣に座ってください」
後ろの席に座ろうとすると、夕莉さんは助手席を指さした。
「早いものですね」
私が助手席に座ると、夕莉さんはどこか遠くを見つめて言った。
「あんなに小さかった女の子が、もう一人で道を選べるくらいに大きくなったなんて」
「は、はぁ」
今の私にとって昔話とは、赤の他人の世話話でしかなかった。思わず、力のない相槌を打ってしまう。
「今日は少し、話しておきたいことがあって呼んだんです。お時間、大丈夫でしょうか。と、これではデートではなくナンパですね」
重たい空気というわけではなかったけど、意識して重い空気にしないような夕莉さんの気遣いが見えて、私はつい身構えてしまった。
「さっき、夕莉さーん! って、呼んでくれましたね。懐かしいです。私が高校生の頃も、白雪さんはそうやってわたしを遊びに誘ってくれましたよね。嬉しかったなぁ」
二人は小さい頃から知り合いらしい。
「わたし身体が弱かったですから、外には出られませんでしたが、それでも白雪さんが遊びに来てくれたから寂しくなかったです。はじめてわたしの部屋で披露してくれたダンス、まだ覚えていますよ。自信満々で踊るくせに、ぜんぜん上手じゃなくって、おかしかったな」
夕莉さんは昔を思い出すように目を細める。
「白雪さんはアイドルが好きですか?」
「え、っと」
分からない、私は音儀白雪ではないから。
「もしかしたら、嫌いかもしれませんね。辛いこともあったと思います。それこそ、あるはずのない噂を流されて、理不尽な扱いを受けて、苦しかったと思います」
もしかして、と思って私はずっと気になっていた疑問を口にした。
「音儀白雪は枕営業なんかしてないって、思いますか?」
「なんでそんな他人行儀な聞き方なんですか?」
「あ、いや……」
うっかり音儀白雪と、フルネームで呼んでしまった。
「もちろん、私は音儀白雪のことを信じていますよ」
私に合わせるように、夕莉さんも音儀白雪と、フルネームで呼んだ。
「根拠とか、あるんですか」
私がそう言うと、夕莉さんは困ったように笑って、私の頭にそっと手を添えた。
「妬みとか、恨みとか、いろんな人間の感情が入り乱れているのがこの業界です。悲しいことですが、どれだけ事実を述べても、受け入れてもらえないことが多々あります」
夕莉さんの手はとても冷たい。冷たいのに、すごく心強かった。夕莉さんの瞳、声色は、微塵もブレることのない。これだけ真っ直ぐな感情は、人を前向きにするのだと、身をもって知った。
「だから、証明しましょう。白雪さん」
「証明?」
「はい、白雪さんが一生懸命頑張るその姿を見れば、みなさん分かってくれるはずです」
「難しそうですね……それは」
「そんなことないですよ。だってあなたは、人の心を救うことのできるアイドルです。少なくとも、わたしはあなたに救われました」
夕莉さんは私の頭を撫でてから、首筋を撫で、腕へ。まるで私の存在を確かめるかのように、触れていく。
「しょんぼりしている白雪さんは可愛いですけど、似合いませんよ」
夕莉さんの手が私の頬を撫でる。
「まだオーディションに一回落ちただけじゃないですか。あの音儀白雪が、まさか弱気になってるんですか?」
「そういうわけじゃ、ないですけど」
「なら、平気、ですね」
夕莉さんは私から手を離すと、座席にもたれて息を吐いた。なんだか、話しているだけでも苦しそうに見える。
「絶対に、誰もが認めるトップアイドルになってやる」
「え?」
「三ヶ月前、わたしにそう言ってくれましたよね」
三ヶ月前。それは、私が死んだ時期と一緒だ。
「またその言葉が聞けて、わたし嬉しかったです。本当に、生きていて一番、嬉しかった」
夕莉さんの瞳に浮かぶ水滴に、私はギョッとしてしまって、言葉が喉に詰まった。
「その日から、白雪さんは変わりました。サボっていたダンスレッスンやボイトレも毎日通うようになって、家に帰ってからも、家の周りをずっと走ってましたね。おかげでもうズタボロじゃないですかそのシューズ。今度新しいの、買わなくちゃですね」
夕莉さんが私の足元を見る。
それで、こんなに汚れてたんだ……。
音儀白雪、本気で、アイドル復帰するつもりだったの? 自分が業界から嫌われてることなんか、私なんかよりも自覚していたはずなのに。
正直このあいだ受けたオーディションでの感じを見ると、いくらダンスや歌を練習しても音儀白雪がアイドルに復帰するのは無理な気がした。それほどまでに、音儀白雪という存在は業界にとって腫れ物のように扱われているのだ。
「他にも変わったところがありますね。一週間ほど前、でしょうか。白雪さん、敬語で話すようになりましたね」
「え!?」
しまった、そうだった!
私、転生した初日、夕莉さんと会って、思わず敬語で話しちゃったんだ。特に言及されなかったから気にしてなかったけど、よく考えたら同じ部屋にいるような関係性なんだし敬語なのはおかしかったかもしれない。
「いいんです。なんだか新鮮で面白かったですし。あとは、ご飯もいろんなものを食べてくれるようになりましたね。昔から偏食家で気まぐれな人でしたから、トマト系の料理じゃないと食べてくれないのはすごく困りました」
「す、すみません」
音儀白雪の代わりに、謝っておく。
「それもです。よく、謝るようになりました。それからお礼も、言ってくれるようになりました」
「それは……」
「まるで別人みたいです」
夕莉さんは窓の外を眺めていた。私のことを見ているわけではない。ただ、空を見ていた。
「白雪さんは、生まれ変わったのですね」
生まれ変わる。その言葉を聞いて、私はドキっとした。けど、すぐにそれが転生について言っているのではないと分かった。
「音儀白雪という人間で、人々を圧倒してやりましょう」
逃げるなと、言われているみたいだった。
「文句の言いようもないほど、たくさんの人に希望を届けましょう」
魂越しに、別の誰かに向けて、言われているみたいだった。
「白雪、あなたなら、絶対にできるから」
呼び方と、声色が変わる。そのときだけは夕莉さんが、マネージャーではなく、年上の、お友だちみたいに見えた。すごく近しく、だけど、こんなにも遠く感じるのは何故なんだろう。
「きっと大丈夫ですよ!」
夕莉さんの口癖なのだろう。この短期間で、何度も聞いた、夕莉さんの「大丈夫ですよ!」は、根拠もまるでないはずなのに、ハッと顔をあげさせられる。
「あなたは絶対、誰もが認めるトップアイドルになる! だって、そうでしょう?」
その自信がどこから沸いてくるのか、私には分からない。けど、もしかしたら、音儀白雪だったら、分かるのかもしれない。
「音儀白雪は、まだ死んでない」
夕莉さんは拳を作って、私の胸にそっと当てた。
心臓が震えた気がした。何かに呼応するように、脈動が激しくなる。
「すみません、話が長くなっちゃいましたね。今日はそれと、明日のオーディションの資料を渡しにきたんです。過去の資料ですが、よかったら参考にしてください」
オーディション……そうだった、もう明日にまで迫っているんだった。
「楽しみにしています」
もう用事が終わったみたいだったので、車を降りる。すると夕莉さんが、私の背中に声をかけた。
「あなたが、立派なアイドルになるのを」
夕莉さんはそう言い残して、車を走らせた。
遠くなっていく夕莉さんの車の音は、まるで彼女をどこかへ連れ去って行くかのように静かで、儚かった。
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