第2章
第10話 親友にもとことん嫌われているようです
転生してから一週間が経った。
空は蒼く、もうじきやってくる夏の到来を予感させていた。
アパートでの生活も、学校での生活も、だんだんと慣れてきていた。転校初日こそどこへ行っても人に囲まれてしょうがなかったけど、今は少し落ち着いて、クラスメイトも普通に接してくれるようにはなった。
教室では今、私とどれだけ仲良くなれるかがカーストを分ける、というような雰囲気が流れている。元アイドルに転生してからというもの、自然とそういった空気が視線や仕草などで分かるようになってきた。
「あのー、音儀さん、日誌なんだけど」
「あ、ごめん。今日はパネル係の会議があるから」
体育祭に向けて開かれる会議の開始は、30分後だった。まだ急ぐ時間じゃないけど。
「そっか! ううん! 大丈夫! それに転入したばっかりで戻す場所も分からないよね! 今日は私が返しておくね!」
その子は、顔を真っ赤にすると、友達の元へと走って行った。向こうから、ワーキャーとはしゃぐような声が聞こえてくる。
顔がいいと得だ。
普遍的な顔面では導き出せない答えが、常に目の前にある。お願い事を断るのも、ちょっと申し訳なさそうな顔をするだけで楽に済む。
廊下に出て、窓ガラスに映った自分の顔を見る。
ただ、アイドルに復帰する、とかいう問題だけはどうにかしなくちゃいけない。
私は別に、アイドルになりたくて転生したわけじゃないし。
そもそも、なりたいものがあったわけじゃないし。
提出期限の過ぎたプリントの存在を先延ばしにするみたいに、そんな悩みを、私は頭の奥に仕舞い込んだ。
というのも、階段の踊り場に、親友の姿が見えたからだ。
「
けれど、音儀白雪に転生してからは、美桜との仲は深められていない。
私は美桜に、嫌われてしまったのだ。
廊下のど真ん中で、思い切り頬を叩かれてしまった時のことを思い出す。
この前の私の発言は、隕石に当たって死んだ紅葉楓の存在を悲しいものにしてほしくなかっただけで、別に美桜が怒るようなことではない気がするんだけど……。
「なに?」
美桜は、尖った金具のような冷たい目をしていた。
「ぱ、パネル係の会議今日だったよね。い、一緒に美術室行く?」
「なんで一緒に行く必要があるの?」
「あ、そ、それは……そ、そうしたらもっと仲良くなれるかなって」
美桜と喋っている時だけ、クールな音儀白雪を維持できない。
美桜の声を聞いていると、自分が紅葉楓であるように錯覚してしまうからだ。
「あたしはあんたと仲良くなるつもりなんかない」
「で、でも!」
親友に拒絶されるのがこれほど辛いものだとは思っていなかった。
友達もいなかった私に声をかけてくれて、私の絵を好きだと言ってくれた美桜がいる世界で、美桜と関わらない選択などとれるはずもない。
気が付けば、私は美桜の手を握ってしまっていた。
まだ友達にもなっていない人から突然手を握られたら誰だって驚くと思う。でも、私はアイドルだ。音儀白雪だ。可愛いアイドルに詰め寄られたら、いくら美桜でも心を開いてくれるはず……。
けれど美桜は、表情一つ変えず、感情のない瞳で私を見ていた。
「さすが、枕アイドルは距離の詰め方が違うわね」
「え?」
「していたんでしょう? 枕営業」
美桜の確信めいた視線に、身体がぐらつきそうになる。
美桜のお父さんはアイドルの事務所を経営していて、その手伝いを美桜も時々している。そこで鍛えた審美眼で音儀白雪というアイドルを見たら、そういう風に映るのか。
「あんたのその曇った笑顔も、することしてるくせに一丁前に負い目を感じてるその正義感も、画面越しでもハッキリと分かる」
「ち、違うの櫻坂さん」
「触らないで」
美桜に縋ろうとした手を、いとも簡単に振り払われてしまう。まるで虫でも扱うかのように。
「偽物」
美桜は吐き捨てるようにそう言った。
「か、帰るの? パネル係の会議は!?」
私の言葉など届いていないかのように、美桜は階段を降りていった。
わ、私じゃないのに……。
私は枕営業なんかしてない! したのは音儀白雪で!
音儀白雪は……私だ。証明できるのも、否定するのも、私しかいない。
今から美桜を追い掛けたとして、かける言葉が見つからない。
私は大きくため息を吐いて、パネル係の会議が行われる美術室に一人で向かった。
美術室に着くと、実行委員の人にもう一人が休みだということを伝え、私は椅子に座った。
それから今年の体育祭のスローガンなどが発表されて、各軍のパネルのお題も発表された。今年は青龍、白虎、朱雀、玄武の、いわゆる四神をモチーフに書くらしい。私たち一組は緑軍なので玄武を担当する。
体育祭では応援、競技、それからパネルの三つのポイントが存在し、その合計ポイントで順位を競う。
玄武ってなんだっけなぁと思っていたら、実行委員の人が説明してくれた。蛇が絡みついてる亀、という姿らしいけどあまりイメージは沸かなかった。
それから各クラスのパネル係の人が自己紹介をする流れとなった。端っこから一人一人回っていって、ついに私の番になる。
音儀白雪という名前はすでに知れ渡っているらしく、私の顔を見てひそひそと話す人も何人か見受けられた。
「え、えっと」
私が立ち上がると、視線が一気に集まる。
この場にいるすべての人が私に注目している。
「あ、あの」
クールにいかなきゃ、視線なんか気になりませんとでもいうような、世間をバカにしているかのような音儀白雪の、あの態度を作らなきゃ。
けれど、声が出ない。喉が接着剤で貼り付けられたかのようだった。
「どうしました?」
喋り始めない私を不思議に思ったのか、実行委員の人が私の顔を怪訝に見つめている。
私は思わず右頬に手を添えて、俯いた。
「す、すみません。お腹が痛いのでトイレに行ってきます」
私は引いた椅子も戻さないまま美術室を出た。
お腹が痛いのは本当だった。けど、美術室を出た途端、冷や汗と痛みがピタッと止まった。
私はトイレを通り過ぎて、そのまま玄関まで歩いた。
は、はは……逃げちゃった。私。
靴を持つ手は、まだ微かに震えている。
昔から、注目を浴びると具合が悪くなる。学校の朝礼では決まってお腹を壊すし、電車の中で物を落とすと冷や汗が止まらない。家に帰っても、浴びた視線が銃弾のように心を傷つけて、動悸と息切れのせいで眠れない日もよくあった。
「治ったと、思ったんだけどな」
転生した初日、私は転校生として、みんなの前で自己紹介をした。
あの時、いつもの発作が出なかったからてっきりこの身体になって治ったのだとばかり思っていた。
だけど違った。身体がいくら変わっても、私の精神が付き纏う限り、この症状は治ることはない。
右頬に添えていた手のひらを、見下ろす。
「帰っちゃお」
もうやけになっていた。
どうせ音儀白雪だし、この顔だし、みんな許してくれるはずだ。
そのまま帰る、その自我の強さもまたいいんだよねぇ~って、ファンの誰かが言ってくれる。音儀白雪って、そういうアイドルでしょ。
『偽物』
美桜に言われた言葉を思い出すと、一瞬息が止まった。
し、知らない。
もうこれ以上、私は音儀白雪の面倒まで見てられない。環境も交友関係も分からない人間に転生して、まだ一週間なんだよ? 日常生活送るだけで手一杯。さすがにキャパシティ超えてるよ。
美桜を追い掛けたとき、私はこの音儀白雪の身体を使って、紅葉楓としての人生をもう一度歩もうとした。なら、それでいいんだろう。
帰り道、下水道を流れていく落ち葉が、捨てられたゴミに引っかかっていた。
どこに行くこともできなかった枯葉が、同じようなゴミ達に堰き止められて、同じ場所でくるくると回っている。
「…………」
私は踵を返して、校舎に戻って美術室に向かった。
「あれ? 音儀さん、もう会議は終わったよ?」
着いたときには、すでに人がまばらに、片付けをしているところだった。
「お腹、大丈夫だった?」
話しかけてくれた体育祭委員の人は、心配そうに私のお腹に目をやった。
「うん、大丈夫」
掠れた声が、地面を這っていく。
それを後追いするように、私も美術室を後にした。
校舎を出る頃にはまだ、太陽すら、落ちていなかった。
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