第2話 隕石が降ってきた
そうだとしても、有り体に言えば私の毎日は充実していた。人生という長い尺度で見れば、きっと私なんて取るに足らない存在だろう。
けれど、こうして
今思えば、それは私の中で一番幸せな時間だったんだと思う。
「
桜並木を二人で通っている時、美桜がそんなことを言った。
私の趣味は、絵を描くこと。とはいっても、その絵で何かをしようというわけではなかった。時間を潰すのに、ペンを動かす作業というものはうってつけなのだ。
投稿サイトに投稿する勇気もないので、完成したイラストは、美桜に送ったあとフォルダの奥に仕舞うだけだ。
「すごくよかった。力強くて、なんだか、前に進めって言われてるみたいだった」
「そ、そうかな。よく分かるね、そういうの」
「分かるわよ。だって楓の絵を世界で一番好きなのは、あたしだもの」
美桜は私の絵をいつも褒めてくれる。美桜に褒められたいから、私も描いているようなものだった。
「ねぇ楓。楓は、コンテストに応募してみたりしないの?」
「ええ? コンテストだなんて、私そんなに上手じゃないし」
「楓の絵は誰かの心を打つ絵よ。それはあたしが保証する。だってあたしも、楓の絵に救われた一人だから」
そうは言われても、私はこれまで、誰かに価値を付けて貰うために絵を描いたことなんかない。
「でも、コンテストって、すごい人ばっかりが集まるわけでしょ?」
「それはそうよ。だからこそ入賞の価値がある」
「すごい人が描いたすごい絵、しかも入賞してやるっていう強い想いを込められて描かれた絵と比べられて、私の絵が選ばれるわけない」
それに、私は怖いのだ。
コンテストに向けて一生懸命、死ぬ気で頑張って、もしそれがダメだった時、立ち直れる気がしない。それで落ち込むくらいだったら、最初から頑張りたくなんかない。
「私は、美桜みたいに頑張れないよ」
私がそう言うと、美桜は悲しそうに眉を下げてしまった。私は慌てて、別の話題を探す。
「美桜の小説も、読んだよ。全部、最後の方、泣いちゃった。アイドルが好きな美桜の気持ちも伝わってきて、すごく、よかった」
「本当? 嬉しい」
美桜は小説を書いていて、ネットに定期的に投稿している。今は、アイドルモノの長編を描いているみたいだった。
近いうちにコンテストがあるらしく、私とは違って美桜はコンテストのために毎日頑張っている。
初めて美桜の小説を読んだとき、私のことだって思った。生きるのがあんまりうまくなくて、人より優れたものを持っているわけでもない、私。それでも、生きてていいんだ。胸を張っていいんだ。
そう思わせてくれる美桜の文章が、私は大好きだ。
私には友達と言える友達が美桜しかいない。そして美桜の友達も、私だけだ。
私たちは、少し似ている。似ているから、こんなにも、一緒にいたいって思えるのかもしれない。
「それに、アイドル事情に関してもすごく詳しく書かれてすごいなって思ったよ。美桜のお父さんはアイドル事務所を経営してるんだもんね、さすが、情報源があると違うね」
「お父さんのは趣味みたいなものよ。まだ誰も所属していない、名ばかりの事務所だもの」
そう言うけど、美桜は誇らしげな表情でお父さんのことを話した。
美桜のお父さんは去年、アデリアプロダクションというアイドル事務所を立ち上げた。最近ようやく方針が決まって、半年後、ついにオーディションを開催するらしい。
「いつか、あたしの小説に、楓の絵を描いてもらうことが夢なの」
「え!? そうなの!?」
初めて聞いた美桜の夢に、私はビックリした。
「私なんか、そんな、人に絵を描いてあげる、なんて領域にまだ達してないというか、恐れ多いというか」
「あたしもよ。あたしもまだまだ。だから、一緒に頑張ろう」
美桜が手を握ってくる。少しだけ冷たい、美桜の手。クラスの子たちは美桜を冷たい子って言うけど、胸にはとても強い情熱を宿していることを、私は知っている。
私が頷くと、美桜は嬉しそうに笑った。時折見せてくれる子供みたいな美桜の笑顔は、眩しくて、同時に、すごく可愛いなって思ってしまう。
私は美桜の笑顔が大好きだ。美桜が笑ってくれるなら、いつまでも絵を描いていようと思える。夢とか憧れとかはまだよく分からないけど、これが私の生きる理由でもあった。
「お、おわっ!?」
なんて考えていたら、段差にうっかり躓いてしまった。
「大丈夫? 楓」
「み、美桜」
そんな私を、美桜は抱き留めてくれた。
「前を向いて歩かないと、転んじゃうわよ」
「あ、あはは。面目ないです」
私は思わず、右頬を手で覆った。
「もう」
美桜は優しく微笑むと、私の頭を一瞬だけ撫でた。
「それじゃあ、またね。楓」
「うん、バイバイ美桜。また明日」
学校から真っ直ぐ帰ると、先に美桜の家に着いてしまう。もっと一緒にいたい。寂しい。そういう気持ちも、また明日と言えば我慢できる気がした。
私は美桜と別れた後、近くの河川敷に向かった。
暗くなった空は、星の光を淡く照らしている。
坂道に腰掛けて、それから仰向けになった。草木の香りを鼻いっぱいに吸い込みながら、夜空を見上げる。
夢って、なんなんだろう。
さっき美桜と話した内容を思い返しながら、そんなことを思った。美桜は自分の書いた小説に私のイラストを付けることを夢だって言ってた。そんなの、頼んでくれたらいつでも描くのに。
美桜には夢だけじゃない、強く、固いプライドがある。信念に突き動かされながら、自分の人生を歩んでいる。
熱量の違いで美桜を悲しませたくなかったからさっきは言わなかったけど、私はそういうものを持っていないから、努力してつかみ取れる未来より、手を伸ばして届く距離にある今を求めて、満足してしまう。
私は美桜みたいに、人生を必死に生きられない。
「ぐへっ」
「あ、ごめんなさーい」
突然、サッカーボールがお腹の上に落ちてきて、思わずカエルみたいな声を出してしまった。
子供二人が、私の元へと駆け寄ってくる。
「は、はい。ボール」
「ありがとうおねーちゃん」
「えっ? あ、へへ」
いきなり感謝されて、照れてしまった。子供相手でもあまり喋るのが得意ではない私は、こんな受け答えしかできない。
ボールを受け取った子供は、友達らしき子と一緒に、坂道を駆け上がっていった。
「さっきのねーちゃん、なんか顔に付いてたな」
「なー、きもちわりー」
さっき落ちてきたボールより何倍も、重いものがお腹の上にのしかかってきた。
「は、はは……」
笑いながら、また自分が右頬に手を当ててるのに気づく。私はもう一度、仰向けになって星を見た。
小さい頃、旅行先で乗ったバスが事故にあって、両親は亡くなった。奇跡的に生き残った私だったけど、その事故のときに右頬に大きな火傷を負ってしまった。
小学校の頃は、ずっと火傷の痕のせいでクラスの子たちからイジめられていた。中学にあがっても、そのことがコンプレックスでなかなか人と話せず、今となっては見事この通り、コミュ障のできあがりというわけだ。
人に見られてると意識してしまうと、つい右頬に手を当ててしまう。それが、高校生となった今でも、癖になってしまっていた。
美桜は「気にする必要なんかない」って言ってくれるけど、それは簡単なことではなかった。
もし、私の胸の奥に熱いものが眠っているのなら、こんな火傷の痕なんか関係あるか! って前を向けるのだけど。
「あーあ」
諦めたように、ため息が出る。
「私だって、本当は逃げたくなんかないのに」
その時だった。
空がだんだんと、明るくなってきていることに気付く。
って、え?
なに、なになに?
よく見ると、夜空に浮かぶ星の一つが、徐々に大きくなっている。
それはやがて、肉眼で見えるほどの火球となると。
「う、嘘でしょ!? わ、わっ!?」
私の視界を真っ白に覆い尽くした。
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