陰キャの私が元アイドルに転生したら大変なことになった

野水はた

序章

第1話 私という人間

 今日も自分の人生を分度器で測ってみる。


 物が一番よく飛ぶ角度は45度らしいけど、私の人生は今のところ鳴かず飛ばずだ。空に羽ばたく翼や前に進むための勇み足が必要でないとは思わないけど、特段欲しいとも思えない。


 スマホのアラームがなかなか鳴り止まないので、私はうつ伏せになったまま音を止めた。


 というわけで、私の人生はいまだゼロ度。上にも下にも傾いていない。分度器よりも定規を使った方が計測は楽だろう。私の身長は163cmと、少し高め。定規なら勝ち目はある。……何と勝負してるんだろう。


 ベッドから這い出てご飯を食べる。食べ物に特にこだわりはない。身体作りをしていたら、ブロッコリーと鶏肉しか食べない朝もあったのだろうか。


 それは嫌だなと思う反面、食生活に気を使えるほど何かにストイックになれるのは羨ましくもある。


 歯を磨いていたら、再びスマホのアラームが鳴った。スヌーズが十回に設定されているせいだ。


 分度器いらずのゼロ度人間のくせに、臆病でありながら慎重なのだ。私は私のことを信用していないし優秀だとも思っていないから、毎晩寝る前に、寝坊しないようスマホ様にお願いする。


 そのくせ、いつまでも鳴っているスマホを見ると「うるさいなぁ」と思ってしまう。それだけで、私という人間の底が知れてしまってため息がこぼれる。


 両親の写真が飾られた仏壇に手を合わせてから、家を出る。


 学校に向かう道中、すでに朝練を始めていた野球部の人たちとすれ違った。


 汗を流して、何かに向かって必死に走っている。


「がんばれぇ」


 見ているだけで暑苦しくなりながらも、応援だけはしておく。きっと届いてはいないけど。


 努力は尊いし、人生を充実させるには必要なことだとは思う。だから否定はしないけど、自分でやろうとは思えない。なんでだろう。


 諦めてるのかな。


 自己分析をしながらの登校は、時間の経過が遅くなる。自分のことが大好きなら、もっと早く学校に着けるのだろうか。


 相対性理論、という単語が頭に浮かんだ。


 実際に光になれない私たちにとっては、あまり関係のないものに感じる。


 教室に入ると、私の机にヤンキーが座っていた。ヤンキーなのかどうかは分からないけど、独断と偏見でそう呼んでいる。もちろん、心の中でだけだ。


 ヤンキーはいつも楽しそうに誰かと話している。その舞台として私の机が存在しているのだとしたら、それでもいいと思った。


 私はホームルームが始まるまでトイレの個室で時間を潰すことにした。


 トイレの入り口に設置された鏡に私の顔が映る。私は思わず右頬に手を添えた。


 隠したいものは、山ほどあった。だけど、これからそれらを曝け出していくのが人生だ。


 便器に座って項垂れていると、グラウンドからサッカー部の声が聞こえてきた。新入生を勧誘するために、今から頑張っているんだろう。


かえで?」


 すると、突然ドアがノックされた。だけど驚きはしなかった。聞き慣れた声だったからだ。


「またこんなところにいたの? あいつ、追い出しておいたからもう戻って来て大丈夫よ」

「み、美桜みお


 私にとって唯一と言える友達、櫻坂さくらざか美桜みおは私を見つけるのが上手だ。この前は焼却炉の後ろに隠れていたのを瞬くまに発見されてしまった。


 ドアを開けて外に出る。美桜は私の手を握って、トイレの外に連れ出した。


「一回、楓からもガツンと言ってやらないと、ああいうバカな女は分からないのよ」

「む、ムリだよ。私が言ったところで。それに、邪魔、したくないし」

「どこが邪魔なの? あそこは楓の席じゃない」


 美桜は自分のことのように怒っていた。元々つり目気味な目が、喧嘩をしている時の猫のように鋭くなっている。


 教室に向かっている途中で、チャイムが鳴った。予鈴かと思ったけど、廊下の静けさを見るに、どうやら本鈴だったらしい。


 私のことを探していたせいで美桜も遅れてしまったのに、美桜は特に気にしていない様子で教室に入った。


 教壇の前では、すでに担任の吾妻あずま先生が出席確認をしていた。


「こら、遅刻よ。二人してどこへ行ってたの?」

「お腹を壊していました」


 美桜はしれっとそんなことを言って、自分の席に着く。


 吾妻先生の視線が、今度は私に向いた。


 どうして遅れたのか、今度はお前の番だ。そう、言われているみたいだった。


 吾妻先生は優しい人だから、本当はそんなこと思っていないだろうけど、私が一度そう感じてしまえば、それは事実となるのだ。


 それに教室のみんなも、私を注視している。


「え、えっと」


 私もお腹を壊したとでも言ってしまえばいい。事実でなくとも、そう言ってしまえば、それは事実だ。言葉って、そこまで意味を求めていない。理由にさえなればいい。


 生きる意味もないが、生きる理由はある。私の人生みたいだ。


「お、おな」


 口を開いて、息をする。その動作一つ一つさえ監視されているように感じて、首元に冷や汗が滲んだ。


 吾妻先生が、私の顔を見る。


 私は思わず顔を手で覆って、教室を飛び出した。


「も、紅葉もみじさん!? どこへ行くの!?」


 最近、気付いたことがある。


 私は、逃げるのだけは得意みたいだ。

 

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