第3話 忘れられないあの言葉:後編

次の日。

聞き慣れたアラームの音で目が覚めた。

あたまの中に懸かっていた霧が晴れ、ようやく脳が活動し始める。

青白い空気のなか、私はぼんやりと、昨夜のことを思い出した。

時系列がごちゃ混ぜになった記憶と、異様に鮮明にのこっている言葉。

「親友と、行ったから」

昨日考えていたことは、もう何だかよくわからなくなっていて、ただその言葉だけがあたまを、胸を、締め付けていた。

…何で、特に意味のない言葉に、こんなにも感情を左右されるのだろうか。

何で、たった一瞬の、たった一言に、こんなにも傷つけられているのだろうか。

やっと動き出したあたまの中には、そんな嫌味に似た疑問だけがのこっていた。


…もう、今日、学校行くのやめよっかな。

昨晩酷使しすぎた脳のせいか、ふとそんな考えがあたまをよぎった。

別に、一日やすんだくらいで何も変わらないし。

お母さんも仕事で、私に構っているひまなんてないし。

そんなことを考えつつも、やっぱりいつも通りの身支度をはじめる。

学校にいかなければ、と思うこの気持ちは、はたして使命感か、責任感か。

…いや、ちがう。

周りが私の知らないところで、どんどん深い関係になっていくのが怖い。

私ひとり、取り残されるのが怖い。

臆病な私の、自己中な心配、だった。


朝、休もうか迷ったほど億劫だった学校は、授業を受け始めてみると案外、いつものように慌ただしく過ぎていった。

となりをみれば、口を閉じることを知らないあいつがいる。

後ろを振り返れば、いつも話しかけてくれるあの子がいる。

私はぜんぜん、独りじゃなかった。

…ここから、いくらでも関係を進めることができる。

たくさんの「仲良し」の人たちと、少しずつ仲良くなっていけばいいんだ。

自分の居場所は、確かにある。

そう思うことで、騒めいていた心が萎むように軽くなっていった気がした。


しかし。ようやく見つけ出したささやかな安心は、たったひとつのできごとのせいで、瞬く間に不安の影に姿を隠してしまった。

それは、総合の授業で行う、複数人でのプレゼンテーションの班決めのときだった。

「一班の人数は、3人で、自由班とします。おのおの、仲間外れなどがないように上手にきめてください」

いざこざのもとにしかならないような先生の指示。

女子の仲良しグループに属してなどいなかった私は、案の定誘われることなどなく、気づけば独りで立ち尽くしていた。

はんぶん、分かっていたことだったけれど、でもやっぱりショックは隠せなかった。

…やっぱ、そう、なんだ。

そりゃそうだよね、みんないちばん仲の良い「親友」と一緒になりたいんだから。

これが、小学校高学年の人間関係か。

いつのまにか形成されている、「仲良しグループ」。

メンバーはいつも決まっていて、そこに入ることは許されない。

そう。私と、みんなとの間にはもう、決して超えることのできない壁が、確かに生まれていた。

…グループ、どうしよっかな。

もう、なんでもいいや。

半ば諦めてぼうっと立っていると、トントンと、誰かに肩を叩かれた。

「ねえ、グループ、まだだよね…? 私たちと一緒に組まない?」

声をかけてきたのは、いつもみんなのまんなかで笑っている、穏やかなあの子。

私とは正反対の、みんなから好かれる人気者だった。

「え…、いいの?」

「うん、組も! ね、いいよね?」

「ん? あー一緒にやる? いいじゃん」

もとから組んでいた彼女の親友、も、快くOKしてくれた。

「じゃあ、早速はじめよ! テーマ何がいいかな…」

「…ありがと、誘ってくれて」

「いーのいーの! あたりまえ、だよ?」

…当たり前、か。

本当にすごいことを、あたりまえ、の一言で済ませてしまうあの子。

隣で生き生きと話す彼女は、とても眩しく、輝いて見えた。


その日から、私は週に二回の総合の時間が、学校のなかでいちばん心地よく居られる時間となった。

「仲良し」と、遊んでいる時も。

たくさんの人に囲まれて、談笑しているときも。

みんなと私の間に立ちはだかっている壁が、私の心を抉るその明確な「ちがい」が。

彼女といるときは、そんなものが全部、なんだかどうでもよくなっている自分がいた。

…また今日も、総合がある。

あの心地よい時間を、また過ごすことができる…。


「はーいじゃあ今日は、いよいよ発表資料をつくっていきます。グループで仕事が偏らないように、みなさんちゃんと分担してくださいね」

「発表資料だって! え、ねえポスター作りたくない?!」

目をきらきらさせて、彼女が言う。

「いーじゃん。あ、じゃあ、私ペンとか紙とか持ってくる」

彼女の親友が立ち上がる。

「あ、ひとり大変でしょ? 私も行くよ」

咄嗟にそう声をかけると、彼女がにこにこしながら私と目を合わせてきた。

「ん、なに?」

「ねえ、あなたって、優しいね」

「…え?」

「うん。やっぱり優しい。だってすごく周り見てるし、大変そうだと思ったらすぐ手伝いに行くじゃん」

「え、そう、かな…?」

急に発せられたはじめての言葉に、私は一瞬フリーズしてしまう。

私って、優しい…?

っていうか、何で今?

「え、私そんな優しくないよ? 自己中だし」

「いや優しいよ! ね?」

「うん。優しいと思う。困ってたら、いつも助けに来てくれるし」

「え、私、優しいの…?」

二人の圧力に、思わず納得してしまいそうになる。

…いや、私を優しいと思うのは、私の本性をまだ知らないだけ。

自分のことしか考えてない私が、優しい、なんて。

きっとふたりがいい人過ぎて、どんな醜さでさえも美しく見えてしまうんだ。

そんなマイナスな考えが、どうしてもいちばんに浮かんでしまう。

…でも。ふたりが間違っていても、どんなにでたらめに言っていても、「優しい」というその言葉に喜んでしまう自分がいた。

少なくともふたりの目には、私は優しい人として映っている。

そう思っているのは、たったの二人だけかもしれないけれど。

私はもう、それでいいや、と思った。

このふたりにさえ好いてもらえれば、私はもうそれでいい。

あなたに、親友だと思ってもらえたら、もう他はどうでもいい。

不特定多数の「あなた」じゃなくて、あなたと親友になりたい。

誰かと一緒にいたい、じゃなくて、あなたと一緒にいたい。


ただ、そう強く思った。


私に本当の親友を気づかせてくれた、あなた。

そして、「優しいね」というあの言葉。

そのときのあなたの表情、きらきら輝く太陽、そしてその声。

あのときのことを、きっと私は、一生、憶えている。

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