第6節(2)
「事前にお話としては伺っておりましたが、それ以上に凄まじいですね」
そう亜鈴に話しかけてきたのは、彼女の右側後方に控える筆頭従者、『霧島』だった。
亜鈴も霧島と同様の気持ちだった。昨日からの燈子の口ぶりと自信から、呪術に関してかなりの技量を持ち合わせているのだろうとは思っていたが、今日の討伐戦が始まってから燈子が見せた呪術の数々は亜鈴の予想を大きく超えるものだった。
まず最初に行った足場作りからしてそうだ。あれは恐らく緑川家の人間が得意とする『植物属性』の呪術を用いたのだろうが、その発動規模が明らかに異常であった。並の呪術師であればあの規模の術を一度発動させるだけで呪力が枯渇するだろう。緑川家の人間は呪力保有量に恵まれた者が多いと聞くが、そこを加味したとしても決して例外ではない筈だ。
しかし燈子はそれを平然とやってのけ、その後の戦闘でも高位呪術を惜しげもなく連発している。亜鈴は燈子の戦闘の様子を式神の視覚を通して視続けているが、呪力切れを起こす気配は微塵もない。彼女は今日の戦闘が始まってから、一体呪術師何人分の呪力を消費しているのか。もはや亜鈴には想像も付かなかった。
水平線の彼方で肉眼でも視認可能な大規模な炎が発生する。燈子が大妖本体に対して放った攻撃術式。それも既に五度目を数える。
——『まあ、つまりは、私も白崎様と同じで、業を背負った人間ということです』
亜鈴は燈子が発生させた火炎の爆発を見ながら昨夜の一幕を思い出していた。
自分の投げかけた疑問に対して、少しだけ困った表情で発せられた燈子の言葉。燈子も亜鈴と同じ、業を背負った人間だと彼女は語っていた。今日の戦いの中で自ずと理解することになるとも。
——ならばあの常人離れした呪力量こそが燈子の抱える業なのでしょうか。しかし……。
呪術師にとって呪力量が少なくて困ることはあれ、多くて生じる不利益など思い付かない。そう考えると、呪力量が他人よりも桁外れに多かろうとも、それを「業」などという言葉で表現するだろうか。燈子にはまだ、「業」と呼ぶに相応しい何かしらの秘密があるのだろうか。
亜鈴はしばらく思考の海に沈んだが、答えは一向に出てこなかった。現状では答えを得るために必要な情報が少なすぎるのだ。それに、今日の戦いが終われば自身について話をすると燈子は言っていたのだから、大妖を討伐した後に燈子本人へ直接問えば良いだろう、と亜鈴はひとまずの結論を下した。
いずれにしろ、前線を一人で担う燈子への過大な負担を気にしていた亜鈴にとって、現在の燈子の戦いぶりは嬉しい誤算だった。燈子の後方で眷属の処理に当たっている従者二十九人も、危うい場面が散見されつつも式神による援護が功を奏し、何とか戦線を維持出来ている。このままの状態で戦局が推移すれば、問題なく大妖討伐は成るだろう。亜鈴は手元で追加の式神三十体を新たに生成しながら、そう思っていた。
「しかし恐れながら、本当に護衛は私一人だけでよろしかったのですか? 御身の安全を考えるならばあと三人程、近くに侍らせた方が良かったと思うのですが」
母の代から唯一残った従者である霧島は、亜鈴の身を気遣うように声をかけた。
しかし霧島の忠言に亜鈴は首を横に振った。
「それでは眷属体への対処に綻びが生じます。私達が眷属を討ち漏らせば、燈子が大妖との戦闘に集中出来なくなってしまう。ですから私の護衛に回す人員も最低限で十分です。それに貴方が側にいるなら、私はそれだけで安心出来ます。この気持ち、長く付き添っている貴方ならば分かるでしょう、霧島」
亜鈴は生成した小鳥型の式神を空へと放ちながらそう答えた。
亜鈴の言葉の端々からは、彼女が霧島へと向ける全幅の信頼が滲み出ている。それに気付かぬ霧島ではなかった。霧島にとって、亜鈴との付き合いは彼女が産まれたその瞬間から始まっている。霧島は、亜鈴の人生全てを見届けてきた人物なのだ。彼女の境遇、孤独、苦しみ、その全てを。霧島以上に白崎亜鈴という人物について理解している存在は他にいないだろう。
霧島にとって亜鈴とは、我が子のようであり、忠誠を誓う主であり、自身の命よりも大切な庇護すべき存在である。先代当主にそう在るよう命じられ、そのために創られた霧島であるが、それは彼女にとってもはや考えても意味のない事柄だ。彼女は彼女自身の意志で、白崎亜鈴という人間に仕え、この幼い主を護り続けたいと思っているのである。
また亜鈴にとっても霧島とは、何者よりも失い難き、かけがえのない存在である。
彼女が幼い時は第二の母として、当主の座を継いでからは最も信頼を置く側近として。霧島はどんな時でも常に亜鈴の隣に居続けてくれた存在なのだ。
どのような経緯があれ確かに言えること。それは亜鈴と霧島の間には何人も侵すことの出来ない確固たる関係性が構築されているということだ。
だからこそ、先程亜鈴が発した言葉が、自分に対する極めて大きな信頼の上に紡がれたものであることが霧島には十分以上に理解出来た。なればこそ、主の言葉にこれ以上の忠言を挟むことなど彼女に出来る筈がない。出来るのは己が身を以って主の信頼に応えること、それだけだった。
「承知致しました。ですが、昨日御身が緑川様に仰った通り、身の危険を感じましたらどうか即座の撤退を」
「承知しています。何よりも命が第一ですから」
亜鈴の返答を受けて、霧島は改めて己の精神を叱咤する。
今回の作戦、亜鈴が援護の要である以上、彼女を護衛する自分の役割も自ずと重要になってくる。作戦の成否も、主の命を護れるか否かも、その大部分は自身の双肩にかかっている。万が一不測の事態が起きた際は、たとえ己の命が果てる結果になろうとも主の身だけは絶対に護り通して見せる。霧島は内心でそう決意を固めていた。
その矢先だった。前にいた亜鈴が訝む声を霧島へ投げかけてきたのは。
「霧島。向こうの空から何かが飛んで来ているのですが、あれは一体何でしょうか」
亜鈴の声に合わせて、霧島も視線を黄昏色の空へと向ける。しかし空を飛んでいる物体は、亜鈴が放った式神くらいしか視界に映らなかった。
「いえ、私の目ではそれらしきものは発見出来ません。どの辺りでしょうか?」
「かなり遠くです。大妖がいる位置よりも更に向こうの空で何かが群れを成してこちらに近づいているようです」
亜鈴の言葉通りの場所に目を凝らすが、霧島には何も見えなかった。恐らく飛行物の位置が遠過ぎるのだ。亜鈴が視認出来ているのは、戦場に飛ばした式神の視野を通して視ているからだろう。その証拠に亜鈴の視線はここではなく、どこか別の場所に焦点が合っているかのように望洋としている。
それから数分が経ち、霧島も飛来物を視認した。どうやらそれらは海鳥の群れのようだった。数としては二百匹程だろうか。一体一体がそれなりに大きい。霧島はその光景を見て、「なぜこの状況で海鳥の群れが?」と疑問に思った。その瞬間。
「霧島! すぐ戦闘態勢に入って下さい!」
亜鈴の緊迫した声が、弛緩した意識に喝を入れるように霧島の耳朶を打った。
未だ状況を呑み込めていない霧島は、すぐさま亜鈴に問い返した。
「突然どうされたのですか、亜鈴様。一体何が」
「あの海鳥の群れです。あれは、人魚の眷属体です!」
亜鈴の言葉を聞いて、霧島の背筋に寒気が走った。急速に全身を這い上る警戒心。
機動性に富んだ空を駆ける妖。それが一気に二百体。
霧島は思った。——それは、かなり不味いのではないか、と。
現在前方で妖を相手取っている白崎家の従者達であるが、彼女達が戦線を維持出来ている要因の一つとして地の利があった。
海洋生物を変じさせて生まれた人魚の眷属体達。それらを相手に亜鈴の従者達は燈子が力尽くで敷設した木製の橋に陣取り、眷属体達にとって不利な状況を意図的に作り上げた状態で戦っている。つまり今回の作戦は、事前偵察で確認された状況を鑑みて、眷属体が海中に生息する生物のみという前提の元で立てられている。
そのため敵方に空中戦力が存在するとなると、作戦の根幹そのものが瓦解する。基本的に地上戦力と空中戦力が戦った場合、空中戦力の方が圧倒的に有利である。このまま野放しにしていては戦線が瓦解するのは間違いない。
そう判断した亜鈴は、すぐさま新たな式神の生成に入る。作るのは今まで放っていた偵察・撹乱用の小鳥ではなく、体長一メートル半の大鳥型。空中戦用の式神である。この短時間で作れたのはひとまず二十体程。後は時間の許す限りでひたすら生成し続けるしかない。
亜鈴の隣では、霧島が呪符の中から両手持ちの巨大な戦斧を取り出していた。接近戦が苦手な亜鈴を守るために彼女自身が選んだ、最高の攻撃力と制圧力を誇る近接武器である。
亜鈴は式神の生成を続けながら、海鳥の眷属体の様子を観察し続ける。
戦場に向かって飛んできた二百体の海鳥達は、燈子が戦う辺りで五十体、白崎家の従者達が戦う辺りでさらに五十体、それぞれが群れから枝分かれしていった。そして残る百体が亜鈴と霧島が立つ砂浜の方へと近づいてくる。どうやら前線で戦う人間よりも先に戦場全体を下支えする後方戦力を潰す腹積もりであるらしい。
——これは、まずいかもしれませんね。
亜鈴は自分達の元へと向かって来る百体の海鳥を見ながら思った。隣で戦斧を構える霧島の両手にも自然と力が籠っている。
五百メートル先で先程放った二十体の空戦用の式神と海鳥達が戦いを始めた。しかし亜鈴達が不利なのは明らかだった。大きさでは式神の方が五十センチ程勝るとはいえ、数的には相手方が五倍も多い。事実、海鳥の半数以上は、亜鈴の式神を無視してこちらに近づいて来る。亜鈴は近づいて来る海鳥の群れに向かって、追加で作成したなけなしの式神五体を解き放つ。
「亜鈴様、お下がり下さい。絶対に、私の前へは出ないように」
戦斧を持った霧島が接近する海鳥達と応戦するために前へと出る。
この時点で、亜鈴は自分と霧島に勝ち筋はないと悟った。
今の亜鈴達に出来ることは、時間を稼ぎ、一羽でも多くの海鳥を屠り、燈子が大妖を倒す可能性を少しでも引き上げること。それだけだった。
そこに恐怖や諦め、不運に対する義憤などは微塵もない。
ただ己が果たすべき役目を全力で全うする。亜鈴の心中を占める思いは、その一念だけだった。
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