第5節(1)
現在の時刻は燈子が零幻島を訪れてから既に半日が経過した深夜十二時。燈子は地下五階に用意された客室を出て、しんと静まり返った廊下を一人彷徨い歩いていた。
厠へ赴き花を摘む。ただそれだけの筈だったのだが、いくら探しても当の厠が見つからない。どこを歩いても代わり映えのしない石壁、そして幾重にも分岐し入り組んだ通路が永遠と続くばかりだった。視界に入った扉を片っ端から開けていっても空き部屋、倉庫、ゴミ捨て場と自分には関係のない部屋ばかり。厠の場所は客室へ案内される道中で教えてもらっており、燈子自身も記憶力は決して悪い方でない筈なのだが、どうやら初めて訪れた人間が一度で道順を覚えられる程この屋敷の構造は甘くなかったようである。
気付けば燈子が廊下を彷徨い始めてそろそろ二十分が経過しようとしていた。
何もせずにただ歩き続けていると自然と手持ち無沙汰になるせいか、燈子の意思に関係なく彼女の頭は勝手に思考の渦を巻き始める。燈子の頭の中で想起されたのは、地下迷宮に入った後、案内された食堂で亜鈴と交わした妖討伐に向けた作戦会議の一幕だった。
※ ※ ※ ※ ※
大食堂の机上を埋める二百膳の食器群が空虚さを演出する中、燈子は後ろめたさを感じつつ用意された食事に箸を伸ばしていた。加えて、向かいに座る亜鈴が「私は後で頂きますので」と固辞した結果、自分一人だけがご相伴に預かることとなったこの状況は中々に気まずいものがあった。妖討伐の作戦会議は、こうして燈子一人だけが一方的に申し訳なさを抱きながらの開始と相なった。
作戦会議はお互いが持つ情報のすり合わせから始まり、妖の詳細把握、自陣営の戦力確認、それを基にした戦術構築へと移っていった。
作戦会議の末、妖討伐は三日後の朝九時に決行することとなった。少しばかり早急すぎるきらいもあるが、早いに越したことはない。亜鈴の入念な事前偵察によって既に妖に関する情報が十分集められていたこと、また妖を打倒するために必要な戦力が揃っているとお互いに合意が取れたが故の決断だった。
ただ戦力面に関しては、最後まで不安が拭い切れない亜鈴を燈子が強引に納得させた形にはなったが。
燈子の脳裏には、お互いの戦力確認を行なった際に亜鈴から発せられた言葉が強く焼き付いている。
『そう言えば今更ですが、今回の一件で緑川家から派遣された人員は燈子様お一人ですか? 誠に勝手ながら、二百人程はいらっしゃるだろうと予想していたのですが』
それが燈子達のいる大食堂に二百膳に及ぶ大量の食器が用意されていた理由であり、燈子が後ろめたさを感じる原因でもあった。
厄災によって大量発生する妖は、その強さや発生させる災害の大きさに応じて、《大妖》、《中妖》、《小妖》の三つに区分される。小妖であれば一人、中妖であれば十人、そして大妖であれば百人を超える呪術師が討伐に必要とされている。
亜鈴の話によると、零幻島の近海に現れた妖は大妖が一体に、眷属として中妖・小妖が複数体とのことだった。
対するこちら側の戦力は、白崎家陣営が三十一人、そして援軍として送り込まれた緑川家陣営の燈子。合計三十二人。数字の上では明らかに戦力不足。亜鈴から投げかけられた疑問は、常識的に考えて当然のものであった。半年前に出現した大妖に五百人の戦力が動員されたことを考えれば、亜鈴が口にした二百人の援軍もかなり控えめな数と言えるだろう。
そもそも、零幻島に現れた妖が大妖であること自体が燈子にとっては想定外だった。彼女が以前読んだ文献によれば、際限無く発生する中妖以下の妖と違い、大妖は一度の厄災で五体しか出現しないのだそうだ。原理は未だ不明らしいが、大妖自体が厄災発生における要の役割を担っているからなのでは、という仮説が文献内では立てられていた。
事実、文献の予想を裏付けるかの如く、大妖は中妖以下の妖と比べて、振り撒く災害の規模も戦闘力も段違いであるらしい。
此度の厄災が始まってから確認された大妖は、零幻島に出現した個体を除いて一体のみ。半年前に天神国西部に出現したその個体は、現地の領主である青山家と、援軍として赴いた黒城家の合同部隊によって討伐された。戦闘には黒城と青山の両家の当主も参加したものの、かなりの苦戦を強いられたそうだ。
燈子自身、こと戦闘面においては並の士族百人分の働きが出来る自信はあるが、それでも今回の討伐作戦において大妖相手に勝ち切れると断言することは出来なかった。どう考えても人手が不足している。その事実を前にして、燈子は自分だけしか援軍として出さなかった叔父に心の中で怒りを覚えた。いつも以上にあの仏頂面が憎らしく思えてくる。
しかしこれ以上の人員の補充が望めない以上、現有の戦力のみで大妖に臨む以外に執れる選択肢はなく、不足分は燈子が頑張って補うしかない。亜鈴は燈子の「百人力」発言に対して懐疑的で終始作戦決行の延期を主張し続けていたが、燈子の勢いに押されて最終的には「危なくなったら即撤退」という条件付きで渋々納得してくれた。
現状、戦力が心許ないのは事実である。しかし戦力不足を理由に放置し続けてしまえば、今は零幻島の近くに留まっているだけの大妖も、いずれは本土への侵攻を始めるだろう。そうなれば天神国の住民に多大な被害を出すことになる。それはこの国に住む人々の平穏な生活を守ると誓った燈子にとって、決して許容出来ることではない。
——子供の時に立てたその誓いだけが、彼女の中に残された唯一の存在意義なのだから。
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