新しい学校

増田朋美

新しい学校

暑くなったり寒くなったりが繰り返される秋の日であった。昼間は暑いけれど、夜は寒いくらいになる。1日の寒暖差が大きすぎて体を壊してしまうひとがあとをたたない。ちなみに製鉄所を利用する人の中にも、この寒暖差のせいで自律神経などを病んでしまったのかなと思われるような人が多くいる。

その日、製鉄所にまた新しい利用者がやってきた。名前を松本綾子さんといった。

「えーと、松本綾子さんですね。お住まいは、島田市金谷ですか。随分遠くからやってきたものですな。こちらに来るのも、苦痛ではありませんでしたか?」

ジョチさんは、彼女が書き込んだ利用者名簿を見ながら言った。

「大丈夫です。私は電車が大好きで、東海道線に乗ってくるのが好きなんです。」

松本綾子さんはにこやかにいった。

「いわゆる鉄子さんですね。よく、電車の写真なんか撮りにいくんですよ。」

「そうなんですか。大体利用者さんの中では、電車は苦手とおっしゃる人が多いものですから、それは珍しいと思いました。」

そういう綾子さんにジョチさんはにこやかに言った。

「はい、金谷駅から富士駅まで、1時間程度ですが、その間に外の景色を眺めるのが大好きです。もう九時を過ぎると、通勤とかの人もいないし。よほどのことがない限り、東海道線は止まることがないので、楽しいですよ。」

綾子さんは、とても嬉しそうに言った。

「そうなんですね。それでこちらには、何をしに来られますか?学校の勉強とか、そういうことですか?」

ジョチさんがそういうと、

「とりあえずは、同人誌にかく原稿をこちらでやりたいと思います。本来、私の年では、高校に通うのが当たり前だと思いますが、私はどうしても高校に馴染めなくて。なんだか刑務所みたいに、生徒を扱うようなところでしたので、それでえらく傷付いてしまいまして。」

松本綾子さんは小さい声で言った。

「そうなんですか。確かにそういう学校、いま多いですからな。確かに傷付いてしまう方も大勢いますよ。ただ、いずれには、なにか自分の道を行ってほしいのですけど。」

「幸せな人はみんなそういうわ。でも、脱落しなければ逃げられない人だっているのよ。」

ジョチさんがそういうと、綾子さんはそういった。

「その気持ちもわかりますよ。切り替えられないからと言って自分を責めてはいけません。とりあえず、こちらで十分に休んでから、次のステップに行ってはいかがですか?それに対して悪口を言う必要もないのですよ。ただ、休息したければすればいいだけです。それだけですよ。」

ジョチさんはそういって、綾子さんを製鉄所の利用者の一人に加えさせた。製鉄所に通う頻度は毎日でもよいし、週に一度程度の人もいるが、綾子さんは毎日金谷から富士までやってくるのだった。規則正しくやってくる彼女は、もとは真面目な女性なのだろう。変にチャラいとか、そういうこともないのだと思う。 なんだか真面目なのでもったいないとも取られる女性だった。もし学校に行っていたら、その真面目さで評価されてもいいと思った。

その日も、杉ちゃんたちは、いつもと変わらず製鉄所でご飯の支度をしたり、勉強をしたりしていたのだが。また製鉄所の玄関の引き戸がガラッと開いた。

「こんにちは。蒔田です。蒔田由香です。理事長さんはいらっしゃいませんか?」

と、にこやかな顔をして、一人の女性がやってきた。ハイハイと言いながら、ジョチさんは玄関先に行った。

「蒔田さん?」

ジョチさんは思わず言った。そこにいるのは一人の中年の女性なのだろうが、何故かブレザーと、チェックのスカートを履いて、ちょっと不自然な感じを与えるのだ。

「おわかりになりません?蒔田由香ですよ。去年の夏にこちらにこさせていただきましたよね。覚えていらっしゃいませんか?まあ確かに、利用者さんが最近増えているって言うし、忘れちゃってもしょうがないか。」

と、蒔田さんはそういうのであるが、

「ええ。僕は、覚えてますよ。しかし、その格好はどうしたんです?どう見ても高校生の制服ですよね。どうしてそのような格好をなさっているのですか?」

ジョチさんは彼女に聞いた。

「ええ、実はその事をご報告にこさせて頂いたのです。私、この春から、通信制の高校に行き始めたんですよ。44歳にして、晴れの高校一年生。喜んでいただけないのですか?」

嬉しそうに言う蒔田さんに、ジョチさんはちょっとかんがえる顔をして、

「そうなんですか。どちらの高校に行き始めたのですか?」

と、彼女に聞いた。

「ええ、あの、小川学園高校ですよ。浜松の。」

「浜松。そんな遠いところまでよく通えますね。」

ジョチさんが驚いてそう言うと、

「いいえ、遠くではありません。まあ確かに浜松は、新幹線で40分かかりますが、それだけじゃないですか。それに、月に一度だけしか学校には通わないので、新幹線を使っても、何の問題もありません。」

と、蒔田さんは言った。

「そうなんですか。僕は、浜松というと、ちょっと遠いかなと思っていましたが、最近の女性の考えでは、そうでも無くなっているようですね。」

「ええ、普段はオンライン授業で勉強して、なにかわからないことがあれば、パソコンで質問するんですけど、それだけじゃ、つまらないというか、やっぱり人間同士で勉強できたほうがいいですよね。だから月に一度、学校へ行くという頻度が私にはちょうどいいのかもしれません。毎日学校へ行くのはちょっと苦痛ですけど、学校へ行きたいという気持ちがあるっていうのはわがままだという人も減ってきているのかな。」

ジョチさんがそう言うと蒔田さんはにこやかに言った。

「それに、小川学園には、色んな生徒さんがいますし、私はまだ近い方ですよ。東京からくる生徒さんだって要るんですから。東京からわざわざ新幹線を使って、浜松の小川学園まで来る生徒さんも大勢居るんですよ。だから私は、恵まれている方です。それで、いいじゃないですか。」

「はあなるほど、東京にも通信制の高校はあるはずなのになんでわざわざ、浜松に来るのか、不思議なところですが、そういう生徒さんも居るんですね。それはどうしてそうなっているのか、聞いてみたいところですな。まあ、でも、新しい学校に入れてよかったですね。その新しい制服に身を包んで、思いっきり学校生活を満喫してください。」

ジョチさんがそう言うと、

「ありがとうございます。それで理事長さん、水穂さんいらっしゃいますか?」

蒔田さんは、にこやかに言った。多分これが目的なのは、すぐ見て取れた。学校へ行きだした報告は二の次で、水穂さんに会いに来たのが本当の目的だ。

「ああ、寝てますよ。最近は、暑かったり寒かったりで、体調が良くないようですがね。」

ジョチさんはしたり顔で言った。

「それじゃあ、お会いすることはできないのかな。こちらに滞在させて頂いたときは、すっかりお世話になって。水穂さんに焼き芋もらっていなかったら、私きっと、ここまで立直ることはできなかったと思います。こうして、新しい高校にも行けるようになったということを、ぜひ、水穂さんにも報告して行きたいんですけど。」

蒔田さんは、すぐに言った。

「まあ、それが目的なのは、ちゃんとわかりますから、少しならお入りください。」

ジョチさんはそう言って、水穂さんの居る四畳半へ案内した。

「水穂さん、ちょっと起きてもらえますか?蒔田由香さんがお見えになりました。なんでも新しい学校へ行き始めたので、それを報告に来たそうです。」

ジョチさんにそう言われて、水穂さんはよいしょと布団の上に起きた。なんだか、昨年よりもっとやつれた痛々しい風情だった。それをみて、蒔田さんは、発言するのをやめてしまったくらいだ。水穂さんは、布団の上に座って、

「どちらの学校へ行き始めたんですか?」

と言った。蒔田さんが、小川学園だと答えると、

「そうですか。確か、浜松の方にある学校ですね。確か、お寺がやってらっしゃる、学校ですよね。」

水穂さんはそういった。

「え、ええ。だから、悩みがあったときも相談に乗ってもらえるということで、小川学園を選びました。そこの校長先生は、とても素敵な方で、私や他の生徒さんの話をよく聞いてくださいます。」

蒔田さんがちょっと引きつった笑顔でそう言うと、

「そうなんですね。それでは、安心してあなたのことを任せられそうな学校ですね。自分の居場所が見つかってよかったじゃないですか。それではもう僕たちも出る幕は、」

と、水穂さんは、そう言って偉く咳き込んでしまった。大丈夫ですかと声をかけながらジョチさんが、背中を叩いたりさすったりしてあげていると、いきなり、松本綾子さんが現れた。なんだか怒りに満ちた顔をしている。ジョチさんが、水穂さんに、薬のはいった吸い飲みを渡そうとすると、綾子さんはそれをむしり取って、それを中庭に放り投げてしまった。

「何をするんです!」

蒔田さんが思わずいうと、

「だって、あまりにも楽しそうで、羨ましくなってしまって!」

と綾子さんも怒鳴り返した。

「かといって、水穂さんの薬を庭へ放り投げるなんてことは、」

蒔田さんが怒鳴り返すと、

「わかりました。あなたがそこまで傷ついていることはわかりました。そしてまわりの人が嬉しそうになっていると怒りを覚えてしまうこともわかりました。そうならないようにこれからどうしたらいいか、ゆっくり考えて行きましょう。」

水穂さんが、ちょっと苦しそうに言った。それと同時にさらに激しく咳き込んで、とうとう内容物が飛び出してきた。ジョチさんがそれを、ちり紙で拭き取った。

「そういう思いを持ってしまっているのなら、怒りを癒やしてもらう人に、彼女を引き渡すしかなさそうですね。」

とジョチさんが言った。蒔田さんが、私、薬持ってきますと言って、急いで台所に突進し、グラスに水を入れて急いで粉薬を溶かしたものを持ってきて、水穂さんに飲ませた。それのお陰で水穂さんは咳き込むのをやっとやめてくれた。

「それでは、彼女を癒やしてもらう方を紹介しましょう。あなたのような方は、ご自身が偉く傷ついていらっしゃいます。だから、それを癒やしてもらう必要がある。」

ジョチさんはそう言って、天童先生の電話番号と名前をメモ用紙に書いた。それを、綾子さんに渡して、

「ここの先生に、癒やしてもらってください。そういうスピリチュアルなことも必要になります。」

と、言った。水穂さんは、薬を飲ませてもらってやっと楽になったらしく、布団に倒れ込んでしまった。それを蒔田さんが、布団をかけてくれた。

「そうなんですか?私、スピリチュアルとかそういう事は、、、。」

綾子さんがそう言うと、

「ええ。いわゆる催眠療法ですが、テレビや映画などで行われる子供だましとは違いまして、れっきとした治療法です。あなたの感じていない、でも感じている部分を明らかにして、心を修正していく治療法なんです。多分あなたも、嫉妬で水穂さんの吸い飲みを投げてしまうことは、意識していなかったのではないでしょうか。それはあなたの無意識に感じていることが、純粋に怒りを感じただけのことです。だからそこを修正してもらうのですよ。」

ジョチさんはにこやかに笑った。

「そうなんですか。私、そんなに酷いこと、なんて酷いことを、、、。」

綾子さんは、やってしまった事を後悔して泣いた。

「泣かないでください。あたしも、今の学校に行くまでは、本当に辛かったんですから、それを思えば、なんてことないわ。ただそれのせいで、他人に危害を加えることはやめてねということだけはお伝えしたいです。」

蒔田さんがそう言うと、

「ごめんなさい、水穂さん。ごめんなさい。」

綾子さんは涙をこぼして言った。

「なく前に、天童先生に電話をかけてみたらいかがですか?勇気を出して相談するのも大切なことですよ。」

ジョチさんに言われて、綾子さんは、急いでそのメモ用紙を受け取って、すぐにカバンのなかからスマートフォンを出して、電話をかけ始めた。

「あの、あの、すみません。私、松本綾子ともうします。実は、天童先生にお願いなんですが、そのえーと、何療法というものを受けて、私も楽になりたいと思いまして。私、無意識に怒りを覚えてしまって、水穂さんの吸い飲みを割ってしまいまして、そんなふうに他人に危害を与えちゃだめだと言われて、、、。」

無我夢中になって電話をかける綾子さんに、すぐに製鉄所へ伺いますと天童先生は言った。とりあえず落ち着いて話しましょうと言うことだった。20分ほど待って、天童あさ子先生がやってきた。ジョチさんが出迎えると、クライエントさんはどこにと天童先生は聞いた。ジョチさんは、縁側へ天童先生を連れて行くと、綾子さんが、蒔田さんと一緒に待っていた。

「えーと、松本綾子さんという方は?」

「私です!」

天童先生がそうきくと、綾子さんはすぐ答えた。

「私、水穂さんの吸い飲みをどうして割ってしまったのか、良くわからないのですが、それなのに水穂さんの吸い飲みを割ってしまって。」

涙をこぼして言う綾子さんの肩に、天童先生は静かに手を置いた。これも、天童先生のテクニックでもあった。そうやってクライエントさんを落ち着かせる方法も天童先生はよく心得ていた。

「それでは、まず初めに、あなたが何について悩んでいるのか、それを話していただきませんか?まず初めに、今日水穂さんの吸い飲みを割ってしまう前後の、あなたの気持ちを話してほしいんです。」

天童先生がそう言うと、

「はい。あのとき、あたしは、水穂さんと蒔田さんが、学校のことで楽しそうに話していたのを、聞いてしまったんです。」

綾子さんは、そういった。

「それで、私、頭にガーッと来てしまったんです。私、切れやすい性格と言いましたけど、そうなってしまったんです。それでは、行けないんですけど、水穂さんの吸い飲みを、取り上げて割ってしまいました。だって、蒔田さんが、とてもたのしそうに学校の事を話すから。」

「じゃあ、座ったままでいいですから、まずゆっくり呼吸することから始めましょう。」

と天童先生は、彼女に言った。そして、ゆっくり力を抜いていきましょうと言って、彼女をなだめた。そして彼女に目をつぶってもらい、静かに座ったままの姿勢でいてもらう。

「それでは、行きましょう。まず、あなたは、高校生だったんですね。その時の様子が見えますか?」

天童先生が問いかけると、

「見えます。」

と彼女は答えた。そうなるともうトランズ状態と呼ばれる無意識の世界にはいっているんだと言うことがわかる。

「そうなんですね。それでは、学校はどのような感じだったのか、ちょっと話してもらえますか?」

天童先生が問いかけると、

「はい。学校というより、むしろ動物園で、毎日不良っぽい生徒が、大騒ぎしてました。授業中でも、先生が、こっちを向けと机を蹴飛ばしたり、黒板消しを放り投げたりしてました。まるで生徒と先生のイタチごっこ。」

綾子さんはそう答えるのである。

「それは、あなたが直接、怒鳴られたりしましたか?」

天童先生が聞くと、綾子さんは黙ってしまった。

「もう一度映像をよく見てください。先生は、あなたに直接、怒鳴ったりしていますか?」

天童先生はもう一度聞いた。

「いえ、私は、直接先生に怒鳴られたわけではありません、でも同じクラスにいたのであれば、私も同じように叱られているのです。」

そういう綾子さんに、

「そこが綾子さんの間違った思い込みなんでしょうね。」

と、天童先生は言った。

「もう一度、映像を確認しましょう。あなたは先生に怒鳴られたり叱られたりするような生徒でしたか?」

「いえ、私は、少なくとも制服はちゃんと着ていて、不良みたいな生徒ではありませんでした。でも高校がここまで荒れているとは私何も知らなくて、それで私は、もうこんな高校にはいられないと思って、、、。」

「わかりました。わかりましたよ。それでは、その当時の自分に対して言いたいことはありますか?」

と天童先生は言った。

「そうですね。もう逃げるしかなかったんだと思います。だから、逃げてよかったんだと言ってあげたい。でも、私としてみたら、学校でちゃんと勉強したかった。それはいけないことだったのでしょうか?」

綾子さんがそう言うと、

「いえ、そんな事はありませんよ。ここに居る、蒔田さんだって、おばさんになってからちゃんと勉強し直す事を始めることができました。今は、あなたのような生徒さんを、受け入れてくれる学校はいっぱいあります。ここにこさせてもらうことができたんだから、それでは新しい学校を見つけることを始めましょう。」

天童先生は優しく言った。

「そうですね。私、電車が大好きだし、またそれにのって、いろんなところに行くこともできますよね。」

綾子さんはそういうのだった。ということは、よほど電車が好きなのだろう。

「そうですよ。これからは、電車に乗って、いろんなところを旅しましょう。そしてこれからはあなたも幸せになりましょう。それでいいのです。人間ですもの、いくらでもやり直しはできますよ。」

天童先生が優しくそう言うと、綾子さんは涙をこぼして泣き出した。このときは誰も彼女の泣くのを止めなかった。

「じゃあ、過去の自分から、プレゼントがあるようです。それをもらって、今の世の中に帰りましょう。プレゼントはなんですか?」

「はい、勉強する紙と鉛筆。」

綾子さんはそういった。

「わかりました。それは大事に持っていてください。それではもう一度深呼吸して体の力を抜きましょうね。そして、目を開けましょう、一、二、三。」

天童先生の指示で綾子さんは目を開けた。そこは、いつもと変わらず製鉄所の風景だ。ジョチさんや、蒔田さんが心配そうに彼女を眺めている。そして、水穂さんは、四畳半ですやすや眠っていた。

「一度だけでは変われないかもしれないけど、これを何回か繰り返して、感情を安定させていきましょうね。大丈夫ですよ。ちゃんと映像が見えたもの。」

天童先生がそう言うと、

「ありがとうございました!」

と、綾子さんは深々と頭を下げるのであった。

「もう、水穂さんの吸い飲みを割ってしまうことは、決していたしません。」

秋の風が、製鉄所の中に爽やかに吹いていった。

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