第33話 アンと評価

「あの、レナ様?大丈夫ですか?」

「大丈夫ですよ、アンさん。自分が気が付かない振りをしていた事実に、強制的に気が付かされただけですから。ただ、私が覚悟が足りなかった。考えが甘かっただけなんです。セタンタさんは、そんな私に警告してくれただけなので。最終的に受け入れる選択をしたのは私ですし、特に誘導もされなかったので、問題ありませんよ」


 アンは心配そうな声音で、レナの取り付く島もないような対応に、ぐっと押し黙った。とはいえ、アン本人の表情には不安は浮かび上がっておらず、レナを信用しているようにも見えた。


「というかアンさん、そこまで心配していないですよね」

「なぜですか?」


 レナの核心をついたような発言に、アンは面白そうに返事をする。二人しかいない廊下だからか、二人の足音がやけにこだまして聞こえる。

 アンは少しだけ視線をレナの方から逸らすが、それを許さないとレナはアンの視線の先に回り込んだ。ジッと観察するように見つめてくるレナを前にして、早々に白旗を上げることにした。


「はぁ、降参ですよ。確かに、そこまで心配はしていませんよ。あなたは天才であるからではありませんが。レナ様は自分という人間を、誰よりも知っていますからね。だから、自分で自分の目を背けていた場所を受け入れるという結論を出したのであれば、問題ないと思いますしね。そもそも、受け入れきれないのであれば、あの時発狂して終わってますよ」

「…………」

「まだ何か?」

「………」


 レナの視線はアンをじっと捉えて離さない。ジッと、まるで宝石でも見つめるかのように、じっくりとアンの瞳を見つめた。

 アンはそんなレナに対して立ち止まって対応することはなく、レナはずっと後ろ向きに歩きながら、アンの瞳の奥を見つめていた。


「アンさんが言うことは正しいですし、多分本心からの発言なんだろうなって、瞳を見てればわかります。私が行うには、こんな感じで少し時間が必要でしたが、なるほど。よくわかりましたよ」

「何がですか?」

「アンさんは信用できますけど、信頼してはいけないんですよね」


 あけ放たれた窓から、タイミングよく一陣の風が吹く。その風によって、舞い上がった髪がきれいにアンの顔を隠した。

 その長く艶やかな髪の毛を左手でかき分けて露になったアンは嗤った。


 レナのほうを真正面から見ながら、嗤ったのである。


「さすが、よくわかっていますね」

「ええ、今回は利害が一致していただけですよね」

「それは少し違いますよ。私が、個人的にあなたを助けたいと思っただけですから。私にとっては、城塞都市の内部がどれだけ荒れようが、関係ないですよ。この身一つでここまで上り詰めたんですよ、私。だから、関係ありません」


 アンからしてみれば、この町がどうなろうと困ることはなかった。ただ、その中で必死に足搔こうとしている才能を無駄にするのが嫌だったのだ。

 アンからしてみれば、レナといえど人でしかない。天才であり、自分よりも上の実力者であるかもしれないが、それを利用し尽くしてこその経営者。


 上に立つものは、周りで使えそうなものを発掘して徹底的に使いまわしていくのが、コツなのだ。


「アンさんからしてみれば、やはり私も小娘でしかないのですね」

「ふふっ、面白いことを言いますね」

「どういうことですか?」


 強気な発言をした先ほどとは打って変わって、魅惑的な笑みを浮かべてアンは笑う。おかしそうに、愉快そうに、レナの発言を笑った。

 困惑するばかりのレナだったが、終ぞ自分の発言のどこにそんな笑う要素があるのか、理解できなかった。


「あなたは不思議なことを言いますね。この都市が、文字通り世界が認めている天才を、私が小娘のように扱うのは当たり前というような発言ではありませんか」

「実際、私のことはそういう風に見ていませんか?」

「確かに、そういった側面があることは認めましょう。というか、私の人との接し方は大方それなので、認めるも何も意味をなさないんですけどね」

「どういうことですか?」


 たまらず、といったようにレナが食い気味に質問した。

 ここにきて、初めて二人とも足を止めるのだった。正確には、アンが立ち止まったからレナも立ち止まるしかなかったのだが。

 ゆっくりとアンのほうを振り向くと、アンはいつもの誰もを魅了する笑みでも、余裕のある顔でもなく、無表情に語った。


「圧倒的な才能なんて、生にしがみつこうとする意志の前では無意味なの。だから、機械兵はボロ屑しか持たないスラムの人間に負けるし、私のようになりあがってくる人間もいる。大事なのはその人間が持っている価値を冷静に判断し、分析し、利用方法を考えるだけ。あなたは、天才で多才だから、その利用方法が多いし一つ一つの評価項目が異常に高い。価値がある人間、私からしたらそれだけ。私だって同じよ。私という人間が動けば何をなせるのか。そして、私の行動は、この世界にどれくらいの影響力を持って、自分の夢に対してどれほどの膂力を持っているのか。そこにしか、私は価値を感じないの。その点で行くと、あなたは非常に重要なパーツだから。だから助けたに過ぎないのよ。覚えておきなさい、レナ・オーガスト。この残酷で無慈悲で、人間の掃き溜めで生きていくのなら、誰も信頼できないし才能や財力なんてすぐに無に帰ると」


 アンは、それだけ言って何事もなかったかのように「それじゃあ、行きましょうか」というと、レナを連れて歩き始めた。



 瞳に深く広い闇が広げたままに。

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