第25話 絵画は語らない

 人が住んでいる館にもかかわらず、薄暗い道。天窓から微かに入る明かりが、微かに道を照らす。それ以上先に進める道はなく、前に見えるのは大きな絵画のみ。

 その絵画も、僅かな光を頼りに見るだけではその素晴らしさも半減してしまうが、シャーロットはその絵画をボーッと見上げていた。


「ほぅ?こんなところに迷子がいるとはな」

「うん?お兄さん誰?」


 後ろからかけられた声に、シャーロットは振り返ることなく返事をした。警戒をする素振りすら見せないシャーロットは、後ろに誰かがいることを理解して、そのうえでやはりボーッと絵画を見ていた。


「俺を前にして、そんなに絵画が気になるか?」

「ん?うーーん、あなたのことを考えるよりも、この絵を見ていたほうがいいかなって。これから粗大ゴミになる物に、いったいどれだけの価値があるの?それよりも、この絵画を見ていたほうがいい」


 絵画から視線を逸らすことなく、シャーロットは男に向かって断言する。

 男のほうも自分の実力不足であることは理解しているのか、少しも感情を荒げる素振りなく、さも当然といったように受け入れた。男は小さく舌打ちをして、小さな箱を取り出した。


「世の中無能は簡単に死んでしまうから面白くない」

「そう?じゃあ、私もすぐに死んじゃうなぁ」

「ああ、まさかお前のような屑に、俺たちの仲間がやられたとはな」


 取り出した小さな箱をゆっくりと展開しながら、男はコツコツと足音を立てながらシャーロットに近づいていく。男の足音よく床に響く音くが、そのリズムも音から感じ取れる足取りも、シャーロットからすれば不愉快だった。

 ここにきて、初めてシャーロットは首を傾げて、男の姿を視認した。初めて、絵画から視線を切らしたのである。


「私はあなたと会ったことがある?」

「ははっ!!やっと、俺のことに気が付いたか?」

「興味を持つに値する存在ではあったよ?」


 シャーロットまで残り7mといった所で、男は立ち止まった。弄っていた箱はすでに完全に展開されており、原型はなくなっていた。

 固い石で作られたザラザラとした地面の感触を確認するように床を足でひと撫ですると、シャーロットは腰を下げてこぶしを構えた。


 そっと絵画から距離をとって、行き止まりである壁に足を押し付けていつでも走り出せるように準備した。


「それでさ、一つ聞きたいんだけどなんで私は即座に敵として認定されたの?」

「なんだ、そんな簡単なこともわからなかったのか?」


 シャーロットのもっともな疑問に対して、男は「残念だ……」と呟くと大きなため息を零してから、小さく一歩踏み出した。

 同時に、シャーロットもそのスカートのすそをヒラリと持ち上げると、一歩だけ踏み出した。


「別にあなたが残念だと思おうと、私には何も関係ないんだ。どうせあなたはここで死ぬ。でもね、その前に私があなたの敵だと判断できたその理由が知りたいんだよね」

「君のほうが強いことは否定しないが、それだけで俺を確実に殺せると思っているあたり、その低能が露呈しているな。だがまぁ、多少の暇つぶしにはなるか」


 自分のほうが圧倒的に弱者であることを知っていながら、男は余裕の姿勢を崩さない。しかし、シャーロットも警戒を緩めることはないが、かといって臆するようなヘマはしなかった。


「え?あなた暇人なの?いいなぁ、私はいつも忙しいからね。だから、さっさと言ってくれない?」


 声音は優しく、しかし芯のある楽しそうな声でおどけて見せる。といっても、その目は完全に光を閉ざし、敵意を隠そうともしない姿勢だったが。

 そんな姿を前にしても、男は動揺することもなく淡々と解説をはじめた。普段のシャーロットであれば、ご高説を話している間に、木っ端微塵に切り刻むか、即座に拷問を開始するのだが、この時ばかりは静かに男の話を聞いていた。


「君が俺の敵だと判断したのは簡単だ。そもそも、この部屋にどうやって侵入した?この部屋に来るには、いくつもの兵がいる場所を超え移動する必要がある。もしも仮に、偶然君が運悪くそのすべての包囲網を迷子になったからという理由で回避できたとして、二つ疑問がある。一つは、どうして今、この周囲を任せていた兵士の大半と連絡がつかないのか。君が何一つ害を加えていないなら、なるほど。彼らはきっと昼食のカビの生えたパンに食あたりしてしまったのかもしれないな。だが、さすがにその絵画に目を奪われた少女の靴に、血がべっとりと付着しているのは見逃せないだろう?」

「へぇー。あの距離から私の靴に付着した血に気が付けるなんて、目がいいんだね~」


 ここに来て初めて、両者の間にわずかな緊張が走った。飄々とした態度をしていた男も、いつもの様子を崩さないシャーロットも、戦闘姿勢をとったのだ。


「ふっ、俺のこの目からは絶対に逃れられんぞ」

「そう、どうでもいいけど。まぁ、参考にはなったよ。この部屋がそんなに重要な場所だとは思ってなかったし、兵士を殺して隠しても、連絡がつかないことでバレルとはね。もう少し、連絡の感覚はゆっくりだと思ってたよ」

「意外と考えて行動していたのだな。とはいえ、サルの知恵では残念ながら人間様には抗えんのだよ!」

「そうかもね。最後に一つだけ。君はここのボスの居場所を知っているの?」


 シャーロットはこれまで通り、楽しそうに質問をしたが男のほうはその質問に答えるわけにはいかなかった。

 余裕のある態度が崩れ、僅かに上ずった声でシャーロットに返答した。



「はっ!知っていても答えるはずがないだろう」


 この言葉を最後に、男はそれ以上言葉を重ねることはなかった。シャーロットのことを嘲笑ってやろうと、ずっと準備していた手にある物を使おうとした瞬間だった。シャーロットに本気で危害を加えて、この場で殺してしまおうとした瞬間。


 男が目にしたものは、自分の足だった。次いで目に入ってきたのは、空から降り注ぐ、赤い雨。鉄っぽくて、赤黒いものと綺麗な赤色をしているそれは、自分の視界一杯に広がったかと思うと、ドロドロと生暖かい感触が顔を伝わる。

 声を発することはできなかった。反応することも、自慢の視力を生かして、目で追うことすら叶わない。


「あなたの目どれだけ優秀な義眼でも、あなたの頭脳が自称どれだけ優秀であっても、私には届かないんだよ?どれだけ頑張っても、毒も羽も持たない小ハエが、どうやってサルを殺せると思ったの?」


 一瞬で移動したシャーロットは、男の首を跳ねて、声帯を潰し、残った体を雑に切り刻むと、それだけ言ってその場を後にした。




 男の死体は、その後数時間誰にも気が付かれることなくその場に放置されていた。バラバラ死体なだけではなく、綺麗に切られた切断面と、跳ね飛ばされた首。そして一切の返り血を浴びていない犯人の技量を前に、この場に駆け付けたスラム街の荒くれ共は恐怖した。


 その場に飾られている、一匹の悪魔が人間を踏みつけ、磔にしながら拷問し、その人間の無様な姿を肴に人間を食べている絵画が、不気味にその場にいる人間を見下ろしているのでった。



 その絵画に気が付いた男たちは、あまりに人間離れした技量とその恐怖心から、「悪魔の仕業」と言い合い、誰にもこの事実を伝えることはしなかったのだった。

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