第80話

その『群れ』は王都を目指していた。


長い隊列は千人を超えている。ただひたすら同じ方向を目指す姿は、まるで蟻の群れのようだ。


それらは一様に異様な姿をしていた。目は血走り、口をダランと開けて、口の端から涎がベチャベチャと垂れ、服を濡らしている。


「アザレア様ぁ」

「あああああ!」

「王都へ!王都にいくぞおおおお!!」

「ヴェええええええ!!!」


感情感染パンデミックの魔法を受け、邪な感情を増幅された男たち。


ハルの設定では、かなり強く不埒な考えを持たなければ影響を受けない魔法のはずだ。それでもこれだけの人数が影響下にある、というのは…すでにこの国の不満はここまで達して、人心が荒んでいたからと思われる。


すでに軍団とも言える数が集まっていて、もはやこれは『戦力』であった。


しかも群れが大きくなれば、影響を受ける範囲も爆発的に広がっていく。ねずみ算式に増えていく軍団は、もはや制御は効かない。


魔法の効果がある期間は1か月。あと2週間は影響が残るだろう。その期間に万まで数が膨れ上がっても不思議ではない。


あるいは魔力の薄い地球ならば、もっと早く効果が薄れていたかもしれない。王家破滅の足音はもうそこまで迫っていた。


※※※※※※※※※※※


「王都まであとどれくらいですかね?」

「あと…2日…」

「ありがとうございます、フィニ」


後方に、多数の足音を感じる。これは私の使った魔法・感情感染パンデミックの気配だ。


足は遅く、また距離は1日分は離れている。私たちが王都につくまで追いつかれることはないだろう。まぁ追いつかれても、すでに解除する魔法は開発済みなので、万が一にも襲われることはあるまい。


「後ろの…大丈夫?」

「ええ。アザレア王女にしか目が行きませんから私たちが襲われることはありませんよ」


そういう魔法だ。魔法は理屈と理論で作られるものであり、物理現象と変わりない。誰かが魔法に介入しない限りは変質することはないだろう。


「ハル様…ほか…気配」


フィニが耳をピクピクとさせて、何らかの気配を感じ取ったことを私に告げてきた。


なるほど、感情感染パンデミック軍団の足音に紛れて分かりにくかったが、人の足ではない気配が混じっている。


「ん?これは騎馬ですかね?」

「たぶん…そう」

「数はわかりますか?」

「…300〜310の間」


王都から出てきたわけではない。王都に向かっている騎馬の音だ。


それも誰かを追っている感じではなさそうだ。街道を普通に進んでいるだけ。馬のスピードも常歩程度なので、単に進軍しているだけだろう。


馬の歩くスピードは時速にすると7キロ弱。かなり駆け足のウォーキングくらいだ。私たちは特に急いでいないし、武装もしているので、おおよそ時速4〜4.5キロの間くらいで進んでいる。


「1時間以内には追いつかれますね」

「ハル様…どうする?」

「王都からでなければ特に対立する理由はないでしょう。一応警戒はしつつ、そのまま進みましょう」


隊列の殿はグリューンだ。彼女は成龍であり、私から見れば可愛いものだが、この世界ではほぼ頂点に存在する生き物と言っても過言ではない。


だから、そう簡単に破られることはないだろう。


「グリューン、騎馬が300騎ほどがおおよそ1時間後くらいに接近してきます。念の為に警戒は怠らないように」

「わかりました、ハル。人と馬ごときに遅れは取りません。お任せください」


一応、警告はしておくが…まぁ、大丈夫だろう。騎馬で来る気配も、特段強者がいるようには思えないからな。


進み続けること1時間、誰の耳にもはっきりするほどの蹄の音が聞こえてきた。距離はかなり近くなっている。


そして、ついに向こう側の進み方が変わる。どうやらこちらに気がついたらしい。明らかに前方を警戒した進軍の仕方に変わった。


「全員、一度止まりましょう…グリューンとリジーは後ろ向きに盾を構えて停止。ポピーは全員がいつでも農地ファームに逃げ込めるように準備。シイカは権能を準備、フィニは引き続き向こうの動きを警戒し続けてください」

「「「「「はい」」」」」


私も並列詠唱パラレルキャスト四重奏カルテット分離思考マルチタスクを発動させて、いつ相手が来てもいいようにする。


亜神クラスが襲ってきても恐らく対抗ができる布陣ではあるが、果たして現れたのは知った顔だった。


先頭の騎馬に乗った人物は私を見ると、隊列を止めそして自らは騎馬から降りてきて、こちらに軽く頭を下げてきた。


「クリスハル…いや、精霊殿」

「バンラック…兄さん…」


騎馬を率いてきた人物は、クリスハルの兄であるバンラックだった。


「いや、いい。精霊殿よ、すでに弟でないことはわかっている」

「なるほど。では、今後はバンラック殿、呼ばせて頂きましょう。もしや魔力視を使えるので?」


ずっと気になっていたことがあったのだ。なぜ落ちこぼれのクリスハルが異界から神を呼ぶような高等な儀式を知っていたのか。


この世界の技術レベルを知れば知るほど、クリスハルが使った儀式はオーパーツと言ってもおかしくない代物だった。なぜそれがクリスハルの手元にあったのか。


答えはこの男、バンラック・ジオフォトスの差し金だったのだろう。


「答えは正解だ。誤解を持って欲しくないのだが、私はクリスハルに自殺を勧めたりはしていない。数多に渡した資料の中に紛れ込ませていただけで、いわば可能性を示唆しただけ。選択をしたのはクリスハル本人だ」

「…まぁ、良いでしょう。私個人は特に誰かに恨みがある訳ではありません。クリスハルの頼みさえ果たせれば、それで良いのです」


バンラックは顔こそ平然としているが、彼我の実力差に気がついている。私の横にいる小さな犬耳の少女にすら、この騎馬隊は5分も保たずに壊滅させられるということを。


「…おっかないな。初めて会ったときとは別人でないか…今では私が100人いても精霊殿に勝てる気がしないな」

「当たり前です。そんな歪な天恵などという技術を使っている限り上限がありますからね」


すでにこの世界の頂点に近い成龍グレートドラゴンを圧倒したのだ。恐らく、私に勝てるのは、あの召喚勇者ヒーロの娘であるアリスか、成龍グレートドラゴンより上位の古龍エルダードラゴン神龍エインシャントドラゴンという神話クラスの怪物だけだろう。


「それで、バンラック殿は何をしに?」

「精霊殿の手紙を読んだからな…これから精霊殿の動きに乗じて、王家を乗っ取らせてもらおうと考えている」

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