第73話
森の中、1人の美しい少女が馬を駆っていた。少女の名前はアザレア、という。
完全なる美貌は、まるで神が整えた、とも言われるほどである。その神々しさすら感じる美し過ぎる造形に、この国の国民は見るだけで涙を流し、そして傅く。
アザレア王女は、その身に似合わないほどの大きな剣を背負っている。しかし、馬の上にいる彼女の身のこなしを見るに、その重さを全く気にしていないのがわかる。
そのアザレア王女の周囲では、完全武装の騎馬兵たちが守るように隊列を組んでいた。学園におけるアザレアの取り巻きであるが、全てが高位の天恵持ちばかりであり、
「あははは…まったくクリスったら…無能なのにどこまで逃げられるのかしら?ねぇ?」
「はっ!アザレア様!無能のクリスは、4人の女を連れて、例の龍がいる洞窟に潜っているとのことです!」
「女…女ねぇ〜しかも4人も…あはは…」
取り巻きの騎士の説明に急に不穏な声を上げた王女アザレアは、背中に背負った剣の柄に手をかけた。
その直後、カチャリ、と音がした。
それは今、柄に手をかけたはずの剣を何故か仕舞う音だった。
ずずぅん
間もなく、大きな音が森に響き渡り、覆い茂っていた正面の木がまとめて、十数メートルの広さにわたって倒れた。
「不快よ…私のストレス発散人形のクリスが?女を引き連れてる?不快よ!不快!!不快ッィ!!!」
「やはり、ここまでレシア様の姿はやはりありませんでした」
「あのバカ…やっぱり犬っころに負けたのね…無能のクリスすらも捕まえられずに、使えないやつね」
何ごともなかったかのように話すアザレア王女と幹部たち。
しかしその様子を少し離れたところから見ていた新人騎士は、倒れた木はすべて同じ高さで切られていることに気がついた。切り口の高さはちょうど、アザレア王女の肩の高さ…つまり…。
唖然とした新人騎士が、事実と事実のすり合わせで、真実を理解し背中に汗がどっと流れ出した。先輩の騎士の1人が肩をポンと叩いた。
「安心しろ。アザレア様の剣閃なんて誰も見えるわけないからな。お前が未熟とかじゃねーから」
「あの…アザレア様が馬の上で剣で振ったとして切り倒された樹の範囲が…」
アザレア王女が背中に刷く剣は2メートル近い長さを持っている。たしかに大きな剣のだが、一方で樹が切られた範囲は10メートルは超えていた。一体どういう理屈で切られたのか、新人騎士には理解できない。
「アザレア様のなされることなんて、俺たち木っ端騎士にゃあ理解できねぇよ。俺たちはアザレア様がおっしゃった通り動くことだけ考えろ」
「……」
そもそも学園でも爪弾きにされているあの無能の婚約者のあとを追いかけるという行為も、新人騎士には理解できない。理解できないと言えば天恵のない無能を婚約者のままに据えておくことから理解できないのだが…。
もちろん、そんなことは口にしない。もし口にしたら…。
「
先輩の騎士が、小さな声でそう忠告した。新人の騎士はゴクリと生唾を飲んだ。
この新人騎士は『
あの話は噂じゃなく真実なのか…。
新人騎士の口から漏れそうになったその言葉は幸いにも渇ききった喉のお陰で声にならなかい。
「全体止まれ!」
先頭を走る隊長が号令をかける。正面には岩山、そして岩山の中へと続く洞窟がある。
「アザレア様、馬での移動はここまでかと」
「そうね。クリスはわざわざこんな北のはずれにある穴蔵に、女4人も引き連れて何をしに入ったのかしら?」
そこまでアザレア王女が言ったとき、先頭の騎士隊長が剣に手をかけた。どうやら、洞窟の中に気配を感じたようだ。
「アザレア様、洞窟から誰か出てきます」
「あはは、クリスが何も知らないで、ノコノコと出てきちゃったのかしらぁ?」
まもなく出てきたのは…男は1人、残りは女ばかりの計6人だ。情報なら女は5人のはずだが、何故か1人増えていたらしい。
出てきた中の唯一の男は、この状況にも関わらずひどく呑気な表情である。
「何も知らない?いいえ、違いますよ。そこの陰険ドブス性悪王女を少しばかりお仕置きに来たんですよ」
「はぁ!?なっ!?」
もちろん、洞窟から出てきたのはアザレア王女が探していたクリスハル・ジオフォトス。そのはず。
しかし、どうだ。
顔そのものは同じだ。それなのにあまりにも傲岸不遜。アザレア王女を、まるで道端のネズミでも見るかのような目を、ここにいる誰も見たことがない。
クリスハルと言えば、いつも怯えて、泣きそうな顔をしている。それとの、あまりにも大きなギャップに顔立ちが似ているだけの別人なのかと、勘違いをしそうになる。
「あれ?聞こえませんでしたか?スラムのドブ以下のドブスな顔を恥ずかしげもなく世間に晒している頭の狂った性悪ゴミカス王女を、少しばかりお仕置きに来たんです」
それは悪口が増えすぎだろと、この場の誰もが思ったが口にはしない。できるわけもない。
「は!?はぁ!?クリスぅ!あんた誰に、何を言っているかわかってるの!?」
「はぁ、子供のパンツの隅にこびりついたクソ以下の汚い顔を見せないで貰えますか?せっかくこんな美人に囲まれて気分が良かったのに…」
そう言ったクリスハルは左右にいた美女たちの肩を抱いて、ぐっと自分の方に寄せた。誰が見てもわかるレベルでアザレア王女を挑発している。
「実に台無しです。萎えますねぇ…いやぁアザレアって久々に見ましたけど、本当に汚い顔してますねぇ。あー場末の酒場の安酒飲んだみたいに気持ち悪くなってきましたよ」
また、悪口を増やしてきていた。
その言葉のせいなのか、隣に美女を侍らせて挑発してきたからなのか、はたまた両方か。美しいはずのアザレア王女の顔は、怒りのあまりに醜いほどに歪んでいた。
このとき、騎士たちに胸中に浮かんできたのは、王女を侮辱された怒りではなく、怖れ、だった。ここまでコケにされたアザレア王女の怒りがクリスハルの身一つで済むわけがなく。
恐らく騎士の数人は、アザレア王女の八つ当たりに遭うだろう。再起不能ギリギリにならないくらいまで痛めつけられる。最後は治癒系の天恵で治しては貰えるが、そんな恐ろしい目に遭いたい人間などいない。
「グリズぅッッ!!!」
背中の剣に手をかけた王女が…消えた。
そして、一瞬にしてクリスハルの前まで行くと…大上段に構えた剣を容赦なく振り下ろした。クリスハルの正中線からはズレているから、恐らく腕あたりを切り落とすつもりか。
いずれにしても、天恵のないクリスハルに何かができるわけもなく、騎士たちはクリスハルの悲鳴が上がるのを確信したが…。
「遅いですねぇ…」
「ああああーっッッ!?」
悲鳴を上げたのはアザレア王女だった。
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