第8話

「今日からクリス坊っちゃんのお世話をさせて頂きます、ピピと申します。これから、よろしくお願いしますね」


メイド服を着た女性が頭を下げ、そう告げてきた。下げてきた頭に生えた髪の毛の隙間には、草や花が見える。草むらを抜けてきたのだろうか?


それにしても、私の視線が妙に低い。


頭身を見るに、目の前のメイド服の女性は、標準的な身長だろう。


それなのに、私はその女性の腰ほどしかない。


(そもそも貴女は一体、誰ですか?ここはどこですか?だいたいメイドと言えば、私の専属であるはずのフィニはどこにいるのでしょう?)


「あ…その…よろしくお願いします」


そんな様々な疑問を浮かべた私の意志に反して、口からは思っていたこととは異なる言葉が漏れた。


(これは一体何が起きてるのでしょうか?もしかして夢?いや、この女性は私のことを「クリス坊っちゃん」と言っていましたね)


無意識下の記憶の発現たる夢で、知らない女性から、そんな風に呼ばれるようなことはないような気がする。憑依してまだ1日経っていないのに『クリス坊っちゃん』としの自覚など生えるわけもないからだ。


(もしかして、この身体や、脳に刻まれた記憶が過去の映像を見せているのかもしれませんね)


そう自覚した途端、頭に情報が流れ込んできた。


今のクリスは5歳。天恵の儀を経て、天恵がないと診断されて、冷遇されている状態だ。


周りを見れば部屋は薄暗い地下室で、窓すらない。部屋は15平米ほどで、都内ならシェアハウスくらいでしかこの間取りはないだろう。


調度品も酷く粗末だ。布団の薄いベッドと、テーブル。椅子1つ。そもそもメイドの世話がいるのか不明なレベルの狭い部屋だ。


そんなクリスにもいた数少ない味方。それが目の前のメイド、花女族アウラウネのピピだ。


彼女は、不遇とわかってるクリスの面倒を買って出て、そして、主人として接した。


「クリス坊っちゃん。坊っちゃんは雇い主なのですから、口調はもっと砕けていて良いのですよ?」

「そ、そうなの?じゃ、じゃあ、よろしく」

「はい。よろしくお願いします」


ペコリと頭を下げるピピの後ろに、一人の少女がいた。恐らくこのクリスよりさらに下だろう、幼さの少女だ。


「あの、よろしくお願いします!」


少女はペコリとピピに習ってか頭を下げてきた。少女の頭からも、草花がぴょこぴょこ覗いている。


「あの、ピピ…この子は?」

「私の娘のポピーです」


ちなみに、クリスから流れてきた知識によると、彼女の頭に草がついているのは、別に草むらを抜けてきたわけではないようだ。


花女族アウラウネという種族は、頭から草花が生えているもののようだ。


「わかった。ポピー、よろしくね」

「うん!クリス様!」


その日からピピ、ポピー親子との交流が始まった。


☆☆☆☆☆☆


クリスは天恵を持ち合わせていなかったが、決して無能ではなかった。特に頭は悪くないようで、勉学では秀でていたようだ。


長兄のバンラックは、そこを見抜いていた。だからか、屋敷に来たときには、こっそりと本などをクリスハルに融通していたようだ。


ただ、バンラックは王都にある貴族向けの学校をかなり前に卒業している。そのため、王都の屋敷ではなく、領地にいることが多かったので、会う機会はほとんどなかったようだ。


クリスハルはバンラックから貰った本などで知識を仕入れては、ポピーに惜しげなく教えていた。読み書きから計算、地理、商学、簡単な帳簿の付け方まで…。


「と、1日の売り上げから、原価や必要経費を引いて、粗利を出すよ。粗利は利益の目安だから、まずはこれを確保するように商売をしないとね」

「ええと、つまり売り上げだけ見ていちゃダメってことだよね?」

「そうそう。じゃあ、ピピにも聞きますね。ここで言う必要経費として考えられるのは、どんなものがありますか?」


ピピも、もちろん平民だ。だから、これまで勉強をする機会などはなかった。文字すら読めなかったのでポピーと共にクリスは可能な限り教えられることを教えていた。


「ええと、今回の問題は料理店ですから…料理に使う薪とか、従業員がいたらそのお給料とか、お店の賃料とかでしょうか?」

「そうだよ、正解。お店の賃料は、毎月払うものなので、日割りにして計算してね」


クリスとしては自分のために頑張ってくれるピピ、ポピー親子へのせめてもの恩返しのつもりだった。しかし、2人からすると給料では払えないような教育をしてもらったことを恩に感じて、ますます仕事に励むようになる。


「ボク…割り算まだ苦手…」

「割り算は四則計算で一番最後にやるだけ難しいからゆっくり覚えていこう…。ところでさ」

「ん?何?クリスにぃ?」


最初は「クリス様」だった呼び方も、いつの間にか距離が縮まったのか「クリスにぃ」に変わっていた。


「いつも言ってるけど、女の子がボクってあまり聞かないよ?私、とかの方が一般的じゃないかな?」

「えー?でも、クリスにぃと一緒がいいだもん」

「そこまで一緒にする必要あるかなぁ?」

「あるもん!」


クリスハルは苦笑した。


そんな感じで5年ほどは、比較的、穏やかな時間が流れた。地下室から出る機会も少なかったせいか、屋敷でほかの人間と交流が少なかったせいもあるかもしれない。


もちろん学校での様々ないじめはあったし、屋敷ではグラムスからの暴力もあったが、まだこの頃はそこまで高い頻度ではなかったようだ。


だが、平穏はいつまでも続くものではなかった。ある日、息を切らせたポピーが、クリスの部屋に飛び込んできたのだ。


「クリスにぃ!ママが、怖い人に捕まったよぉ!」

「!?一体どこで!?」

「一階の廊下だよぉ」

「わかった。誰だかわからないけど、ポピーはこの部屋で待ってて!危ないことになるかもしれないからね!」


一階廊下へ出る。久々に見る窓から射す陽の光の眩しさに思わず目を瞑った。


「廊下のどこだろう?」


悩むクリスだが、すぐに廊下の向こうから争うような声が聞こえてくる。反射的にクリスは声の方に走っていく。


言い争っていたのは中学生くらいのグラムスと、嫌悪感を剥き出しのピピだった。


「だいたい、あんな欠陥品をよぉ、面倒見てたら、タマるだろ?ああ?俺様が面倒見てやるからよぉ。ほらそこの部屋に入ってスッキリしようぜ?な?」

「私は飽くまでクリス様のメイドですから、そのようなことは一切ございません」


どうやらグラムスは部下のヒルデスとともに、ピピを無理やり近くの部屋に引き込もうとしているようだ。


ピピは確かに美しい。だから、ローティーン男子の性欲を持て余したグラムスが、その暴力性を隠そうとせず、無理にことに及ぼうとしているようだ。


「いいから、公爵家次男の俺様の相手をしろと言っているんだ…おい、お前ら!」

「いやっ!やめて下さいっ!」


取り巻きたちが出てきて、両サイドからピピを押さえつける。そして、すぐに近くの部屋に無理やり引き込んで行った。


グラムスは後に続いて部屋に入ると扉を閉じた。


部屋に押し込められるところを目撃したクリスの頭は怒りで沸騰していた。


クリスはこのとき頭の線が切れていたのだろう。追いかけるように部屋の前に行くと、扉を開け放った。


もし、邪魔などしたら性欲で暴走するグラムスにブチ殺されてもおかしくない、そう頭にもよぎったりもしたが、怒りがそれすら塗り替えていた。


「やめろぉぉぉ!」

「あぁっ!?誰だぁ!?」

「ピピは、グラムス兄さんのメイドじゃないぞ!」

「ちっ!クリスじゃねーか!」


つかつかと迫ってくるグラムスと威圧に、クリスは怒りが抜けて、あっさり恐怖に支配される。


直後に、顔面を強打する感覚。グラムスはクリスを殴りつけた。目から火が出るような感触とともに、視界が何回も回転する。


「クゥリスゥ〜ゴミ虫はそこで、お前の専属メイドが浄化されるのを見てろォ!」

「やめろぉーーー!」

「ヒルデスぅ、こいつを黙らせろ!」


痛みと衝撃で地面に這いつくばっているクリスをヒルデスは1度強く踏みつけた。さらなる痛みと衝撃で悶絶していたところを背中から馬乗りにされて、押さえつけられる。


「はっ!さぁ!ゴミ虫!そこで見てなさい!」

「やめろぉォォッ!!!むぐぅっ!?」


ヒルデスに押さえつけられ、そして猿ぐつわを噛まされる。しかし、顔だけは反らすことが許されなかった。


絶望的な視界に映りこんでくるのは、無理やりグラムスに押し倒されるピピ。


もちろん、ピピはグラムスに抵抗するが、槍騎士の天恵持ちにかなうはずもなく。メイド服を無理やり破られ、倒され…。


地獄の時間が幕を開けた。


☆☆☆☆☆☆


「クリス坊っちゃん、すみません。屋敷を離れなくてはいけなくなりました。お世話が出来るのも今日までです」

「……ピピ…ごめんね…僕のせいで…」


顔を青あざで腫らし、痛々しい見た目のピピは、それでもクリスにメイドを辞すことを詫びた。


ピピはという事実と真逆の冤罪を着せられた。そのためピピはメイドを辞めざるを得なくなったのだ。


もちろん、ピピの娘であるポピーも一緒に追い出されるのだ。


「私たちは、城下の庶民街に引っ越します。ポピーもです…お世話になりました」

「う、うん…その…僕は……ごめん…」


クリスの心の中は、余りにも大きすぎる罪悪感、そしてピピへの謝罪の気持ちで、気が狂いそうになっている。


だが一方で、この屋敷にさえ居なければ彼女たちがこれ以上被害に遭うことはない。そう安堵もしていた。


「クリス坊っちゃんは悪くありません。むしろ、クリス坊っちゃんは、私たちにとてもよくしてくれました。私はクリス坊っちゃんに感謝しています」

「そんな…ボクは…何も…」


言い淀むクリスに、ピピの後ろからでてきてポピーが全力で抱きついてきた。


「クリスにぃ…ボク、さみしいよぉ」

「ポピー…役立たずの僕を許しておくれ…」

「クリスにぃは、ずっと優しいクリスにぃだもん!大好きだからね!」

「ありがとう、ポピー…」


頭を下げ、去っていく2人。


離れて小さくなっていく背中を見ながら、握りしめるクリスの手からは、血がにじみ出ていた


その後、公爵家の次男を誘惑したという悪評で、ピピは一人娘を育てるのに苦労する。その無理がたたり、3年後にピピは亡くなってしまう。


街で会ったポピーから、それを聞いたクリスはその場で崩れ落ちた。そして、その瞬間、焦がれるほどの黒い願望がクリスを支配する。


…グラムスが憎い!!


……グラムスを倒す力が欲しい!!


………グラムスを圧倒する力が欲しい!!


…………グラムスから大切な人を守れる力が!!


欲しい!!!

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