第4話

「へぇ?グラムスを倒すなんて、クリスはいつのまにそんな鍛錬をしたの?」


その優しげな声とともに、ゾク、と強い悪寒が背筋を走った。思わず、両手を構えて振り返ると、そこには、やや細身の優男が立っていた。


年は30歳前後くらいだろう。私をそのまま大きくして、肉付きを良くした…そんな感じだ。彼が、誰であるかはすぐに想像がついた。


「バンラック・ジオフォトス公子…」

「アハハ。そんな他人行儀な言い方でなくて、いつもみたいにバンラック兄上と呼んで良いんだよ、クリス?」


しかし、なるほど魔力操作で、バンラックの周囲の景色が歪んで見えるほどだ。明らかに操る範囲がグラムスよりも広い。つまり、バンラックが使える魔力はグラムスよりも多くなる、ということだ。


グラムスやヒルデスの使っていた第3門の魔法に似たもの加えて、私と同じ第1門の魔法に似たものも使われている。


(これはとてもではないですが、今の私では勝てません…逃げるか、話し合いか、できればいいのですが…)


バンラックは、口元には笑みを浮かべているものの目は少しも笑っていない。下手を打てば殺される可能性もありそうだ。


もし、彼が地球にいても、人間の中ならのかなりの強さを誇るだろう。いや、もちろん、地球にいた頃の私には勝てないよ。うん。


さて、なんと出れば、戦いを回避できるだろうか。


「バンラック兄上、どうやらグラムス兄上が手加減をしてくれたようです」

「へぇ、グラムスがクリスに手加減ねぇ」

「で、なくては天恵なしの私は、あっという間に殺されますよ」


私の苦し紛れの言い訳も、全く信じていない顔をしている。隙だらけ、油断だらけのグラムスと比べて隙がない。


あのバカ使用人、何が10倍強いだ。この男、あの使用人の100倍は強いぞ。


私は強さは求めるが、自衛という目的ありきなのであって、決して、戦闘狂ではない。何より、クリスの遺書に、バンラックの名前はなかった。だから、無理してまで戦うべき相手ではないのだが…。


「ま、いっか。クリス、いろいろと確認したいことがあるから、かかってきて?」

「へ?いや…」

「私も武器は使わないからさ、組手だと思って」


どうやら、そういう訳にはいかないようだ。組手と言っているが、こいつ、殺気がだだ漏れで、私を殺す気満々にしか見えない。


「来ないなら、私から行くよ?」

「!?」


そう言うと、その通りにバンラックは、正面から突っ込んできた。突進してくるスピードと、圧倒的な威圧感。まるで猛スピードで突っ込んでくるトラックの前にでも立った気分だ。


右手に魔力が集まってるのを見て、左手側、つまり私から見た右側に重心を傾ける。すると、私の動きを見たのか、バンラックの左手側に魔力が移動してきた。


(ギリギリで、飛ぶ方向を決めるしかありません)


バンラックが左手を振りかざした瞬間、魔力が集まっていない右手側、つまり私から見た左に避ける。軌道や、手の大きさから見て、ギリギリの距離で躱すせるはず。


目論見どおり、バンラックの拳は私に当たらなかった。しかし、拳が地面に突き刺さった衝撃で、爆音とともに、地面を覆っている石材が弾けて、飛礫となって襲いかかってくる。


流石に広範囲の飛礫は避けられない。咄嗟に判断して、大きなものは叩いて落とすことができた。しかし、3つほど小さなものは払うことも出来ず、モロに横腹で受けることになる。


「ぐっ…!」


だが、それで慌てて距離を取ってしまっては、恐らくバンラックの思う壺だろう。


バンラックは今、3門を通した肉体強化の魔法が脚に集中してきている。


つまり、距離を取ろうものなら、下手したら私がバックステップで空中にいる間にでも、追い打ちを仕掛けてくるのは間違いない。


ならば、踏み込む!


今のバンラックの姿勢は、前のめりで踏み込もうとしている。逃げに対しての追い打ちは出来るが、接近されたときに強い蹴りを出せる重心にはない。だから敢えて、足元に迫り、距離を縮める。


「へぇ!クリス、やるぅ!」


踏み込もうとして、重心が寄ってるバンラックの脚を払う、のではなく、膝裏に引っ掛けるように蹴り寄せる。要するにだ。


グラムスにすら足払いは掛けられなかったのに、さらに格上のバンラックに、通じるとは思えないからな。


ガクリ、と姿勢を崩すバンラックに勝機を見出す。そして下がってきた顔面に向かって掌底を放とうとしたとき、不意に違和感を覚えた。


(あれ?脚に集まっていた魔力は?)


脚の魔力が減っている。なら魔力は…右手に集まっている!


いつのまにか、バンラックの右手に魔力が集まっていた。さっきから、体内の魔力移動がスムーズ過ぎて、機械的な処理をしているとしか思えない。これが天恵の効果というのが、自然だろうな。


いや、しかし、これは肉体強化を使う魔力の流れではない。魔力が不可思議な模様を描き、描かれた幾何学模様が輝き出す。


この魔力の流れ、構成…第9門を通している。つまりこちらにくる前に、私が得意とした魔法に酷似していて…。


雷光ライトニングボルト

「やべぇッ」


急いで、身体の魔力を動かす。魔法の行使のためではなく、単なる魔力操作だ。


ヒザ下あたりから、足の裏の皮膚までに、電気が通り易い道を作る。すると、雷光ライトニングボルトは、私の膝下に落ち、皮膚を焼いて、足裏から地面に流れていった。


「あちち…」


身体の魔力濃度が上がってくれば、この程度の物理現象には、ほとんど影響を受けなくなる。


だが、今の未熟な身体でそれは無理だろう。私が雷の精霊ということもあり、魔力を集めればそこに雷は通る。こうして、避雷針を作って受け流すのが精一杯だった。


咄嗟の判断で、脚の皮膚の一部を犠牲にして逃れることができた。しかし、まともに受けてたら死んでいたかもしれない。


私は、皮膚の焦げる匂いと、痛みを無視して、バンラックに向き直る。バンラックも両拳を握り、胸の前辺りに構え直したが…。やがて、フン、ため息を吐くと、両手をおろした。


「なるほど。こんなところか」


そう言って、バンラックは構えを解いた。先程まで濃密だったバンラックの殺気が、完全に霧散している。何がこいつを満足させたのか知らないが、どうやら今回は見逃されたようだ。


「まぁ、いいや。もともとクリスは頭は悪くないと思っていたけど、判断力が高いね。うん。能力はわかった。これならば、私の邪魔をしなければ好きにしていい。クリス、私の言ってる意味はわかってるよね?」

「はい。元より私には継承権などありませんから、考えてもいません」


邪魔、が何を指すのかわからないが、普通に考えれば継承権の話しかないだろう。私は公爵の地位に興味がないので、素直にそう話す。


「ふむ。嘘ではないようだな。それならばいい」


興味を失ったのか、バンラックは私に背を向け、屋敷の中に入っていった。


去っていくバンラックの背中を見つめながら、私はこれから、やるべきことを2つ決めた。


1つ目は、この身体の元の持ち主、クリスに義理を果たすこと。要するに遺書に書かれていた人物に対する復讐だ。


そして…もう1つは私自身の強化だ。


天使に復讐するかどうかは決めていない。やつらに対して腹は立っている。が、この新しい肉体も悪くないから、ぶっちゃけどうでも良いかなぁとは思い始めている。


しかし、また殺されるのはゴメンだ。つまり次に天使を相手にすることがあっても、どうにかできる戦力が必要になってくる。


そのためには力がいるということだ。私はこの環境を可能な限り利用して、力をつけていくことを決意した。


「この身体、鍛える余地がいくらでもあるからな。武器術か、身体の魔力濃度を上げるか、あるいは門の鍛錬か。いずれにしてもまだ先は長いですね」


先は長いというのに、私は笑っていただろう。これからのできることの多さに徒労よりも希望を感じていた。


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