Welcome to the world

和泉眞弓

Welcome to the world

ことばの遅れとあった

おかあさんは疑わしげにくつを脱がせ

きみは邪魔げにくつしたを放る

ようこそ、プレイルームへ

きみは一目でおもちゃへと駆けていった

蛍光オレンジの玉をてのひらでつかみおもちゃの坂をころがした

部屋にはおもちゃがたくさんあって

玉の行方をみ届けず次々おもちゃを手すさんでいく、きみもまた、

おかあさんを一度もみなかった


先生、ここに通って何になるのですか

そりゃあ子供は楽しいでしょうけれど

おとうさんが厳しい顔をすることもあった

おかあさんの期待は常に背に痛く

きみとモノとの関係は閉じてうつくしい

一緒にやろうの手を幾度払われようとも

僕はきみにみてもらわねばならなかった

きみは人をみなかった

高いところのおもちゃを一心にみて、自力で棚をよじ登ろうとする

危なく僕がとってやる

繰り返すうちふときみは

僕のてをみ、僕のてをとり、うえへうえへ

僕は喜ぶ、おかあさんは溜息をつく

『とって、かい?』

ことばかけの間が仇になり、きみはもう手近なおもちゃに逸れている

僕が一瞬遅かった、いや、まだ早かった


いつもきみは初めの日と同じ、最初にオレンジの玉をころがし次へと移る

幾度となく、てを吊られていたある日

『とって?』をきみは「と、て」となぞった

やはり僕をみない、でもいまだ

僕は応える、コンマミリのはやさで


はねる、はねる、

一畳ほどのトランポリンで

上へ下へ、移る視界にきみは夢中

僕はきみのてをとり、上にやる

はじめはタイミングがあわないが

たまさか、重心が乗りはねあがる

いまだ

僕は高く、大きく跳ね上げる

やや重心をのせてきたか、コツにきづいたか

さあもっとたかく、もっとおおきく

きみはちらとぼくをみた

毛ほどの期待でぼくをみた

そうだもっとたかく、もっと遠くへ

ぼくときみはみあう、きみは期待しけたけたわらう

ようこそ、人のある世界へ


アニメのセリフをよくまねるんです

駅の名前を百言えたんです

でも順番を待てないんです

いちばんじゃないと気が済まないんです

お母さんの言葉は季節とともに移ろい

君は辞書の虜になった

漢字検定で上り詰め

でも双六で負ければ大泣きで

駒を三つに増やし、一度の負けでは泣かなくなった

負ければすかさず難読漢字で僕を下し、時に

独特の言いぶりを僕がひらいたりもした

君の背が伸び、桜が咲いた

もうお母さんの視線は痛くなかった

友達がいないので今しばらく会ってほしいと


あの日君はいつまでもオレンジの玉を転がし「ボクは人間として有り得ない事をしました、ボクには生きる資格が無いんです」

言いながら激しく頭を打ちつけた

お母さんは泣いていた

件の動画、囃されズボンを下げられる君

僕は君を連れていく、町で一番高い建物まで

見下ろす町は生きていて

生きる場所は無数にある

オレンジの夕日がスモッグに潤む

どれだけ君に伝わったろうか

表情からは見えなかった

町は言う

ようこそ、人のある世界へ


次の回もその次も

まるで何もなかったようにやってきて

玉を転がしながら話すのを君は好んだ

とんでもない切り出しからだんだん言わんとすることが解る、いつもそんな軌道だった


君の胸元に桜が咲いた

寮のある遠くの学校へ

最後の回も同じように君は

オレンジの玉を転がすと何も言わず

棚の一番上の玩具を取り床に並べた

遊びつくした玩具たちを全て床に並べた

双六を床に広げて駒を三つずつ置いた

黒板に難読漢字を乱雑に書いた

最後に君は

トランポリンを目一杯にきしませて

跳ねる、跳ねる、

僕は君の手を取るが飛ばさない、頭が天井にぶつかってしまう

君はオレンジの玉を玩具の上にそっと乗せ

時間を半分残し、振り返らずこの部屋を出た

いつもどおりの、そっけない別れ方で


残された僕はもてあまし

一人トランポリンをきしませて

跳ねた、跳ねた、

見下ろせば、玩具たちはジオラマになり

オレンジの玉はあの日の夕日の位置だった

あの日君も同じ景色を見ていた

春の日が長く部屋に射していた

君は確かに、ここを出て

むこうの世界へ行ったんだ


ようこそ、世界へ

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

Welcome to the world 和泉眞弓 @izumimayumi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る