第3話 配置転換
「外出申請? ああ、悪いが諦めてくれ。3日後には出立だし、やることは山積みだ」
外出申請を提出した翌日、シキシマに呼び出されていそいそと艦長室に顔を出したユウとシエロに、忙しい様子の艦長は無慈悲に告げた。
「ではご要件は……てっきり外出のついでに用事を頼まれるものとばかり」
「悪い、少し待ってくれ」
シキシマは眉間に皺を寄せてモニタを睨みつけながら、軽く掌で制して話を遮る。執務机の前に立った二人は、所在なさげに顔を見合わせた。
「……すまない、待たせたな」
ややあって顔を上げた艦長の声に、
「ユウ、お前とシエロのバディを解消することにした」
「え……」
「安心しろ、ユウ。シエロを何処かへやるといった類の話ではない。HSUへの監視目的でのお前の搭乗はおしまいという話だ」
動揺した様子のユウに対して、シエロは落ち着いた様子で尋ねた。
「信頼していただいた、ということで良いのですか」
「そうだ。今までの扱いに対する非礼を詫びたい」
「当然の対処でしょう。むしろ
義体の表情システムが完璧な微笑みを出力する。シキシマは少し肩の力が抜けた様子で眉を下げた。
「そう言ってくれると有り難い。アステロイドベルト戦でも、先日のカリプソーへの潜入作戦でも、君は仲間を救うために奔走してくれた。こちらは常に疑いを拭いきれずにいて、恐らく君はそれを知っていたにも関わらず。君の行動は我々の信頼に値する。これからも尽力してくれると有り難い」
「当然です。私はそのように作られたのですから」
ユウはそっと
「君たちの
「拝命します」
シエロはやや芝居がかった仕草で頭を下げた。フライトリーダーを降ろされたユウは、少しほっとしたような表情を作りながら、はたと首を傾げた。
「俺とシエロが第一編隊なら、コンラートはどうなるんです?」
「エンジェルズの隊に欠員が出ている。カドリガ
シエロは眉をひそめた。
「Type-QPシリーズと人間の混成部隊はおすすめできませんが……」
「だからだよ。コンラートならミラが犠牲になることを許さないし、ミラも今ならそれをきちんと理解しているはずだ。……まあつまりは他に組ませるアテがない」
ユウは黙って俯く。アステロイド戦では何人ものパイロットが犠牲になった。ダイモスとアステロイドベルトでの戦いを経て、地球を出立した時に各機に割り当てられていた正規のパイロットはおおよそ半分程度に減り、現在は控えの若く実戦経験の浅いパイロット達がその穴を埋めている。
ユウは一度深呼吸して、気持ちを切り替える。考えたいことはたくさんあるが、今考えるべきは別のことだった。
「俺は何に乗るんですか?」
「木星基地から移管された
ユウは頷く。シミュレータではいつも操作感の似ているガーゴイルを使っていたので有り難かった。
「お前のガーゴイルだが、テッさんから今日中に調整が終わると聞いている。シミュレータ訓練からは一旦外れて残りの3日間は実機の調整に回れ。
* * *
「来ましたか」
「……はい、来ました」
ダイモスでの初出撃の時と同じやりとりを、整備班長のテッサリアとユウは至極穏やかに繰り返した。
あの時はシエロのHSUただ一機だった格納庫には現在、四機のアヴィオンが並んでいる。シエロのHSU、クピドのカドリガ、ハイドラのハーメルン。最後の一機であるユウのガーゴイルの傍に佇んだテッサリアに、ユウは折り目正しく頭を下げた。
「ありがとうございます班長、忙しいのに自分の機を優先でメンテして頂いて」
テッサリアは頭に巻いたタオルを外すと、それを肩に掛けてつるりと禿げあがった頭を撫でた。柔らかな表情で微笑む。
「なに、これが私の仕事ですからね。君のガーゴイルとナギ君のヤタガラスには今回、試験的にシエロ君やエンジェルズの機と同様の操縦方式を組み込んでいます。こればっかりは流石に自分でやらないと落ち着かなくて」
「はは……正直使いこなせる気がしないです」
「通常の方式でも問題なく動きますよ。使いやすいほうを使ってもらって構いません。マニュアルは艦内サーバに上げてありますからね」
「はい、目を通してきました」
ユウは
お守りのように表示したマニュアル越しに、白銀の機体を眺める。自分の機だと言われると、なんだか少し面映ゆかった。訓練兵時代の練習機は勿論自分の専用機ではなかったし、シエロのHSUもなんとなく間借りしているような気持ちがあったのだということに今更気付く。
「何かノーズアートを入れますか?」
ぼうっと機体を見上げているユウに、テッサリアが尋ねた。
「ノーズアート……」
自分の思考から抜けきれていないユウが、ぼんやりと言われた単語を繰り返す。
「そういえば、あんまり
「希望があれば描く類のものですからね。ユウ君、なんだか実感がない、という
ユウは困ったように頬を掻いた。
「単に好きなものや、名前をもじった意匠を入れる人もいますよ」
「俺の名前は……」
ユウは言い淀む。テッサリアは促さずにじっとユウが答えるのを待った。
「はるか……遠い、とか広い、とかそんな概念的な意味で……」
ユウは言い掛けた言葉を切った。視線がうろうろと彷徨い、馴染んだシエロのHSUを見る。
「シエロと……空と少し似ているのかもしれません。ああいや、でもこれじゃ意匠には」
ユウは内心を隠すように頭を掻いた。正直にいえば
煮え切らない思考をこねくり回すのをやめて、ユウは苦笑する。
「やめておきます。付けてない機も多いし、悪目立ちしそうで恥ずかしくなってきました。実感は……乗ればちゃんと沸くと思うので」
「わかりました。描きたくなったらいつでも言ってくださいね。実は私、ノーズアートを描くのが好きなんです」
テッサリアはそう言って、茶目っ気たっぷりに片目を瞑ってみせた。恐ろしいほど似合わない仕草だったが、そこに込められたテッサリアの気遣いを察したユウは黙って頷いた。
「じゃあ、乗ってみてください。一人で行きますか?」
「いえ、シエロを呼びます」
見慣れたイコライザが視界の端で跳ねる。やってきたシエロがテッサリアと挨拶を交わしているようだった。急いでハーネスのバックルを留めていると、含み笑う声がインカム越しに流れ込んでくる。
『まだですか?』
「生憎まだ半分生身だからね」
『ふふ……半生ですね。はんなま』
いつもの
いつの間にか開いていた格納庫の扉の向こうには、こぼれ落ちてきそうな程のまばゆい星の海が広がっていた。試験飛行のために一時的に生存区画ドームを離れている
(――ああ、綺麗だ)
前を飛ぶHSUを追いかけながら、ユウは心の中でひとりごちた。空気の層を通さない宇宙で見る星々は、芥子粒どころか砂粒よりもなお小さな粒度で視界を埋め尽くしている。星という素材で編んだ布を鮮やかに広げたようなこの光景を、美しいと思うのは久しぶりのことだった。
まだ2年ほどしか経たないその記憶は、もう遠い記憶の彼方にあるような気がする。訓練兵としてオレンジ色の練習機で宇宙へ飛び出したあの日、前を飛ぶのはリサだった。
――見て、ユウ。星がすごく綺麗……
練習機に乗り込む前は少し怖い、と眉を下げていた彼女だったのに、インカム越しに聞こえてきたのはほんのりと興奮が交じったような囁きで。自分もその光景に圧倒されていたが、彼女の言葉に認識が上塗りされてしまったように思った。
そうだ、この光景を布だと言ったのも彼女だった。いつか教えてくれた君のお祖父さまの故郷の
『何もいない空は、星が綺麗ですね』
ぼんやりと回っていた思考が、シエロの声でぴたりと止まった。一瞬目の前の機体がオレンジに見えた気がして、目を擦ろうと持ち上げた手がヘルメットに阻まれる。ごん、と義手とヘルメットが触れ合う硬い音が、意識を現実に引き戻した。前を飛ぶ白銀の機体が、遠い太陽の光を反射してきらりと輝く。
「……そうだな」
言いたいことすべてを飲み込んで、ユウはただ小さく相槌を打った。
―――――――
お読みいただき、ありがとうございます。
ユウ、二度目の配置転換です。配置転換といっても小隊の異動ですらないのですが、ユウにとってはなかなか大きな意味を持つ変化です。
次回の更新は12/27です。
それではまた、次回。
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