第五章 土星の環でワルツを

第1話 アダムの置き土産

――フォクス君へ


 僕らの失敗の後始末を押し付けてしまった事を、まずは謝らせてほしい。キミならきっと見つけてくれると信じてこれを残していく。

 今日の騒動で分かったことはアザトゥスの根絶を目指すキミ達に重要なポイントになるはずだけど、生憎僕にはもう時間がない。書き残していく暇がないから、僕の思考マインドマップを置いていく。これまでの研究資料と合わせてキミの助けになることを祈ってるよ。


 * * * 


「あ゙――――……しんどい他人の思考マインドマップ解析……」

「えー? 面白いじゃない、このアダムってコと僕も話してみたかったなぁ」


 ぐったりと両手足を投げ出して椅子に仰け反ったフォルテに、アサクラはくつくつと笑う。フォルテは椅子をぐるりと半回転させて、逆さまの視界の中のアサクラをじろりと見上げた。


「まーアサクラさんとアダムは仲良くやれると思うぜ、同じニオイがする。天才は天才同士でよろしくやって欲しいね」

「何言ってるのさ、拡張脳のあるキミのほうが処理能力は高いはずだけどねぇ?」

「嫌味かよ。こっちはスペックのたけーハードだからこそベースの違いを突き付けられてんですがね」

 

 だらけた姿勢のまま、フォルテは小指をちょいちょいと動かして拡張視界オーグメントに無数に広がる情報の枝を回転させる。思考マインドマップに連なる情報群は非常に曖昧で、言葉や単語、イメージや音だけのものなど様々だった。


「つーかこの曖昧なイメージ吸い出してんのは俺なんだよ。しんどい」

「まあ、僕には拡張脳とかついてないからさぁ。しょーがないしょーがない」


 無数の枝から関連情報を紐付け整理して、ある程度の塊にして出力するというのが今のフォルテに課せられた作業である。その塊を更にアサクラが解析し、出てきた推測からさらに情報を整理していくという作業がひたすらに行われていた。

 雲を掴むような作業だが、少しずつデータは形になりつつある。フォルテは諦観の強いため息を一つ落として、思考マインドマップから新たな情報データをまたひとつ掬い上げたサルベージした


「アサクラさんよ、こんな重要な解析に俺みたいな新参者使ってていーわけ?」

「仕方ないよねぇ、企業が約束通り必要なものを全部融通してくれたお陰でみんな大忙しなんだ。解析は僕らみたいな穀潰しがやらないと」


 カリプソーの調査は木星圏企業連合の望む成果を上げたらしい。礼拝堂周辺の実験区画は浸食と破壊が著しく、"種"の製造現場は結局最後まで見つからなかったが、木星圏各地で発生していた"種"による一連の事件がぴたりと止まった事で企業は十分に満足なようだった。


 そんなわけで、当初の約束通り第13調査大隊には十分な量の資材が与えられていた。整備班の人員は、アステロイドベルト戦での損害の復旧に総出で掛かりっきりである。またナギの思わぬ負傷により危機感を募らせた戦闘班長レナードが鬼の戦闘訓練を始めたため、戦闘班もここのところはシミュレータルームに缶詰だ。まだ搭乗機体が決まっていないフォルテは戦闘訓練にもお呼びが掛からず、手持ち無沙汰に艦内をうろついていた所をアサクラに捕まったのであった。


「それにさぁ」


 何に使ったのか分からない目盛のついたガラス容器に満たした暗褐色の液体を、アサクラはすすり込んだ。生気のない瞳がドアの方へちらりと視線を向けたのに呼応するように、ドアノブがかちゃりと動く。


「しっかりもついてるし、ね」


 ドアを開けて入ってきたユリアは、2人分の視線を受けて片手に保温ポットを携えたまま少したじろいだように立ち止まった。


「……何の話です?」

「何でもないよ、男同士のオハナシ。ね、フォルテ?」

「言い方!! 待てユリア違う、揶揄からかわれてるだけだ、これは」


 シンクの隅にゴキブリを見つけた時のような視線を向けられて、フォルテは慌てて両手を振った。ユリアは呆れ顔でアサクラの前に保温ポットを置く。


「どうぞ。ボトルはもっと早めに返してくれとナタリアさんがおかんむりでしたよ」

「だろうねー。だからキミに行ってもらったんじゃないか」


 アサクラはぐいっとガラス容器のコーヒーを飲み干すと、いそいそと熱々のそれを新たに注いだ。一口啜って顔をしかめる。


「……ずいぶん濃くなぁい?」


 ユリアは肩をすくめた。


「ナタリアさんからの伝言です。濃さに文句を言いたいなら次からは自分で直接取りに来な、と」

「やれやれ。敵わないなぁ、あのひとにも」


 まあ目が覚めて丁度いいや、と言いながらモニタに向き直ったアサクラの背後から、ユリアが画面を覗き込む。


「どうですか、解析のほうは」

「んー、のお陰で上々だよ。結構形になってきた」

「待てユリア、黙って拳を固めるな。俺を殴ってもお前が痛いだけなんだぞ」

「……彼氏じゃ、ないです」


 握った手を降ろして苦い声を絞り出したユリアに特に頓着した風もなく、アサクラはホログラム投影機を起動した。3次元状に整理された情報木構造が研究室の狭い空間に広がった。投影に被ってしまったユリアが数歩下がる。

 

「フォルテのはなかなか面白いデータを残してくれててねぇ。ユリア、キミはアザトゥスの性質ってちゃんとわかってるかい?」

「ちゃんと、って言い方されるとアレですけど……。とにかく何にでも侵食する、兵装を乗っ取る、くらいは」

「うん、その理解は概ね正しい。あとは自然物より人工物を好む、何故か真っ直ぐに地球圏に向かう個体が多い、とかだね」


 ユリアは少し考えを巡らせるように唇に指を当ててから、小さく頷いた。


「確かにアステロイドベルトの探査をした時も、採掘痕のない小惑星には何もいませんでしたね」

「そうだね。火星の採水プラントの件にしたってそう。奴らが巣食うのは何故か必ず人工物なんだ。ここまでは今までも分かってたコト」


 アサクラは濃いコーヒーを一口啜る。


「アザトゥスは何故か人類にご執心なんだよねぇ。僕らが彼らと出会ってしまったら、その後に起きるのは殺し合いだ。最も殺したいのはこっちの事情で、向こうさんは僕らを喰うのが目的みたいだけど」

「兵装を乗っ取って攻撃してくることもありますよね? 単純に殺しに来ている場合もあるのでは?」

「この辺りは推測するしかないんだけど、喰うために動けなくする、ってあたりが目的なんじゃないかなぁ。ほら、カワセミが獲った魚を岩に叩きつけるみたいなさ」

「えぇ……」

「まあ、主題はそこじゃなくてね。つまり大人しいアザトゥスというのを僕らは観測したことがないわけだ。ハイドラみたいな特殊事例はあるけれど、あれはまたちょっと別口だから横に置いておくよ。でもカリプソーではアダムが"不活性"と呼んでた状態に置くことができてたんだよねぇ」


 黙ってユリアとアサクラのやり取りを聞いていたフォルテが、情報木に手を伸ばす。果実をもぎ取るようにしてひとつのデータに触れると、フォルテと対峙する人型の肉塊の姿が大写しになった。


「俺とアダムが初めて会った時も不活性状態だったんだと思うぜ。アダムが触れたところは小規模な浸食を起こしてはいたけど、殖えながら広がっていくような感じではなかったからな」

「アザトゥスの研究は地球圏でも各地で行われていたけど、こういう不活性状態が報告された事例はないんだ。逆に毎回暴走していたくらいだよ。"核"の保管状態はカリプソーでのそれとさして変わらないにも関わらず、だ」

「アダムの研究記録によると核の保管は宙域戦闘機用の外装材……つまりあの地下3Fに張り巡らされていたものと同じものを用いていたみてーだな。ナギと接触したアダムが活性化してからはこの通りで、この素材が特別耐食性が強いってこともねーと思う」


 フォルテが手を動かすと、映像が一面に侵食された通路のものに切り替わる。酷く侵食され肉が脈打つその映像から、ユリアが目を逸らした。


「核は損傷を受けると再生に少し時間が掛かるし、核の再生を優先するから侵食能力は下がるんだけど……」

「"種"の製造のために日常的に削ってはいたみたいだけどな」

「それにしたって長期間鎮静化させておけるようなものではないはずなんだよ。で、ナギと接触した時に活性化した。これについてアダムは一つの仮説を立ててる」


 ホログラムがエウロパの3D映像に切り替わる。分厚い氷殻の下の海中都市がぼう、と淡い輝きを放った。


「この内部海中都市という完全に外界から隔絶された空間に、生身の人間が全くいない状態が長く続いたから"不活性化"した、ってね」

「俺とアダムが会った時に何も起きなかったのは、俺が生身じゃなかったから……」

「まあ、このたった一つの事例だけで断定する事は出来ないけどねぇ。それでも仮説を立てるには十分だ。僕らには丁寧に検証してる時間なんてないからね」


 ユリアは自分のマグカップにコーヒーを注ぐ。一口啜ってから顔を顰めてマグカップを卓上に戻すと、渋面を崩さずに言った。


「人間がいないから不活性だった、って言うならダイモスはどうなんです? あそこは遠隔の無人監視塔だったはずですけど」

「ダイモスは前提が違う。あそこに居た母体は小型駆逐艦トリアイナ鹵獲機キャプチャーだからね。フォボス戦のレポートを見る限りトリアイナから脱出できた人員はほとんど居なそうだから、だいたい200人はあの腹の中にいたってコト」

鹵獲機キャプチャー……」


 ユリアは濃いコーヒーよりもなお苦いものを飲み下したように表情を歪める。その肩が僅かに震えているのを見て取ったフォルテがそっと手を添えようとしたが、キッと睨みつけられて引き下がった。


鹵獲機キャプチャーってあれだろ、脳を乗っ取ってるっていう……要は混ざり者アザーティが乗ってるってことなんだよな」

「そうだね」

「アダムは電脳でアザトゥス体を制御する実験をやってた。俺の見る限りじゃそれなりに上手く行ってたように見えたぜ。なあ、アザーティってのはで動いてんだ?」

「これも推測の域を出ないけど……」


 映像が切り替わる。アダムが急激に正気を失っていく様子が映し出された。


「意識の指向性は完全にアザトゥスになると思ってる。このケースの場合アダムは一度ナギの捕食を拒否しているけど、舌の根も乾かぬうちに食らいついてるね。恐らく電脳への急激な侵食で行動原理がアザトゥス側に切り替わってるんだろうなぁ」

「人間を食う……ってことか?」

「たぶんね。キミとアダムの視界映像を解析したけど、こいつが捕食行動を見せていたのは主にナギとハイドラに対してだ。義体や設備も喰ってるけど、こっちはダメージの回復や排除の意味合いが強いように見える」

「俺やアダムは捕食対象じゃないから不活性だった、と……」


 なるほど、と納得しかけたフォルテに、ユリアは顔をしかめた。少し視線を彷徨わせてから、呻くように言う。


「人間を食べる事がアザトゥスの行動原理だとしたら……乗っ取られていたとしても、意識が残っているケースはあるんじゃないんですか……」


 アサクラは倦んだ視線をユリアに向けた。わかっている顔で理由を問う。


「何でそう思うのかな、ユリア」


 ユリアは自分の身体を強く抱きしめた。

 

「だってそうじゃないと、"帰らないと"なんて言葉は出てこない」

 

 アサクラは頷いて、情報木のデータに触れた。ナギとアダムが対峙する映像がかき消え、激しく上下するイコライザに合わせてアステロイドベルトでフェニックス・キャプチャーから受信した泡立つ音声データが研究室に満ちる。


『我々ハ、地球へが、エらな……げればナら、ない』


 それを初めて聞くフォルテが、息を呑んだ。ユリアは青い顔で小さく震えている。同じフレーズを繰り返していた音声が、最後の言葉を紡いだ。


『すべテ排除セよ。我ラが故郷への……帰還のタめ、に』


――――――――


お読みいただき、ありがとうございます。

ユリアはフォルテのお目付け役として、戦闘訓練を免除されています。

アサクラの研究室は解析には不参加のユリアが暇に任せて片付けたので、ちょっとすっきりしました。


本日より第5章「土星の環でワルツを」開幕です。

引き続きよろしくお願いします!



次回の更新は12/6です。

それではまた、次回。

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